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佳山明生(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 新曲「片割れ月」、人の情や優しさを感じさせる演歌に挑戦 [インタビュー]

佳山明生1.jpg◆3年ぶりの新曲「片割れ月」(作詞・鈴木紀代、作曲・宮下健治、編曲・南郷達也)で、演歌の新境地を拓いている。佳山明生 = 写真・左 = と言えば、1977(昭和52)年にコロムビアレコードから出した「氷雨」が、まるで代名詞のようになっている。新曲でムード歌謡の<佳山>のイメージを覆したのは、ディレクターの「佳山の演歌はおもしろい」という一言だった。

 「片割れ月」は、演歌調でありながら佳山の甘い声で明るく歌っているのが、聴く人に新鮮な感じを抱かせている。それが、この曲の特徴だろう。

 「カラオケでは発売後1週間で、4000回も歌われたそうです」

 その間、テレビ出演もなかったというだけに、口コミによる浸透力の大きさがわかる。



 演歌のだいご味を「歌の中にある情や優しさ、切なさといったものをすべて出し切るのではなく、ほのめかすのがコツ、と師匠の古賀政男先生に教えてもらった」と佳山はいう。
 そんな教えが、この歌にも表れているようだ。カラオケファンには、佳山が歌う歌詞がぐっと胸に迫るのであろう。


◆佳山は、作曲家古賀政男の最後の門下生である。夏休みにアルバイトで貯めた5000円札を1枚だけポケットに入れ、家出当然に北海道・函館の実家を飛び出して古賀の門を叩いた。
 70(昭和45)年にデビューしているが、デビューしてもヒットは出ず、デビュー曲の「氷雨」も大ヒットするまでには13年間もかかっている。その間、レストランで働いたりドアボーイをしながら、古賀に教えを乞うてきた。

 第25回日本レコード大賞でロングセラー賞を受賞した「氷雨」の累計販売枚数は、今、100万枚を超すだろうと言われている。文字通り大ヒットである。しかし、それが佳山にムード歌謡歌手のレッテルが貼られることになる。

 大ヒットした歌手も、5年もすると売れなくなっていた。レコード会社の対応も売れている時とは違ってきた。
 もがいてみても何も解決せず、新宿で飲食店を始めたりもしている。佳山にとっては、悶々とした苦しい時代であった。
 「このままでいいのか」と絶えず思い続けていたそんな時、コロムビアレコードからビクターレコードへ移籍する。転機になるかと思ったがシングルを2枚出しただけで、今度はガウスエンタテインメント(後に徳間が吸収する)へ移り、現在に至っている。

佳山明生2.jpg
食事などいつも健康管理に配慮する秀子夫人(左)と佳山

 ムード歌謡からの脱皮は、前々作の「わすれ傘」(徳間ジャパンコミュニケーションズ)で一度、挑戦している。再挑戦の今回は、「わすれ傘」を聴いた新たな担当ディレクターが「新しい演歌が作れる」と確信したからだという。

 そそんなディレクターの熱い想いによって、演歌へと舵を切ることになる。
 彼は佳山の自宅に上がり込んで「佳山ワールドの新鮮な演歌によって必ずヒットを作るってみせる」と説得している。
 <佳山に演歌を歌わせたい>と、情熱を注いでくるディレクターに、佳山も「こんな奴は今までにいなかった」と、ついに口説かれてしまう。

 それでも佳山には不安があった。「本格演歌はムード歌謡とは発声方法も違う」からだ。
 それから演歌の発声の特訓が始まる。
 レコーディングに際して、ディレクターは佳山への注文はただ一言。
 「佳山明生という大きなかたまりが欲しい」

 その言葉をもらって、佳山は今までと変わりなく歌うことができたという。
 「音程、リズムなどすべてが今までと同じで、レコーディングでも伸び伸びと歌うことができ、本番も3回でOKが出た」



◆9月11日、地元函館で「佳山明生と函館の仲間たち」を開催した。年に1回のビッグイベントだという。これの関西版が11月28日に、兵庫県西宮市のホテルノボテル甲子園で「佳山明生と仲間たち」が予定されている。

 店頭キャンペーンも27年ぶりに再開している。佳山は「まず聴いてもらえる場所を提供するのが楽曲の生命線です」という。



[佳山明生公式Webサイト]
http://kayama-akio.com/




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