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北川裕二が泣いた!  「泣いて大阪」半月大阪キャンペーン最終日のラジオ番組  人情に支えられた15日間 [インタビュー]

◆新曲「泣いて大阪」の新しい大阪ソングとしての定着をねらうキングレコードの北川裕二が2016年6月30日、15日間にわたる「大阪半月根こそぎキャンペーン」を終えた。最後に出演したラジオ番組では思わず涙も見せて、文字通りの泣いて大阪となるシーンもあった。期間中の人々とのふれあいも2228人と目標を達成。きょう(7月1日)午後、東京へ向けて帰る。


北川裕二2.jpg 「大阪の人たちの情の篤さをつくづく実感させられた15日間でした。これに支えられてこれからも『泣いて大阪』を歌っていきます」
 30日、ラジオ番組の終了後、Music news jp のインタビューに応えて北川は話してくれた。
その番組にはリスナーからのファックスがたくさん寄せられていた。
 「大阪を第2のふる里と思ってまた来てください」と書かれた1通をパーソナリティーが読み上げると、北川の目から涙がこぼれ落ちたのだ。北川はステージではたくさんの汗をかくことはあっても、このように涙を流すことはない。

 「キャンペーン中のことを色々と話していると、お客さんなど支援してくれたたくさんの人たちの温かさがうれしくて、お便りを聞いていると、つい涙が出てしまいました」

 6月15日の大阪発流行歌ライブを皮切りに始まった北川の大阪キャンペーンは、大阪市内のウイクリーマンションに住みこんで、関西初のショッピングセンターでの歌唱キャンペーンのほかカラオケ店でのサークルキャンペーンなどをこなすというものだった。

 歌唱キャンペーンで訪ねたショッピングセンターは5ヵ所、カラオケ店は18店舗を数えた。それ以外にもテレビ、ラジオの番組にも出演し、新聞・雑誌の取材も受けた。行く先々では熱い歓迎ぶりで、それに応えるかのように歌唱キャンペーンでは「宗右衛門町ブルース」など大阪のカバー曲を歌った。観客は大喜びで北川も「大阪の人たちの歌への情熱熱いことが良く分かりました」と感激していた。

 こんな長期間にわたり1カ所に住みこんでのキャンペーンは北川にとっても初体験だった。当初は不安もあったというが、人情の篤さに支えられた15日間だった。
 「本当は歌い手が皆さんに元気を届けるのが役割なんでしょうが、今回は僕が元気をもらいました」


北川裕二・泣いて大阪.jpg 期間中の大阪住まいでも東京とほとんど同じ生活パターンだった。
 朝は出かける2時間前に起きて身支度を整える。朝食も簡単にご飯に味噌汁、漬け物などで済ませる。マンションの向かいの食堂にも何度か通った。そこの店主夫婦ともすっかり仲良しで<ふれあい指数>を高めてくれた。

 15日の間にどれだけの人たちとふれあうことが出来たかを示す<ふれあい指数>は、食堂の夫婦をはじめ乗り合せたタクシーの運転手さん、カラオケ店で会った人たちなど1人ひとりをカウントしたものだ。その数は2228人。
 「こんな数になるとは思ってもいませんでした。とてもありがたい数字です」と北川。

 北川は7月1日、東京へ帰っていく。15日間もいた大阪を離れるのは少し寂しそうだが「大阪の皆さんが支えてくれた『泣いて大阪』をこれからも歌い続けていきます」と、大阪ソングの代表曲としてたくさんの人たちの間で歌われることを願っていた。





[北川裕二 オフィシャルサイト]
http://www.kitagawa-yuji.com/index.html
[北川裕二 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10436






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