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三船和子(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  「ぬくもり酒場」に来てみませんか! 女将の三船が出すこころ酒が元気にしてくれる [インタビュー]

三船和子2・小.jpg◆♪ この黒髪の先までがあなたを愛している ~ の歌詞が印象的な「他人船」で一躍売れっ子となった三船和子が、今度は ♪ お疲れさま、おひとつどうぞ-と、初めてのセリフ入りの演歌で再びヒットをねらう。2016年10月5日に出した「ぬくもり酒場」は、色んな人たちがひと時の心の安らぎを求めてやってくる酒場を舞台に歌っている。悩みや愚痴を聞いて元気づけてくれるそんな情け酒が身にしみる歌である。カップリングの「三歩下がってついて行く」は、自身の半生をダブらせたかのような内容の歌が、同世代のファンを惹きつけている。


三船和子・ぬくもり酒場.jpg









 お疲れ様 なんとかなるわよ・・・ お疲れ様 一緒に飲みましょ・・・
 デビュー50周年記念曲の第3弾の「ぬくもり酒場」には、こんなセリフが入っている。居酒屋の女将になった三船のかっぽう着姿を思わずイメージしてしまった。
 三船和子の歌でセリフ入りは初めてだが、その声を聞くためにもう一度行ってみたくなる、そんな店を歌う。

 歌に出てくる ♪ 酒のつまみは ひじきの煮物 ~ のひじきは遠藤の母の味だったという。「先生は素朴なものが好きで、ひじきの煮物は大好物でした」と三船。
このように歌には、遠藤の面影がチラチラとと見えるのである。作詞をした麻こよみの心憎い隠し味である。


三船和子・小.jpg 三船は16歳で愛知県から上京して作曲家の遠藤実に弟子入りしている。遠藤が1965(昭和40)年に設立したレコード会社、ミノルフォンレコード(現・徳間ジャパンコミュニケーションズ)から第1号歌手として「ベトナムの赤い月」でデビューした。このレコード会社からは、続いて千昌夫、山本リンダ、大木英夫、津山洋子らもデビューしている。

 三船和子の芸名は師匠の遠藤実が付けた。縁起の良いと言われる「三」と、三船の兄弟子になる舟木一夫から一字をもらい、しかも大きな歌手になるように「船」の文字を当てて三船にした。和子は本名の緒方一子の一子(かずこ)を、みんなに好かれるように、と「和」に替えた。

 三船の名前を世に知らしめたのは4作目の「他人船」だった。
 「これを出したのは17歳の時でした。以来、遠藤先生はいろんな歌にチャレンジさせてくれました。そして今また、岡千秋先生が今までとはまったく異なる『ぬくもり酒場』を作ってくれました」
 その岡は今回、新曲を作るにあたって「かずちゃん、俺に任せて。ちょっと違った感じのいい歌を作るから」と、力強く言ってのけた。

 出来あがった歌を聴いた三船は「麻こよみ先生の詞と相まって、鳥肌が立つようでした」と、振り返っている。

 2016年10月26日には徳間ジャパンコミュニケーションズ移籍して2枚目のアルバム「三船和子全曲集 ~ 女・・・泣く港 ~ 」を出している。
 デビュー曲の「ベトナムの赤い月」から「他人船」「だんな様」、50周年記念曲第1弾の「夢旅路」同第2弾「女…泣く港」など16曲を収録している。

■自身の半生を歌う

 カップリング曲の「三歩下がってついて行く」も岡が書いている。
 三船はデビュー4作目の「他人船」をヒットさせた後の1968年、タクシー乗車中に交通事故に遭い、その後遺症で声が出なり、歌手を引退するはめになった。その後21歳で結婚したが、義父や義母との一緒の生活は苦労も少なくはなかった。それでも三船は「新しい歌が出来るたびに義母さんに聴いてもらっていました。後に100万枚を超える大ヒットになる『だんな様』(82年)は、これはいい歌だから必ず後世に残るよ、と言ってくれたんです」と、義母の優しさを懐かしんでいる。

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 そんな三船の主婦として、嫁としての自分を重ねて歌っているのが「三歩下がってついて行く」である。三船は「この歌は『だんな様』のような歌でもあります。歌い手は想いを代弁する人と思っていますが、この歌に共感してくれる女性も少なくはないでしょうね」と話している。




[三船和子 オフィシャルサイト]
http://mifunekazuko.com/sub10.html
[三船和子 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/mifune_kazuko.html



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