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大江裕(日本クラウン)  「御免なすって」 女歌シリーズに続く股旅演歌で新分野に挑戦 真の演歌歌手を目指す [インタビュー]

大江裕.jpg◆久々に会った大江裕はデビュー当時の面影は消えて、立派な大人の顔をしていた。2016年11月16日で27歳の誕生日を迎える。19歳で「のろま大将」(09年)でデビューして、歌手生活も8年目になる。CDも10月26日に出した新曲「御免なすって」で、早くも12枚目のシングルになる。初の股旅演歌だ。しかも師匠の北島三郎が自らプロデュースした作品で、作詞・作曲は北島本人である原譲二だ。大江はこれで真の演歌歌手としての評価を目指す。


大江裕・御免なすって.jpg









 新境地を拓いてきた女歌シリーズから、今作は股旅演歌である。股旅映画にも出演歴のある北島三郎プロデュースした。大江は「北島先生からは、勢いよく、しかも力を抜いて歌へ、と言われています。歌いやすくて覚えやすい歌です。皆さんにも歌って頂きたいです」と、話している。
 歌唱力の高さは誰もが認める。しかもますます、師匠に似てきたともいわれる。

 カップリングは「赤城恋しや」は作詞が仁井谷俊也、作曲が原譲二。母を恋うる、やはり股旅演歌である。この2作でまた、大江は新しいジャンルを開拓していくことになりそうだ。

 今作にはボーナストラックが収録されている。そのの「親のない子の子守唄」は「北島先生が30年前に、初めて原譲二の名前で作詞・作曲した作品です」(大江)という。北島が東京・新宿コマ劇場、大阪・梅田コマ劇場、福岡・博多座で公演した「国定忠治」の劇中主題歌として発表して、CD化した「流転笠」(2001年)のカップリングとして収録された作品である。

■今度は先生を励ます

 デビュー3年目の2011年11月、大江は公演中のステージの上で突然過呼吸などの症状に襲われ、医師から「パニック障害」と診断された。それから1年4ヶ月間休養した。その間、大好きな歌うことも出来ないし、テレビも見ることも出来ない。もちろん外出などはもってのほかであった。何もせずにただ自宅でごろごろとしているだけなのである。もう歌手を諦めなければいけないのか、と思うとますます病状は悪くなる。

 「歌謡界というまったく知らない世界に入って、しかも休みもなく働き通しで、自分の時間がなかったのが原因だったのでしょうか」
 歌うことが趣味のような大江には、気を休めるところもなかったようだ。
 「今は時間があればショッピングをしています。マフラーがほしいですね」

大江裕・大江裕 全曲集 ~こゝろ雨・のろま大将~.jpg
2016年11月2日に発売された初の全曲集

 病んでいる大江に救いの手を差し伸べてくれたのは北島三郎だった。休んで半年ほどたったある日、北島から電話がかかってきた。「事務所に来い、という内容でした。きっと歌手を辞めろと言われると思って、覚悟しました」と大江。
 尊敬する北島の命令だから、何とか這うようにして事務所までたどりついた。すると北島の口から出てきのは「もう一度、お前の歌が聴きたい。一緒にステージに立ちたい」の励ましの言葉だった。
 それから1日に1時間半ほどずつ音楽を聴くなどのリハビリにも北島は手を貸してくれて「今は休む時だから、無理はいかん」と、まるで自分の子どもを介抱するかのようだった。

 2013年3月に出した「ふる里は いま・・・」が復帰第1作になった。レコーディングは同2月だった。付き添っていた北島は「ダメなら延ばせばいいから焦るな」と声をかけるなど心配でならなかったようである。それからの大江は「探りさぐりの状態」で歌い、ステージに立ち、1年に2回のペースでCDを出してもらえるまで回復した。

■演歌歌手・大江裕

 師匠である北島三郎は今、頸椎(けいつい)症性脊髄症の治療中である。「それでもステージには立って、時には椅子に座って歌っています」と大江。そこには彼が寄り添っていることが多い。かつて自分がパニック障害で悩んでいた時に助けてくれた師匠を助けたい、と思う気持ちが大きいのだろう。

 復活した大江が「今までの歌と比べると大人の歌になった、と言われています」と話す通り、その声からは歌が上手いだけの男の子から成長した様子が感じられる。
「先生のお孫さんと同い年なんですよ。僕は演歌歌手になった8年目。お笑いじゃなくて、いい歌を歌うなぁ~と言われる演歌歌手・大江裕になりたいです」と話す目は真剣だった。




[大江裕 オフィシャルサイト]
http://www.kitajima-music.co.jp/yutaka/
[大江裕 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/ohe/whats.html





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