山城カミーラ美幸(ウェブクウ) デビュー初の大阪キャンペーン 4年ぶりのサードシングル「海峡千里」 17年3月リリース [インタビュー]
◆4年ぶりの新曲「海峡千里」をウェブクウから2017年3月に出した日系ブラジル3世の歌手、山城カミーラ美幸が、同年7月7日、初の大阪キャンペーンを東大阪市のCDショップ、ミヤコ瓢箪山店で行った。日本の演歌歌手に憧れて08年に来日、12年8月に「京都浪漫坂」(フリーボード)で歌手デビューした。今作は3枚目のシングル。同様に日本でデビューしているエドアルド(テイチクエンタテインメント)エンジュ(よしもとアール・アンド・シー)とはブラジル時代からの歌仲間である。
「海峡千里」は、愛おしい男性を海の向こうまで追いかけて行きたいけれど、それもままならない、切なくも激しい主人公の心の内を歌っている。作詞はたきのえいじ、作曲は佐田みさき、編曲は若草恵。
そのプロモーションビデオ(PV)がまた衝撃的。
着物のまま、海の中へと入って行くのである。今年2月に房総半島の白浜の海岸で撮影した。
「誰もやっていない作品にしたかったけれど、監督が主人公の激しい気持ちを表現するために、衣装の着物のままで海に入ろう、と提案した時には、ちょっと驚きました」(山城)
4年間の沈黙を新曲「海峡千里」にぶつける山城カミーラ千里
撮影は日の出とともに始めて、ほぼ昼ごろまでかかった。
2月の房総の海はまだ冷たい。それだけに海に入るシーンは1発勝負。それでも胸元近くまで海に浸かっての撮影は、身体は凍るようで震えが止まらなかった。
「近くには作曲家の佐田先生の別荘があるので、海から上がるとすぐにそこへ飛び込んで身体を温めました」
出来あがったPVは1部がYouTubeで公開されているが、残念ながら海中での迫真の演技は今のところ見ることが出来ない。
■祖母のために歌う
山城カミーラ美幸の本名はカミーラ美幸西村山城。山城は父方、西村は母方の姓である。ブラジルでは苗字はいくつ付けても良くて、5つも6つも付けている人もいるという。
美空ひばりが好きだった鹿児島生まれの祖母の影響もあって演歌歌手を目指すようになった。ブラジルでは、歌好きの日系人グループの中にいたエドアルドやエンジュは、現地のカラオケ大会でよく顔を合す親しい仲だった。
「エンジュは身長も高くてブラジル人の体形ですが、私は160センチで日本人の体形かな」
3人の中で山城が最も早く、高校卒業後の17歳で日本へやって来た。来日してからは、知人の紹介で作曲家佐田みさきの下で歌唱指導を受けてきた。
初めての大阪キャンペーンで楽しく歌えたと笑顔を見せる山城カミーラ美幸
「2年前に95歳で亡くなった祖母は、80歳頃からは認知症を患い、私のことも解らなくなっていました。それでも歌手になるために日本へ行っていることだけは覚えていました。歌手になった姿を見せて喜ばせたかった」(山城)
「海峡千里」の歌詞には、AMORE SAUDADE(アモーレ サウダージ)とポルトガル語が入っている。恋しい愛しいという意味である。「去年のブラジルオリンピックに合わせて、ブームに乗って出したかったのですが、間に合いませんでした」
■オブリガード大阪
大阪初のキャンペーンで山城は紅色の振袖を着て現れた。レースの洋服地で母親がミシン縫いした和服だという。海に入る時に着た着物も、母親のお手製である。自らはハクビ京都きもの学院の講師も務めるほどで「着物への愛着度は高い」(山城)だけに、PV撮影時に着物での海中入りには当初抵抗もあったようだ。
キャンペーンでは「海峡千里」とカップリングの「房総半島」のほかデビュー曲「京都浪漫坂」、前作の「海猫節」のオリジナル曲を歌ったほか、「岸壁の母」をポルトガル訛りのセリフ入りで聴かせた。
山城は「初めての地でのキャンペーンでしたが居心地も良く楽しめました。CDもたくさん売れましたし、また大阪へ来ます」と話していた。
[山城カミーラ美幸 オフィシャルサイト]
https://www.facebook.com/kamila.yamashiro
[山城カミーラ美幸 ウェブクウ]
http://www.webkoo.co.jp/j-songs/ya/yamashiro-kamiramiyuki/
「海峡千里」は、愛おしい男性を海の向こうまで追いかけて行きたいけれど、それもままならない、切なくも激しい主人公の心の内を歌っている。作詞はたきのえいじ、作曲は佐田みさき、編曲は若草恵。
そのプロモーションビデオ(PV)がまた衝撃的。
着物のまま、海の中へと入って行くのである。今年2月に房総半島の白浜の海岸で撮影した。
「誰もやっていない作品にしたかったけれど、監督が主人公の激しい気持ちを表現するために、衣装の着物のままで海に入ろう、と提案した時には、ちょっと驚きました」(山城)
4年間の沈黙を新曲「海峡千里」にぶつける山城カミーラ千里
撮影は日の出とともに始めて、ほぼ昼ごろまでかかった。
2月の房総の海はまだ冷たい。それだけに海に入るシーンは1発勝負。それでも胸元近くまで海に浸かっての撮影は、身体は凍るようで震えが止まらなかった。
「近くには作曲家の佐田先生の別荘があるので、海から上がるとすぐにそこへ飛び込んで身体を温めました」
出来あがったPVは1部がYouTubeで公開されているが、残念ながら海中での迫真の演技は今のところ見ることが出来ない。
■祖母のために歌う
山城カミーラ美幸の本名はカミーラ美幸西村山城。山城は父方、西村は母方の姓である。ブラジルでは苗字はいくつ付けても良くて、5つも6つも付けている人もいるという。
美空ひばりが好きだった鹿児島生まれの祖母の影響もあって演歌歌手を目指すようになった。ブラジルでは、歌好きの日系人グループの中にいたエドアルドやエンジュは、現地のカラオケ大会でよく顔を合す親しい仲だった。
「エンジュは身長も高くてブラジル人の体形ですが、私は160センチで日本人の体形かな」
3人の中で山城が最も早く、高校卒業後の17歳で日本へやって来た。来日してからは、知人の紹介で作曲家佐田みさきの下で歌唱指導を受けてきた。
初めての大阪キャンペーンで楽しく歌えたと笑顔を見せる山城カミーラ美幸
「2年前に95歳で亡くなった祖母は、80歳頃からは認知症を患い、私のことも解らなくなっていました。それでも歌手になるために日本へ行っていることだけは覚えていました。歌手になった姿を見せて喜ばせたかった」(山城)
「海峡千里」の歌詞には、AMORE SAUDADE(アモーレ サウダージ)とポルトガル語が入っている。恋しい愛しいという意味である。「去年のブラジルオリンピックに合わせて、ブームに乗って出したかったのですが、間に合いませんでした」
■オブリガード大阪
大阪初のキャンペーンで山城は紅色の振袖を着て現れた。レースの洋服地で母親がミシン縫いした和服だという。海に入る時に着た着物も、母親のお手製である。自らはハクビ京都きもの学院の講師も務めるほどで「着物への愛着度は高い」(山城)だけに、PV撮影時に着物での海中入りには当初抵抗もあったようだ。
キャンペーンでは「海峡千里」とカップリングの「房総半島」のほかデビュー曲「京都浪漫坂」、前作の「海猫節」のオリジナル曲を歌ったほか、「岸壁の母」をポルトガル訛りのセリフ入りで聴かせた。
山城は「初めての地でのキャンペーンでしたが居心地も良く楽しめました。CDもたくさん売れましたし、また大阪へ来ます」と話していた。
[山城カミーラ美幸 オフィシャルサイト]
https://www.facebook.com/kamila.yamashiro
[山城カミーラ美幸 ウェブクウ]
http://www.webkoo.co.jp/j-songs/ya/yamashiro-kamiramiyuki/
藤原浩(キングレコード) 新境地の成人した子どもを歌う「二十歳の祝い酒」に挑戦 C/Wには明るくノリのいい「希望の星です ツル亀らじお」 長崎放送・NBCラジオ人気番組のテーマ曲 [インタビュー]
◆今回もユニークなタイトルの楽曲で話題を振りまくキングレコードの歌手、藤原浩。2017年4月に出した新曲「二十歳の祝い酒」のカップリングで、鶴と亀が登場する「希望の星です ツル亀らじお」といっためでたい歌に挑んでいる。担当ディレクターはメイン曲に、と推したというほどの楽しい楽曲。ノリが良くて世の中を明るくしてくれる、と藤原もノリまくっている。
「希望の星です ツル亀らじお」は、長崎放送・NBCラジオの人気番組「ツル亀らじお」のテーマソングとして、リスナーからの一般公募を元に、84歳になる長崎新聞元編集委員の出島ひろし氏が作詞したものである。
ラジオ番組は毎週日曜日に放送されており、もう16、7年も続いている演歌番組。藤原浩も何度か出演したことがある。
キングレコードのディレクター、中田信也は「明るくていい曲なので、メイン曲でも良い」とノッていたが、最終的にはカップリングに収まった。
藤原も「明るく楽しく歌うのに心がけました」と、まったく新しい試みに意欲的にチャレンジしている。
■成長した息子とのふれあいを歌う
「雪舞の宿」「越前つばき」と艶歌が2曲続いた藤原に対して「キャパシティの大きさを見せるためにも、今までと違う路線をやってみよう、と提案されて実現したのが『二十歳の祝い酒』でした」と、藤原。
メイン、カップリングのどちらも藤原にとっては新境地の作品。しかも、この「二十歳の祝い酒」は「河島英五さんを思い起こさせるフォーク歌謡路線の楽曲で、ストレートな詞の表現が特徴」。
歌に登場するのは20歳になった息子とその父親。まだ小さかった昔を想い起しながら、ふたりで酒を酌み交わす。そんな歌である。
20歳の頃の藤原は長距離トラックの運転手を始めたばかりだった。父とは疎遠になっていたという。酒も飲めなかったなど、決して等身大の歌ではない。しかし「歌の内容は親子の温かさを感じさせてくれる」とアピールする。
■いい歌を歌ってるね
1994年5月、34歳を目前にしてソニーレコードから「真情」でデビューしている。来年はデビュー25周年を迎える。
師匠の遠藤実からは「浩は涙もろくていい奴だけど、気が小さくて、後ずさりするような性格。でも本当は肝っ玉は大きいと思うよ」と言われたように、藤原は決して派手な歌い手ではない。
そんな彼の性格を見抜いてか、遠藤は「苦労して大成したとアピールするのではなく、何もなかったかのように堂々とステージに立つのが格好いいよ」と助言している。
「その言葉が今ならよく分かるようになりました」と藤原。2002年にキングレコードに移籍して「純子の涙」を出して16年目の今、藤原は「たくさんのの人たちから、いい歌を歌っているね、と言われるようになりたい」と話す。
[藤原浩 オフィシャルサイト]
http://www.hiroshi-fujiwara.com/
[藤原浩 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=17853
「希望の星です ツル亀らじお」は、長崎放送・NBCラジオの人気番組「ツル亀らじお」のテーマソングとして、リスナーからの一般公募を元に、84歳になる長崎新聞元編集委員の出島ひろし氏が作詞したものである。
ラジオ番組は毎週日曜日に放送されており、もう16、7年も続いている演歌番組。藤原浩も何度か出演したことがある。
キングレコードのディレクター、中田信也は「明るくていい曲なので、メイン曲でも良い」とノッていたが、最終的にはカップリングに収まった。
藤原も「明るく楽しく歌うのに心がけました」と、まったく新しい試みに意欲的にチャレンジしている。
■成長した息子とのふれあいを歌う
「雪舞の宿」「越前つばき」と艶歌が2曲続いた藤原に対して「キャパシティの大きさを見せるためにも、今までと違う路線をやってみよう、と提案されて実現したのが『二十歳の祝い酒』でした」と、藤原。
メイン、カップリングのどちらも藤原にとっては新境地の作品。しかも、この「二十歳の祝い酒」は「河島英五さんを思い起こさせるフォーク歌謡路線の楽曲で、ストレートな詞の表現が特徴」。
歌に登場するのは20歳になった息子とその父親。まだ小さかった昔を想い起しながら、ふたりで酒を酌み交わす。そんな歌である。
20歳の頃の藤原は長距離トラックの運転手を始めたばかりだった。父とは疎遠になっていたという。酒も飲めなかったなど、決して等身大の歌ではない。しかし「歌の内容は親子の温かさを感じさせてくれる」とアピールする。
■いい歌を歌ってるね
1994年5月、34歳を目前にしてソニーレコードから「真情」でデビューしている。来年はデビュー25周年を迎える。
師匠の遠藤実からは「浩は涙もろくていい奴だけど、気が小さくて、後ずさりするような性格。でも本当は肝っ玉は大きいと思うよ」と言われたように、藤原は決して派手な歌い手ではない。
そんな彼の性格を見抜いてか、遠藤は「苦労して大成したとアピールするのではなく、何もなかったかのように堂々とステージに立つのが格好いいよ」と助言している。
「その言葉が今ならよく分かるようになりました」と藤原。2002年にキングレコードに移籍して「純子の涙」を出して16年目の今、藤原は「たくさんのの人たちから、いい歌を歌っているね、と言われるようになりたい」と話す。
[藤原浩 オフィシャルサイト]
http://www.hiroshi-fujiwara.com/
[藤原浩 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=17853
市川たかし(徳間ジャパンコミュニケーションズ) デビュー10年目の「おんな傘」 よりしんみりと女性の恋心を歌う [インタビュー]
◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、市川たかしは、今年1月に34歳を迎えたばかりである。2007年11月に「だからさようなら言わないで」でデビューしている。新曲「おんな傘」は6枚目のシングル。特技の日舞を生かすかのように、前々作の「夕霧草」からは衣装を和服に替えて、恋にゆれる女心を甘い声で歌い続ける。デビュー10年目。「歌いたかった素敵な作品と巡り合えました」と、気持ちを引き締めている。
「今までの作品の中で一番いい手応えを感じています」
「おんな傘」は、デビュー4作目の「夕霧草」と曲調が似ているが、女心を歌にのせて表現することが、ようやく市川の身に付いてきたのかもしれない。歌に色が出てきたといった評価も聞かれる。
こうした「しっとり路線が自分には合っているようです」と市川はいうが、「でも女心ってわからないところがありますね」とも。
ももっとも作詞を担当した千倉安稀はちろんそう簡単にわかってたまるか-と、言いそうである。「おんな傘」は、女性の目線で一途な恋心を描いている。
そのように難しい楽曲を歌(声)でどのように表現するかは、彼にとっては「夕霧草」からの課題でもある。
「今作では雨が、女性の心を表すものとして、重要なファクターとして使われています。雨がこんなに女性の心の内を表せるのか、と驚いています」(市川)
一途な女性を歌うのは「夕霧草」からである。
「柔らかくて気高く芯がある女性を表現したいと常々思っています。今作では、1番から3番まで最後の ♪ ~ おんな傘 ~ をすべてファルセットを使うことで、女らしさを演じています」
決して泣き歌にならなかったのも、ファンの心をとらえたのだろう。
■歌世界を人々へ
6歳から習い始めた日舞は16年前に若柳流の名取の資格を修得。歌よりもキャリアは長い。高校時代にポップスを歌い始めた。出場したカラオケ大会の課題曲が演歌であったことから、演歌を歌うようになったという。
転機となった「夕霧草」から市川の作曲を手がけている幸耕平からは「歌は詞の世界観を理解して、聴く人に伝えることが大切」とアドバイスされている。
「そのアドバイスが最近、ようやくようやく理解出来るようになってきました。それが歌に少しでも反映されていればうれしいです」
市川由紀乃さんの弟ですか、と訊ねるファンもいるという。「レッスンで一緒になることもありましたが、そんなことはありません」と市川は笑っている。
10年の歳月の中で、市川たかしに花を咲かせたいといったファンも増えた。それに応えるのが自分の使命とばかりに、女ごころを歌う甘い声を響かせる。
[市川たかし オフィシャルサイト]
http://ameblo.jp/ichikawatakashi/
[市川たかし 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/ichikawa.html
「今までの作品の中で一番いい手応えを感じています」
「おんな傘」は、デビュー4作目の「夕霧草」と曲調が似ているが、女心を歌にのせて表現することが、ようやく市川の身に付いてきたのかもしれない。歌に色が出てきたといった評価も聞かれる。
こうした「しっとり路線が自分には合っているようです」と市川はいうが、「でも女心ってわからないところがありますね」とも。
ももっとも作詞を担当した千倉安稀はちろんそう簡単にわかってたまるか-と、言いそうである。「おんな傘」は、女性の目線で一途な恋心を描いている。
そのように難しい楽曲を歌(声)でどのように表現するかは、彼にとっては「夕霧草」からの課題でもある。
「今作では雨が、女性の心を表すものとして、重要なファクターとして使われています。雨がこんなに女性の心の内を表せるのか、と驚いています」(市川)
一途な女性を歌うのは「夕霧草」からである。
「柔らかくて気高く芯がある女性を表現したいと常々思っています。今作では、1番から3番まで最後の ♪ ~ おんな傘 ~ をすべてファルセットを使うことで、女らしさを演じています」
決して泣き歌にならなかったのも、ファンの心をとらえたのだろう。
■歌世界を人々へ
6歳から習い始めた日舞は16年前に若柳流の名取の資格を修得。歌よりもキャリアは長い。高校時代にポップスを歌い始めた。出場したカラオケ大会の課題曲が演歌であったことから、演歌を歌うようになったという。
転機となった「夕霧草」から市川の作曲を手がけている幸耕平からは「歌は詞の世界観を理解して、聴く人に伝えることが大切」とアドバイスされている。
「そのアドバイスが最近、ようやくようやく理解出来るようになってきました。それが歌に少しでも反映されていればうれしいです」
市川由紀乃さんの弟ですか、と訊ねるファンもいるという。「レッスンで一緒になることもありましたが、そんなことはありません」と市川は笑っている。
10年の歳月の中で、市川たかしに花を咲かせたいといったファンも増えた。それに応えるのが自分の使命とばかりに、女ごころを歌う甘い声を響かせる。
[市川たかし オフィシャルサイト]
http://ameblo.jp/ichikawatakashi/
[市川たかし 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/ichikawa.html
赤井林檎(ホリデージャパン) 真っ赤なジャケットで10年ぶりに復帰 ふる里へ想いをはせる「津軽三味線」を6月にリリース [インタビュー]
◆ポケットにりんごのアップリケを付けた真っ赤なジャケットに身を包んで現れたのが赤井林檎。その名の通りにりんごのような出で立ちであった。かつて原田淳の名前で各地の病院を巡り、ボランティアで歌っていた。その際にいつも手土産に持って行っていたのが、ふる里津軽のりんごをだったことから、いつの間にか「りんごちゃん」のニックネームが付いた。その<りんご>を新たな芸名にして、2017年6月21日に出した「津軽三味線」で、10年ぶりに歌手復帰を果たした。同7月2日、東大阪市のイトーヨーカドー東大阪店で行われた「歌謡フェスタ in イトーヨーカドー東大阪店」で、その歌を披露した。
出身は青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)で、作家の太宰治、歌手の吉幾三も同郷である。「最初にステージに立ったのは18歳だった」(赤井)と芸歴は古い。途中、吉本興業でぴんからトリオの宮史郎の付き人をするなど、下積み生活も長かった。
本格的な歌手活動を始めたのは2003年。ガウスエンタテインメントから出した「女の運命」だった。07年まで「特急つがる」(徳間ジャパンコミュニケーションズ)「風雪岬」(バップ)「酒しぐれ」(徳間コミュニケーションズ)をリリースするものの、病気や事故が続いてやむなく歌手を休業することになった。
「人生の最後に花を咲かせたい」と歌手業に復帰した。と言ってもまだ65歳。復帰後初のキャンペーンとなった「歌謡フェスタ in イトーヨーカドー東大阪店」では、代表曲の「特急つがる」と新曲「津軽三味線」、そのカップリング曲の「大阪化粧」の3曲を披露したが、最後に「きょうは僕の歌を聞いて頂き、ありがとうございました」と、何とも控えめ。
彼を応援する女性のひとりも「自分から前へ出ようとはしない性格」と、彼を評する。それがまた、女性人気を集めているのだともいう。
新曲「津軽三味線」は、五所川原が発祥の地である津軽三味線を盛り込むとともに、津軽の河原や野山で陽が落ちるまで遊んだ幼い頃の想い出を歌った望郷歌である。カップリングの「大阪化粧」とともに、赤井林檎が作詞・作曲をしている。
真っ赤なりんごのようなジャケットに緑のシャツは<りんご>そのもの。大阪演歌を盛り上げる歌手がひとり帰ってきたようでもある。
出身は青森県北津軽郡金木町(現・五所川原市)で、作家の太宰治、歌手の吉幾三も同郷である。「最初にステージに立ったのは18歳だった」(赤井)と芸歴は古い。途中、吉本興業でぴんからトリオの宮史郎の付き人をするなど、下積み生活も長かった。
本格的な歌手活動を始めたのは2003年。ガウスエンタテインメントから出した「女の運命」だった。07年まで「特急つがる」(徳間ジャパンコミュニケーションズ)「風雪岬」(バップ)「酒しぐれ」(徳間コミュニケーションズ)をリリースするものの、病気や事故が続いてやむなく歌手を休業することになった。
「人生の最後に花を咲かせたい」と歌手業に復帰した。と言ってもまだ65歳。復帰後初のキャンペーンとなった「歌謡フェスタ in イトーヨーカドー東大阪店」では、代表曲の「特急つがる」と新曲「津軽三味線」、そのカップリング曲の「大阪化粧」の3曲を披露したが、最後に「きょうは僕の歌を聞いて頂き、ありがとうございました」と、何とも控えめ。
彼を応援する女性のひとりも「自分から前へ出ようとはしない性格」と、彼を評する。それがまた、女性人気を集めているのだともいう。
新曲「津軽三味線」は、五所川原が発祥の地である津軽三味線を盛り込むとともに、津軽の河原や野山で陽が落ちるまで遊んだ幼い頃の想い出を歌った望郷歌である。カップリングの「大阪化粧」とともに、赤井林檎が作詞・作曲をしている。
真っ赤なりんごのようなジャケットに緑のシャツは<りんご>そのもの。大阪演歌を盛り上げる歌手がひとり帰ってきたようでもある。