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島津悦子(キングレコード)   「大菩薩峠」 道行きをテーマにスケール感ある歌世界を演じる  デビュー30周年記念曲 [インタビュー]

島津悦子.jpg「大菩薩峠」と言えば誰もが知る虚無で盲目の剣士、机竜之助が主人公の未完の長編時代小説であるが、キングレコードの歌手、島津悦子が2017年4月5日に出した同名タイトルの新曲は、彼女が初めて挑戦する道行きを歌った、しかもスケールが大きくて重厚感のある1曲だ。作詞は志賀大介、作曲は弦哲也、編曲は川村栄二。数年前に出来上がっていた楽曲だったが、デビュー30周年を迎えた彼女に記念曲として提供された。島津は「次のステップ向けてのスタートを切る自分にとって、歌手冥利に尽きる作品です」と、新しい歌世界への期待を寄せている。


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 「2ハーフという歌の長さ、テーマは男女の道行き、その片方の女性の情念を歌っています。このような作品は、私の30年の歌手人生で出した52枚のCDの中でも初めてのものです」
 島津悦子はインタビューの冒頭で、こう説明した。

 この歌は ♪ 途ならぬ 途もまた途 ~ で始まる。そして ♪ この途を ~(中略) ~ 二人の地獄を 照らしている ~ と、先の見えない恋を暗示させる。ラストは ♪ 恋 恋々 夜が燃えます 大菩薩峠 ~ で締めくくり、それでも熱く燃える2人の恋はどんな苦難にも立ち向かっていくといった、男女の決心の固さを見せている。
 島津は「石川さゆりさんの『天城越え』の世界のように、激しい女性の情念を表しています。同じように息の長い歌になれば、と願っています」と、話す。

島津悦子3.jpg

 男女のただならぬ恋模様を大菩薩峠といった峠で表すことで、この歌に特別な重厚感を持たせている。
 「大菩薩峠」と聞いて、まず連想するのが、中里介山の同名小説だろう。映画では片岡千恵蔵や市川雷蔵などが、主人公の机竜之助を演じている。女優の中村玉緒はこの映画に出演してブルーリボン賞を受賞しているが「この作品で女優として認められることになった」と、後年のテレビのインタビュー番組で語っているいる。

 同様に島津にとっても、この「大菩薩峠」が自身の名前を演歌・歌謡史に残す作品にしたいところである。

■原点は観光バス飛び乗りキャンペーン

 島津悦子のデビューは1988(昭和63)年4月21日だった。デビュー曲は「しのび宿」(キングレコード)。7社7人の競作で、売れないと次はない。そんな想いだった。まだレコード盤の時代で、デビュー2枚目の「恋路浜」(1990年)からCDに替わっている。昭和から平成に変わって2年目であり、まさに世の中の変わり目であった。

 ふる里・鹿児島の高校を卒業して、静岡県にある静岡鉄道の観光バス部門に就職した島津は、ここで2年半の間、バスガイドとして働いている。寮住まいで給料は7万円だった。それでも切りつめて約300万円を貯めて、プライベート盤歌手としてスタートする資金にした。
 82歳と80歳になる父母は今も健在だが、かつては牛や豚を飼って農業を営んでいた。「10円でも大切にする堅実な生活で、そんな両親の姿を見ていたため、浪費することはなく、生活のやり繰りは上手かった」と島津は笑う。

島津悦子2.jpg プライベート盤時代は6年間続く。
 事務所には島津を含めて5人の社員がいたが、稼ぐのは彼女ひとりであった。CDを販売したり国内外で歌謡ショーを開くなど、なりふり構わずに、5人分の給料を稼いだ。
 昼はバスガイド時代の経験を生かして、サービスエリアなどに停まっている観光バスに、アポなしで飛び乗り、歌唱キャンペーンである。1日に20台、30台のバスで、歌って乗客にCDを買ってもらう。夜はスナックなどに場所を替えてのキャンペーンであった。

 「バスの出発5分前に乗り込んで歌ったこともありました。歌うのはもちろんですが、音響からCD販売とすべてを1人でやりました」

 この観光バスへの飛び乗り歌唱キャンペーンは、メジャーデビューしてからも、3作目の「紙の宿」まで3年間続けた。それ以降は事務所が変わったこともあって止めたが、島津は「20代のあの時の経験は若さという馬力もありましたが、歌手としての原点になっていますね。どんな辛いことでも耐えることが出来るようになりました」と話す、その笑顔からはそんな苦労は微塵も感じさせないのだが。

 それでも島津にとって6年のインディーズ時代は「なが~いトンネル」だった。プライベート盤歌手がどんなに大会場をいっぱいにしても、話題にもならないし、存在感を示すことが出来なかったのは、心を陰鬱にさせた。それだけに「早くメジャー歌手になりたい」といつも思い続けていた。
 飛び乗りキャンペーンもバスの中で歌うまでは、気が重くて仕方なかった。
 バス搭乗口の1段目のステップでは、バスに乗りたくないという想いで足取りが重いし、2段目もまだ、こんなことやりたくない、という憂うつな気持ちである。

 3段目に足をかける・・・。
 するとどうだろう、3段を昇り切ってお客の顔を見ると「こんにちわ~。島津悦子です。歌を聴いて下さい」と満面の笑みに変わっていた。
 もちろんバスガイドや乗客から嫌な顔をされたこともあった。
 それでも両親から「歌手を辞めろ、と言われたことがなかった」ことや、「それでも辞めたい時にはいつでも田舎へ帰ってこい」と、温かく見守られ続けていたことが励みになった。

■全国3会場で30周年記念コンサート

 今、全国へ行くと、かつて観光バスに飛び乗って歌った時に、CDを買ってくれた人たちと再会することがある。当時の写真やサイン色紙を出して「テレビなどで立派になった姿を見せてもらっているよ」「元気だった」などと、皆、口々に声をかけてくれる。
 島津は「今までの歩みは間違いじゃなかった」と、2017年9月27日、金沢市の本多の森ホールから始まる「島津悦子30周年記念コンサート」では、そうしたインディーズ時代からすべての出会いに感謝を込めて歌う。

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 同記念コンサートは同10月8日には鹿児島市の鹿児島市民文化ホールで、同10月26日は東京・浅草公会堂でも開く。






[島津悦子 オフィシャルサイト]
http://www.shimazu-etsuko.net/
[島津悦子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10397






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