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蒼彦太、ファンの励ましがはげみに 「浮世がらす」で歌手として生きる強い意気込み

◆多くの歌手にとってコロナ騒動の3年余の期間は、仕事もなく暗黒のような時期であったという。大阪発流行歌ライブに13年ぶりに出演した歌手、蒼彦太(徳間ジャパンコミュニケーションズ)もその1人であった。「このままで歌手を続けていけるのだろうか」。不安な毎日が続いたという。それを助けてくれたのは、ファンから届いた温かいメッセージであった。去年出した新曲「浮世がらす」では、歌手として生きて行く強い意気込みを感じさせている。

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写真・蒼彦太


 演歌歌手を目指し始めたのは中学のころ。テレビで氷川きよしを見て衝撃を受けたという。香川県内の高校を卒業して上京し、伊戸のりお・円香乃に師事している。テレビの新人歌手オーディション番組で優勝し、翌2011年3月、22歳の時に「カラオケ流し」でデビューした。

 出身がうどんで有名な香川県(うどん県)とあって、デビュー前には創業が香川・高松市のなまるうどん(本社・東京都)で働いていたことがある。
 大阪でのデビューのお披露目は、同市内のはなまるうどんのチェーン店で行ったほど。

 新曲「浮世がらす」は11枚目のシングルである。デビューからほぼ1年に1枚の割でシングルを発売しており、コロナの期間中にも3枚を出している。
 しかしコロナは歌手活動を停滞させた。

 「大阪は好きなんですが、来ることが出来ませんでした。流行歌ライブにも呼んでもらえなかったし(笑)」
 不安ばかりが募っていたようである。ところがこの間、彼を励ましてくれたのがファンから寄せられた葉書やメールだったという。

 「温かい応援のメッセージを読んでいると、歌手を辞めないでもう少し頑張ってみよう、と思えるようになったんです」と蒼。

 デビュー間もない頃、大阪でキャンペーンをした時のことを今でも鮮明に彼は覚えている。

 「訪ねた先で〈歌手を辞めないでね〉と言われた事があるんです。デビューしたばかりなのに、辞めるわけなんかないのに変な事をいう人だと思ったんです。その方はすでに亡くなられていますが、悩んでいたコロナ期にはその言葉がよみがって来て、歌手を続ける力になりました。皆さんから掛けられた声は、一生僕の中に残り続けます」

 去年10月に出した久仁京介作詞の「浮世がらす」(作曲・水森英夫)を、♪ 決めた道なら それで良し (中略) 俺はやりたい ことをやる 〜 と歌うように、蒼自身にとって「この歌は自分の歌い手人生と重なってくる作品なのです」と話している。

 13年ぶりに出演した24年3月13日に開かれた大阪発流行歌ライブではトリを務めたが、「13年前に出演した時はトップバッターで、歌うのに精一杯でした」と振り返っていた。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[蒼彦太 オフィシャルサイト]
http://aoi-hicota.com/
[蒼彦太 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/aoi_hikota.html








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