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内田あかり(日本クラウン) 「ホテル・サンセット」 大人の恋歌 歌を伝える楽しさ実感 [インタビュー]

内田あかり.jpg内田あかりと言えば、70万枚を売上げ自身1番のヒット曲となった、あの「浮世絵の街」(1973年)を思い出す。2017年11月には日本クラウン移籍第2弾シングル「ホテル・サンセット」を出したばかりである。大人の失恋歌であるが、ムードたっぷりに聴かせるあたりは、歌手歴50年というキャリアならではの技なのだろう。一時、女優業に専念していたが、ここ20年ほどは歌1本に集中する。10月に70歳を迎えた内田は「今、歌うのがとても楽しい」と話し、歌う喜びを身体いっぱいに表現しているようである。


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 このほど大阪でのキャンペーンを終えた内田あかりは「初めてカラオケ喫茶店での歌唱キャンペーンを体験しました」と、歌好きな人たちと一緒に歌を楽しんだ。CDショップやショッピングモールでのインストアライブは去年から始めており、今回、新曲「ホテル・サンセット」のPRを兼ねて、大阪・堺市内のおおとりウイングスでもたくさんの人を集めた。

 その「ホテル・サンセット」は、内田のカラーを大切にして作られた作品で、失恋した切ない昔を思い出す大人の歌謡曲。「難しいカラオケに挑戦したい人にはピッタリなお洒落な歌」と内田。

 愛を残したままに別れてしまった女性。ある日、誰の目にも幸せそうに映る相手の男性の姿を見かける。その瞬間、かつての恋を思い出してしまう女心の深層へと入っていく。それをまるで自ら演じるドラマのように歌う。

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言葉を伝える歌唱を続ける

 彼女の歌は「詞の内容を理解して、喋るのではなく、リズムの中で言葉を大事に相手に伝わるように」(内田)と歌うのである。それは芸能界デビューが女優からだった、という経験から掴んだものだった。

 大阪の中学を卒業してジャズ喫茶で歌っていたが、16歳の時にスカウトされて上京。3年後にTBSの連続ドラマに出演しており、歌手としてデビューするのは翌年になってからである。1990年代になって女優としての仕事を増やしていった。
 「トレンディドラマで母親役を演じたことがありましたが、これが歌にもいい影響を与えてくれましたね。歌は語れ、セリフは歌えと言いますが、そのあたりから語るように歌えるようになりました」

■歌のアスリート

 そんな女優業を少し離れて歌一本に集中するようになって20年になる。若い時には分からなかった、歌うことに幸せを感じるようになってきたのは、最近の10年だという。
 「ステージで歌う声の一言ひとことが、どのように響いているのかを考えるようになり、それが分かるようになったのです。それまでにはなかったことでした」
 それが幸せ感を紡ぎ出している。

 ステージで内田はオリジナル曲よりも、カバー曲をよく歌う。しかも決して崩さずに、オリジナル曲のように伝えている。
 そうした歌も何年歌っていても、絶対に満足感はないというが、歌を伝えれていることを実感することで「やり終えたという感覚が得られ、それは歌のアスリートのように、全力投球したような気分にしてくれる」のだという。

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幾つになってもロマンチックさを忘れない歌い手の内田あかり

 ロマンチックな心を「今はごく自然に歌えるんです」と、新曲「ホテル・サンセット」で、多くの女性ファンの心を響かせているのも、そうした彼女ならではの歌への想いがあるからであろう。





[内田あかり オフィシャルサイト]
http://www.uchidaakari.com/
[内田あかり 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/uchida/whats.html






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