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長山悦子、 「城崎ふたり」で歌手デビューして3年 遍歴を演歌に託す [インタビュー]

◆ ♬ 私ひとりが 身を引けば 何もなかった ことになる 〜 歌手長山悦子が2018年に出したデビューシングル「城崎ふたり」(CIMSミュージックエンタテインメント)である。もともと文学少女だった彼女自身が作詞も手がけた。自身の数多くの経験が歌に生かされている。

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長山悦子


 「城崎ふたり」(作詞・長山悦子、作編曲・石倉佑馬)で永年の夢であったCDデビューを果たした長山の芸能界デビューは、21歳の時に遡る。大学時代に演劇部に属していた経験を生かし、スカウトされた京都太秦撮影所で女優活動始めたのが最初である。大阪の芸能事務所に属して、その後、村田英雄に師事して前座として歌手活動も経験している。

「家を飛び出しての挑戦でした。それでも親に見つかってしまって、連れ戻されてしまったんですが」と長山。

 それからはラジオのパーソナリティや司会業などをしてきた。結婚、出産、離婚を経て、資格を生かして小学校の教師に就いている。
 そのまま平穏な人生を歩むはずだった。好事魔多しである。癌と診断され、25年勤めた教師も辞めることになってしまった。

 その後は塾経営などをするが、歌への想いを断ち難く、兵庫県たつの市内で喫茶店・カラオケ喫茶店を始めている。そんな時、音楽関係者との知り合いから教えてもらったオーディションを受けることになった。
 ところがそれは楽器を使えるシンガーソングライターを求めるオーディションであった。後になって間違っていたことに気づく長山だったが、その場は平然と都はるみの「涙の連絡船」を歌ったという。

 後日それがきっかけとなって、その会社のプロデューサーに、自分が書いた詞を見てもらう機会を得る。歌手としての再出発の1歩につながったのであるから、チャンスはどこにころがっているのか分からない。
 文章を書くのが好きだった彼女は中学時代から、瀬戸内晴美(寂聴)や松本清張、金子みすずと、小説や詩集と何でも読んできた。小説家を夢見ていたし、心が傷つくといつも詩を書いていたという。

 あれこれと遍歴を重ねてきた長山、「これからは歌1筋でやっていきます」と、153センチの小柄ながらも決意は強い。今は「プレミアム歌謡ショー」(サンテレビ)「歌謡ONステージ」(道頓堀ZAZA)などに出演している。
 今冬にはカバーアルバムを出す予定で、そのための準備を進めているという。

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[長山悦子 城崎ふたり]
https://youtu.be/JM0kjfoe4xo








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