恋川いろは、片肌脱いだ華やかな歌と舞で魅了 [インタビュー]
◆扇を片手に片肌を脱いだ華やかな舞と歌ー。ともすれば画一的になりかねないステージに、新鮮な風を吹き込んでくれている恋川いろは(日本クラウン)。キャッチフレーズは「踊るエンカーテイナー」。2歳から岩井流の日本舞踊を習い、歌手デビューする以前の10年前からは踊って歌うスタイルを取り入れてきたが、今は歌って踊る歌手である。
写真・恋川いろは
歌手恋川いろはが誕生したのは2019年9月であった。デビュー曲は「恋紅葉(こいもみじ)」(作詞・麻こよみ、作曲・岡千秋 / テイチクエンタテインメント) カップリング曲は「焼け棒杭」。
動画・メジャーデビュー曲「恋紅葉」
デビューするまでは新舞踊の一蘭春蝶(いちらん・しゅんちょう)の名で踊って歌っていた。
そんな時に神奈川県で唯一の村として知られる風光明媚な神奈川県清川村の歌を歌っていたところ、「演歌を歌わないか」と、話をもらったのが歌手デビューのきっかけとなった。
「歌は下手だし演歌なんか歌えないけれど、と思ったんですが、皆んなカラオケは歌っているから」と、押し切られた形であった。
写真・24年1月25日のKOBE流行歌ライブで 新開地アートひろば2階ホール
すでに舞踊家としては名前も売れていたので、それを捨てて歌手にという事には反対の声もあったが、勧められるままにテイチクのオーディションを受けることにした。
ところが結果は散々・・・
「15曲も歌った挙句、歌は上手くないとCDは売れないよ。選考結果が出たら電話するから、なんて言い捨てられ、これはダメだと思いましたけどね」
数日して電話がかかってきた。
「見た目が良かったから、そこは買うよ」と採用が決まった。
歌を気に入られた訳ではなかったけれど、取り敢えずは歌手デビューは出来ることになった。
■きょうが最後と思って立つステージ
家には沢山の「恋紅葉」のCDが届いて、えっ、と驚くほど山積みになった。
それからまもなくコロナ騒動で世の中は歌どころではなくなった。
写真・日本クラウン移籍第2弾の「あだなさけ夢のからくり」
写真・移籍第1弾の「くれない夜舟」
それでも歌ってこれを売らなければーと、ツテを頼って鹿児島、広島、兵庫、長野など各地の知人やCDショップを訪ねてキャンペーンを行い、1枚1枚のCDを手売りをして、「今までに3600枚ほど売れました」と、迫力を感じさせる。
デビューしたものの、コロナのために思ったように歌手活動は出来ない。
そこで「ユーチューバーになろうと、下手なギター片手に歌って配信を始めたんです。すると入院しているというおじいちゃんやおばあちゃんから、楽しいから次はこの歌を歌ってーなんてリクエストが来るようになったんです」と人気が出てきた。
そんな恋川のユーチューブチャンネル「ジャノメの小屋」は今もアクセス数を増やしている。
動画・一家総出の楽しい1年前の映像も
ステージでは彼女の衣装が目を引く。着物からドレスへの早替りもそのひとつである。
恋川として初出演となった2024年1月25日のKOBE流行歌ライブ(春蝶時代にも1度出演している)でも、着物から大きくスリットの入ったドレスに早着替えして披露するなど観客を楽しませていた。
「歌に自信がなくて、それを誤魔化すために始めたことなんです」
と照れ隠しをする彼女だが、CDが売れない時代の新たなパフォーマンスの方法でもあろう。
写真・24年1月25日のKOBE流行歌ライブで 新開地アートひろば2階ホール
でも歌は少しずつ上手くなっているよ、と言ってくれる人もいるという。ファンの中には、「その声でお疲れ様でした、と言ってほしい」と、声に魅力を感じる人も少なくはない。
彼女はある日、作曲家の徳久広司に自分がギターを弾きながら歌っているところの映像を収めたビデオレターを送ったことがある。
すると「歌も下手だけどギターも下手だなぁーと返事が来たんです」と笑うのだが、彼女は楽しいことが大好きなエンタティナーであり続けたいという。
そんな恋川は連日、全国各地を巡りながらの歌手活動を続けている。
「これが最後の舞台になるかもしれない、と1回1回を勝負する気持ちで臨んでいます。人との一期一会の出会いによって、ステージを楽しんでもらい、元気になってもらうのが1番です」
これからの歌手恋川いろはが目指す姿なのである。
動画・早着替えにお面芸、創作舞踊と色んな特技を活かしながら最新曲「あだなさけ夢のからくり」(作詞・朝比奈京仔、作曲・徳久広司)は聴くものを楽しくさせてくれる
※写真・記事の無断使用はお断りします。
[恋川いろは オフィシャルサイト]
https://koikawairoha.com/
[恋川いろは 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/koikawa/news?ima=2453&ct=ryuko
写真・恋川いろは
歌手恋川いろはが誕生したのは2019年9月であった。デビュー曲は「恋紅葉(こいもみじ)」(作詞・麻こよみ、作曲・岡千秋 / テイチクエンタテインメント) カップリング曲は「焼け棒杭」。
動画・メジャーデビュー曲「恋紅葉」
デビューするまでは新舞踊の一蘭春蝶(いちらん・しゅんちょう)の名で踊って歌っていた。
そんな時に神奈川県で唯一の村として知られる風光明媚な神奈川県清川村の歌を歌っていたところ、「演歌を歌わないか」と、話をもらったのが歌手デビューのきっかけとなった。
「歌は下手だし演歌なんか歌えないけれど、と思ったんですが、皆んなカラオケは歌っているから」と、押し切られた形であった。
写真・24年1月25日のKOBE流行歌ライブで 新開地アートひろば2階ホール
すでに舞踊家としては名前も売れていたので、それを捨てて歌手にという事には反対の声もあったが、勧められるままにテイチクのオーディションを受けることにした。
ところが結果は散々・・・
「15曲も歌った挙句、歌は上手くないとCDは売れないよ。選考結果が出たら電話するから、なんて言い捨てられ、これはダメだと思いましたけどね」
数日して電話がかかってきた。
「見た目が良かったから、そこは買うよ」と採用が決まった。
歌を気に入られた訳ではなかったけれど、取り敢えずは歌手デビューは出来ることになった。
■きょうが最後と思って立つステージ
家には沢山の「恋紅葉」のCDが届いて、えっ、と驚くほど山積みになった。
それからまもなくコロナ騒動で世の中は歌どころではなくなった。
写真・日本クラウン移籍第2弾の「あだなさけ夢のからくり」
写真・移籍第1弾の「くれない夜舟」
それでも歌ってこれを売らなければーと、ツテを頼って鹿児島、広島、兵庫、長野など各地の知人やCDショップを訪ねてキャンペーンを行い、1枚1枚のCDを手売りをして、「今までに3600枚ほど売れました」と、迫力を感じさせる。
デビューしたものの、コロナのために思ったように歌手活動は出来ない。
そこで「ユーチューバーになろうと、下手なギター片手に歌って配信を始めたんです。すると入院しているというおじいちゃんやおばあちゃんから、楽しいから次はこの歌を歌ってーなんてリクエストが来るようになったんです」と人気が出てきた。
そんな恋川のユーチューブチャンネル「ジャノメの小屋」は今もアクセス数を増やしている。
動画・一家総出の楽しい1年前の映像も
ステージでは彼女の衣装が目を引く。着物からドレスへの早替りもそのひとつである。
恋川として初出演となった2024年1月25日のKOBE流行歌ライブ(春蝶時代にも1度出演している)でも、着物から大きくスリットの入ったドレスに早着替えして披露するなど観客を楽しませていた。
「歌に自信がなくて、それを誤魔化すために始めたことなんです」
と照れ隠しをする彼女だが、CDが売れない時代の新たなパフォーマンスの方法でもあろう。
写真・24年1月25日のKOBE流行歌ライブで 新開地アートひろば2階ホール
でも歌は少しずつ上手くなっているよ、と言ってくれる人もいるという。ファンの中には、「その声でお疲れ様でした、と言ってほしい」と、声に魅力を感じる人も少なくはない。
彼女はある日、作曲家の徳久広司に自分がギターを弾きながら歌っているところの映像を収めたビデオレターを送ったことがある。
すると「歌も下手だけどギターも下手だなぁーと返事が来たんです」と笑うのだが、彼女は楽しいことが大好きなエンタティナーであり続けたいという。
そんな恋川は連日、全国各地を巡りながらの歌手活動を続けている。
「これが最後の舞台になるかもしれない、と1回1回を勝負する気持ちで臨んでいます。人との一期一会の出会いによって、ステージを楽しんでもらい、元気になってもらうのが1番です」
これからの歌手恋川いろはが目指す姿なのである。
動画・早着替えにお面芸、創作舞踊と色んな特技を活かしながら最新曲「あだなさけ夢のからくり」(作詞・朝比奈京仔、作曲・徳久広司)は聴くものを楽しくさせてくれる
※写真・記事の無断使用はお断りします。
[恋川いろは オフィシャルサイト]
https://koikawairoha.com/
[恋川いろは 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/koikawa/news?ima=2453&ct=ryuko