木下結子(ホリデージャパン) 新曲「泣いてもええやろ」発売記念ライブ 尼崎・サウンドステージ月光 [ライブ]
◆歌手木下結子のホリデージャパン移籍第1弾「泣いてもええやろ」(作詞・もりこうすけ、作曲・サスケ、編曲・矢田部正)の発売記念ライブが2020年10月24日、兵庫県尼崎市のカラオケ喫茶店、サウンドステージ月光で開かれた。デビュー曲で代表曲でもある「放されて」(1984年)以来の、大阪弁で歌うバラードの新曲を披露した木下は「今年迎えた還暦からの歌人生を、ぼちぼちと歩んでいきたい」と、新たなスタートへの想いを話していた。
37年目の想いをのせて歌う
新曲発売日の10月21日にも同じサウンドステージ月光で発売記念ライブを開いており、この日はこれに次ぐ第2弾だったが、前回を上回る観客で会場はいっぱいになった。
ライブでは新曲を披露すると共に、36年の歌手人生を振り返るように、デビュー曲から2ndシングル「純平恋唄」(1987年)5年目に出した「ノラ」(1989年)2004年に出した「放されて04」そのカップリング曲「今はこのままで」と、思い出の楽曲を次々と歌った。
哀しい涙と美しい大阪湾の夕陽が対照的な新曲「ないてもええやろ」
「放されて」は当初、大阪ローカル盤、いわゆるプライベート盤として日本コロムビアから発売されるはずだった。ところがレコーディングが終わった直後に、全国発売に切り替わり、木下は急きょ東京へ引っ越しすることになった。事務所は都はるみが抜けたサンミュージックに決まった。
本人にとっても驚くばかりの出来事であった。
1980年代後半にかけて流行った大阪ものの楽曲の走りとなった作品でもあり、その年の有線放送大賞新人賞にもノミネートされている。
36年の歴史を振り返りながらオリジナル曲を歌った
今も変わらぬ高い歌唱力がすでに評価されていた訳であるが、3年後に出した「純平恋唄」は売れなかった。当時としては歌詞の表現に反社会性があったのか「NHKでは放送禁止になった」(木下)し、歌う機会も限られたという。
木下のデビュー当時の思い出を話す鈴木さん(右)
デビュー前から木下を支えていた1人が、当時の日本コロムビア大阪レコード営業所で営業課長をしていた鈴木健朗さんであった。レコード卸会社のライラック商事(当時)と一緒になって、関西各地でキャンペーンを行なっている。
その後、鈴木さんは広島営業所長、東京本社勤務を経て、現在は勇退しているが、木下の応援は変わりなく続けている。この日も会場に姿を見せていた。
■もう少し聴いてほしい
木下結子の歌の魅力は物語性のある歌唱にある。
デビュー5年目に出した「ノラ」(1989年)は、当初は「野良」のタイトルになるはずだった。詞を書いたのはちあき哲也(2015年5月没)。当時、母を亡くしたばかりの氏は「しばらく仕事はしない」と依頼を断っていたが、作曲をした徳久広司の再三の説得に折れ、「曲を先に書いてくれれば」という条件で、名曲が出来上がった。
ちあきはその後、母を亡くした時の思いを綴った「吾亦紅」(2007年)を杉本眞人に贈り、大ヒットさせている。
衰えぬ歌唱力は今も全国区
木下は2012年から日本クラウンで6枚のシングルを出している。その迫力あるブルース・バラードは、いずれも聴く者の耳をそば立たせる。
その中から3曲を歌ったが、中でも「ウヰスキー」(2012年)は今でも必ずステージで歌う。それは歌詞にある、人生はやり直しができる、いいことあると思わなきゃ 〜 と、弱気になりがちな気持ちを奮い立たせてくれるからである。
歌手を辞めることも考えた
還暦を迎えたのを機に、木下は歌手を辞めることを考えていた。
世の中はコロナ、コロナで暗鬱としている。希望も感じられないから尚更であった。でも、ファンの声援もあって踏みとどまることにした。しかしここでも、やはり「ウヰスキー」が元気をくれたようである。
「今回の移籍を境に住まいも引っ越しをし、もう少し歌って行こう、もう少し聴いてもらいたい」
そんな想いで、デビュー当時に還るような大阪弁で歌う新曲「泣いてもええやろ」にかけた。
■これからも歌います
新曲では、36年間で流した沢山の涙の捨て場所に大阪湾を選んだ。デビュー曲でのそれは大淀川(淀川)だったが、そこでは足りないほどの涙の量なのである。歌では揃いのピアスも大阪湾に放してしまう。大阪湾に沈む夕陽がいずれは朝日になるように、出直すんやーと、歌はどこか木下本人の気持ちと重なるようであった。そんな歌には、会場からも大きな拍手が起こっていた。
大きな拍手が送られた新曲
こうした気持ちが通じたのであろうか、文化放送系で放送中の人気ラジオ番組「走れ歌謡曲」に約10年ぶりに出演が決まったという。12月8日に放送される。また12月16日には、これも久しぶりに「大阪発流行歌ライブ」のメインコーナーに出演する。
まだまだ元気に歌いたい
「これからも元気に歌います」という木下が、この日のライブのエンディングに歌ったのは、やっぱりオリジナル曲の「ありがとう そしてこれからも・・・」であった。
エンディング曲を歌う木下(中央)
[木下結子 オフィシャルサイト]
http://nora-yuiko.jugem.jp/
[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html
37年目の想いをのせて歌う
新曲発売日の10月21日にも同じサウンドステージ月光で発売記念ライブを開いており、この日はこれに次ぐ第2弾だったが、前回を上回る観客で会場はいっぱいになった。
ライブでは新曲を披露すると共に、36年の歌手人生を振り返るように、デビュー曲から2ndシングル「純平恋唄」(1987年)5年目に出した「ノラ」(1989年)2004年に出した「放されて04」そのカップリング曲「今はこのままで」と、思い出の楽曲を次々と歌った。
哀しい涙と美しい大阪湾の夕陽が対照的な新曲「ないてもええやろ」
「放されて」は当初、大阪ローカル盤、いわゆるプライベート盤として日本コロムビアから発売されるはずだった。ところがレコーディングが終わった直後に、全国発売に切り替わり、木下は急きょ東京へ引っ越しすることになった。事務所は都はるみが抜けたサンミュージックに決まった。
本人にとっても驚くばかりの出来事であった。
1980年代後半にかけて流行った大阪ものの楽曲の走りとなった作品でもあり、その年の有線放送大賞新人賞にもノミネートされている。
36年の歴史を振り返りながらオリジナル曲を歌った
今も変わらぬ高い歌唱力がすでに評価されていた訳であるが、3年後に出した「純平恋唄」は売れなかった。当時としては歌詞の表現に反社会性があったのか「NHKでは放送禁止になった」(木下)し、歌う機会も限られたという。
木下のデビュー当時の思い出を話す鈴木さん(右)
デビュー前から木下を支えていた1人が、当時の日本コロムビア大阪レコード営業所で営業課長をしていた鈴木健朗さんであった。レコード卸会社のライラック商事(当時)と一緒になって、関西各地でキャンペーンを行なっている。
その後、鈴木さんは広島営業所長、東京本社勤務を経て、現在は勇退しているが、木下の応援は変わりなく続けている。この日も会場に姿を見せていた。
■もう少し聴いてほしい
木下結子の歌の魅力は物語性のある歌唱にある。
デビュー5年目に出した「ノラ」(1989年)は、当初は「野良」のタイトルになるはずだった。詞を書いたのはちあき哲也(2015年5月没)。当時、母を亡くしたばかりの氏は「しばらく仕事はしない」と依頼を断っていたが、作曲をした徳久広司の再三の説得に折れ、「曲を先に書いてくれれば」という条件で、名曲が出来上がった。
ちあきはその後、母を亡くした時の思いを綴った「吾亦紅」(2007年)を杉本眞人に贈り、大ヒットさせている。
衰えぬ歌唱力は今も全国区
木下は2012年から日本クラウンで6枚のシングルを出している。その迫力あるブルース・バラードは、いずれも聴く者の耳をそば立たせる。
その中から3曲を歌ったが、中でも「ウヰスキー」(2012年)は今でも必ずステージで歌う。それは歌詞にある、人生はやり直しができる、いいことあると思わなきゃ 〜 と、弱気になりがちな気持ちを奮い立たせてくれるからである。
歌手を辞めることも考えた
還暦を迎えたのを機に、木下は歌手を辞めることを考えていた。
世の中はコロナ、コロナで暗鬱としている。希望も感じられないから尚更であった。でも、ファンの声援もあって踏みとどまることにした。しかしここでも、やはり「ウヰスキー」が元気をくれたようである。
「今回の移籍を境に住まいも引っ越しをし、もう少し歌って行こう、もう少し聴いてもらいたい」
そんな想いで、デビュー当時に還るような大阪弁で歌う新曲「泣いてもええやろ」にかけた。
■これからも歌います
新曲では、36年間で流した沢山の涙の捨て場所に大阪湾を選んだ。デビュー曲でのそれは大淀川(淀川)だったが、そこでは足りないほどの涙の量なのである。歌では揃いのピアスも大阪湾に放してしまう。大阪湾に沈む夕陽がいずれは朝日になるように、出直すんやーと、歌はどこか木下本人の気持ちと重なるようであった。そんな歌には、会場からも大きな拍手が起こっていた。
大きな拍手が送られた新曲
こうした気持ちが通じたのであろうか、文化放送系で放送中の人気ラジオ番組「走れ歌謡曲」に約10年ぶりに出演が決まったという。12月8日に放送される。また12月16日には、これも久しぶりに「大阪発流行歌ライブ」のメインコーナーに出演する。
まだまだ元気に歌いたい
「これからも元気に歌います」という木下が、この日のライブのエンディングに歌ったのは、やっぱりオリジナル曲の「ありがとう そしてこれからも・・・」であった。
エンディング曲を歌う木下(中央)
[木下結子 オフィシャルサイト]
http://nora-yuiko.jugem.jp/
[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html
2020-10-25 12:08
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