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大沢桃子(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 元気な故郷を取り戻すために歌う 10枚目シングル「涙唄」 [インタビュー]

大沢桃子.jpg◆2011年3月11日、東北と関東を襲った東日本大震災では、母親など岩手県大船渡市に住む家族も被害を受けた大沢桃子は、その直前に出した10枚目のシングル「涙唄」を「聴いて下さる人がいる限り歌います」と、関西のファンたちにも元気な歌声を聴かせてくれた。











 震災直後には連絡が取れなかった家族とも、3日後には母親と、妹とは10日後に電話連絡が取れたという。しかし、故郷である三陸海岸の港町、岩手県大船渡市は壊滅的な被害を受けた、とテレビや新聞は報じていた。
 その後、大沢は被災した故郷を訪ねているが、「自分が生まれた町がなくなってしまうなんて信じられません」と悲しみは深い。
そんな震災後間もない時期に関西でのキャンペーンは行われた。それでも彼女からは笑顔が絶えなかった。

  「やっと連絡が取れた母は、電話の向こうから自分のことを頑張りなさい、と逆に私を励ましてくれました。そんな言葉に、親が困っている時にそばにいられないなんて、という思いから涙が出てくるんです」

 震災は彼女の心を傷つけたが、コンサートの延期など音楽活動にも少なからず影響をもたらした。4月に盛岡市内で予定していたコンサートは9月19日に延期されてしまった。
  「いつまでもめそめそしていは、明日にはつながらない。皆さんの力を借りながら元気を持ってもらえるようにがんばりたいです」
 そう言って自分を奮い立たせているようだった。





関西でのふれあい深まる


 大沢は東北の生まれだが、前作では京都を舞台にした「京都洛北路」を歌っている。そうしたこともあって、関西とのつながりも強まってきている。
  「関西でのキャンペーンでは人情の厚さを感じます」

  「京都洛北路」を歌ったのがきっかけとなって、昨年は関西歌謡大賞の課題曲にも選ばれている。以来、関西のカラオケサークルでも取り上げてもらえることが多くなったという。

 こうした関西でのふれあいを通して大沢は言う。
  「大阪市内で行われた店頭キャンペーンでは、300人を超える人たちが集まってくれた会場もありました。このように関西でも、私をより身近に感じてもらえるようになると、もう、ありがとうごさいます、という気持ちを越えています」

元気な故郷を呼び戻す歌


 大震災なんて想像もしていなかった3月9日に発売された新曲「涙唄」は、大沢がステップアップする大きな転機になるデビュー10周年を前に、創られた。
 大沢は自分で考えたテーマをもとに作曲家の幸耕平と共同で曲作りをしていった。彼女の中では、今までにはなかった「みんなで1つのテーブルに着いて曲を作るといった方法が取られた」のだった。

 そこから生まれたのは、身を引く恋・愛だった。もちろん作詞は〈なかむら椿〉こと大沢桃子本人である。身を引く女性の心情をストレートに書いている。
 ♪ 淋しがり屋で 泣き虫だけど 涙こらえて 見送る背中 〜
 決して恨んで別れるのではない、未練も少し見せる可愛らしい女性を描いたという。

 そんな可愛らしい女性が、このほど岩手県から「希望郷いわて文化大使」を委嘱された。
  「元気なふるさとを取り戻すためにも頑張りたい」
 大沢桃子は故郷のために歌い続ける。



[大沢桃子オフィシャルウェブサイト]
http://bspro.jp/momoko/
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