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佳山明生(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  幸せな気分にしてくれる「夢には夢を 花には花を」 歌手44周年記念曲 大阪でキャンペーン [インタビュー]

佳山明生3.jpg佳山明生がデビュー44年を記念して2016年7月6日に新曲「夢には夢を 花には花を」を出した。「氷雨」(1977年)がヒットした後、鳴かず飛ばずの歌手人生を酒でごまかしていた彼を歌の職人として立ち直らせたのが、50歳の時に出逢った妻の秀子さんだった。その奇跡とも思えるぐり遇いと妻への感謝の想いを歌にしたのがこの1曲である。東京、名古屋でのキャンペーンを終え、7月27日から大阪キャンペーン。きょう28日は堺市のジョルノ堺東などで歌を披露する。


佳山明生 夢には夢を 花には花を.jpg









 「夢には夢を 花には花を」のプロモーションビデオで佳山明生は赤い薔薇の花束を持って歌う。妻の秀子さんへ捧げる感謝のしるしである。
 佳山と秀子さんの2人の出逢いは14年前に遡る。当時、東京・六本木でラウンジを営んでいた秀子さんと、目黒の寿司店のL字形カウンターで、お互い角と角に座ったのが最初の出逢いだった。佳山はそれをきっかけにラウンジに通い始める。しかし付き合い始めるのはもう少し後だった。
 「芸能人が良く利用している印鑑屋さんがあり、僕も利用していたんですが、そこは印相を見ることでも知られていました。それが良く当たるんですよ。そこで言われたのが『彼女と仲良くしなさい』だったんです。それが付き合うきっかけですね」

 その頃の佳山は「氷雨」に続くヒットもなく、どん底の状態にもがき苦しんでいた。所属するレコード会社の日本コロムビアからも放出され「落ちるところまで落ちた」(佳山)と、言い表しようのない苦悩に打ちひしがれていた。
 無気力で投げやりになって、ただ酒ばかりを毎日飲んでいる彼に秀子さんは「もし私が好きなら、私が嫌いなことはしないで。あなたは歌が大好きなんだから、酒に逃げたりないで。酔っ払っていると商品であるべきあなたがダメになる。歌の職人になって」と、母親のように厳しい言葉を突き付けた。


佳山明生4.jpg 秀子さんはさらに「テレビに出たり名前を売ることだけが歌手じゃない。あなただけの歌を歌う職人になって」とも懇願した。そんな時にたまたま目にした週刊誌に載っていたのが歌手の森山良子の「私には歌があったから辛くなかった」といった一言だった。それにも衝撃を受けた佳山は「そうだ僕にも歌がある。歌があるから生きていける」と、再スタートを切ることを心に誓う。
 それからというもの酒は控えたし、今も晩酌もしないで、好きな歌を歌うことに真正面から向き合ってきた。

 そして今年、周年記念の歌を作ろうという話しが、徳間ジャパンコミュニケーションズのディレクター、藤田一誠から持ち込まれた。
 佳山がデビュー曲「氷雨」を日本コロムビアから発表したのは1977年だった。ところが歌手としてのスタートはそれより早かった。栃木県北部の那須高原にあるレストランシアターの専属歌手として1973年から2年間歌っている。その時に丸山明宏(現在の美輪明宏)から佳山明生の芸名を名付けてもらった。その73年から数えて44年が今年なのである。

 歌手を目指して函館の高専を中退してまで上京したのだったが、レストランで歌っていると「こんな所でくすぶっていたのではいけない」といった想いが頭をもたげてきた。2年で専属歌手を辞めた彼は、古賀政男の門をたたいた。断られ続けたが3度目でようやく「最後の門下生」として入門を許されている。
 先日、門下生の集まり「古賀音会(こがねかい)」が催され、古賀が眠る東京都杉並区の墓所で30年ぶりの墓参会が催された。それに参加した佳山は、彼に古賀の代稽古をした86歳になる川上八郎に久しぶりに再会をした。アントニオ古賀、山東昭子なども顔を揃えていた。

 歌手として第一歩を記した那須高原は、佳山明生にとってスタートの場所である。それから44年である。
 「4と4でしあわせだし、四たす四は八で末広がりで縁起かいい。しかも霊能者に見てもらうと今年と来年は運勢がいいという。そんなことで本来はキリのいい45年なんだけども、44年をデビュー記念として記念盤の『夢には夢を 花には花を』を出すことにしました」


佳山明生2.jpg 作詞家の夢ユメ子にそんな話をして詞が出来あがった。作曲はアニメソングやゲームミュージックを数多く手がける池毅が担当した。
 「女房に聴かせると、私たちのことを歌ってるの?って言うです。すぐに分かったようですね。そして『あなたらしくて一番いい歌』と喜んでくれました」

 佳山は力まずゆったりと優しく歌っているボサ・バラードである。「実際には芯のあるパワーある声をガツンと出しているんですよ。でもそれを表面には出さない」
 60歳を過ぎた佳山ならではの歌唱である。これからこうした歌をもっともっと歌っていきたいと意欲的である。
「かつての歌には夢がありました。夢が持てる歌謡曲を歌っていきたいですね」




 「夢には夢を 花には花を」のカップリングはラテンポップのリズムで恋に揺れる女心を歌う「咲かせてもう一度」、佳山自身が作詞作曲を手がけている。

 7月6日は東京都江東区のテイアラ江東大ホールでデビュー44周年を記念した「佳山明生44th(しあわせ)コンサート」を開いて44曲を歌っている。
 きょう午後12時30分から大阪府堺市のジョルノ堺東で、同4時からは同岸和田市のトークタウンで歌唱キャンペーンを行う。
 すでに東京、名古屋でキャンペーンで多くのファンに歌を披露してきたが「感動しました」「癒されます」と、とりわけ女性からの評判が良いという。





[佳山明生 オフィシャルサイト]
http://kayama-akio.com/
[佳山明生 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/kayama.html






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