SSブログ

なにわ演歌の聖地を歩く 第20回歌を歩く  大阪・新世界〜山王町てんのじ村 [イベント]

◆歌の舞台となった土地を訪ね歩く「歌を歩く」の第20回が2022年9月10日に行われた。午前11時に通天閣下の王将歌碑前に集合したメンバーは、新世界・通天閣から隣接する大阪市西成区山王町にあった通称・芸人村と呼ばれる狭い路地などを巡った。

集合・スタート 2.jpg
さぁ、出発です


 この日は地元に詳しい元・流しで、今は演歌師を名乗る田浦高志がナビゲーターとして、観光客は歩かないような、かつては芸人たちが住んでいた長屋が建ち並ぶ、てんのじ村と呼ばれた西成区山王町の路地裏まで隈なく歩いた。

 この地区には土地に所縁のある歌が数多くある。今年の4月に亡くなった作曲家の三山敏の「釜ヶ崎人情」は新世界などと隣接する釜ヶ崎地区が舞台。「歌を歩く」では以前に歩いており、今回はルートから外した。
 途中立ち寄った西成永信防災会館では田浦さんが、元浪曲師で演歌歌手の大木伸夫が歌い.今なお数多くの歌手が歌い継いでいる不朽の名曲「涙の酒」とともに、「釜ヶ崎人情」も聴かせてくれた。

田浦高志 12.jpg
ナビゲーターになってくれた浪花の演歌師、田浦高志さん

 「涙の酒」は西成が舞台ではないようだが、いずれもかつて小さな飲み屋が林立していた西成の町を、田浦が歌い流して歩いた歌に他ならない。

 ところで今回の出発地点となった通天閣は、数多く演歌に取り上げられている。通天閣歌謡劇場から今は道頓堀歌謡ONステージの座長になっている、通天閣の貴公子こと林健二さんは「通天閣の三度笠」を歌っているし、大阪を中心に活動するベテラン演歌歌手の岡田由美さんのデビュー曲もまた通天閣を歌った「通天閣の灯」であった。

通天閣 2.jpg
ご存知!通天閣
しずくちゃん 2.jpg
特別参加のしずくちゃん。途中でリタイアしました

 キングレコードのベテラン大月みやこさんもまた、「通天閣の子守唄」などを歌っている。先ごろデビュー第2弾シングル「大阪ロンリネス」を発売した田中あいみさんも通天閣を歌っているなど.それらは枚挙にいとまがない。

 このように通天閣・新世界をはじめとした、この下町エリアは〈なにわ演歌〉の原点でもある。

 さて通天閣下を出発した一向は、大坂城築城の際に石垣に使われずに、小豆島に残されたことから残念石と名付けられた石が、通天閣近くに設置してあることから、それを見学した。串カツしか目に入らない観光客には、ただの石でしかないが、大阪の歴史を知る上で貴重な遺物である。

残念石 2.jpg
大阪城築城に使われなかった残念石

 通天閣から少し北へ歩き、狭い路地へ入ると小さなゲイバーが数多く並んでいる。ゲイバーストリートと呼ばれているらしい。
 そこから今度はシャッターを降ろしている商店も多いが、100年以上の歴史があるという新世界市場へ足を向けた。

狭い路地裏には小さな飲食店がひしめいていた 2.jpg
狭い路地に ゲイバーが集まっている

 この近くに福永稲荷大神があった。食べ物の神が祀られているとされているという。ここには、ルーレット式の石板おみくじがあり、石柱の円型石板を回して出た番号によって運勢を占う。

 入口角に下駄や靴を販売する商店がある。数多くのジャズ作品を世に送り出している小さなジャズ・レーベル澤野工房は、元は下駄屋で今も新世界市場で商いを続けている。

下駄屋さんが発祥の澤野工房 2.jpg
新世界市場入口の澤野工房
新世界市場の顔出しパネル 2.jpg
なぜかこの商店街には顔出しパネルが多い

 再び通天閣へ戻って、今度は新世界がかつて大阪最大のエンタメの町であった名残を感じさせる国際会館・朝日劇場・シアター朝日といった劇場を表から見学して、ジャンジャンん横丁へと向かった。
 かつて歌謡ショーなどが行われていた、今はゲームセンターになっている新花月跡なとを見て、いよいよてんのじ村を目指した。

手描き映画看板が残る国際劇場 2.jpg
少なくなった手描き映画パネルを掲げる国際劇場
今はゲームセンターの元・新花月 2.jpg
今はゲームセンターになっている建物は、かつて歌謡ショーなどが開かれていた新花月があったところ
ジャンジャン横丁.jpg
たくさんの人で賑わうジャンジャン横丁

 昔、300人ほどの芸人が住んでいたことを示すてんのじ村の石碑を見て、昭和の面影をわずかに残す山王町に入っていく。ここには戦後、復員してきた芸人たちが住みついたのが始まりだと言われている。テレビで売れっ子になった芸人もいるが、多くは仕事を斡旋する芸能社を頼りに全国を巡業する、舞台芸にこだわりをもった人たちであった。

てんのじ村記念碑 2.jpg
てんのじ村記念碑
山王町 12.jpg
山王町
山王町 22.jpg
山王町

 ここには浪曲師も住んでいた。浪曲には欠かせない三味線は猫の皮を使っていたことから、町内の松乃木大明神猫には猫を供養する猫塚が建っている。境内では先祖を供養するかのように、猫たちが駆け回っていた。

山王町 32.jpg
山王町
猫塚 2.jpg
猫塚
猫塚の猫たち 2.jpg
猫塚の猫たち

 前後するが西成永信防災会館では、田浦の歌を聴くとともに、てんのじ村(芸人村)を紹介したビデオを鑑賞した。

鯛よし百番 2.jpg
鯛よし百番

 そこからほど近い飛田新地の外れにある、旧遊郭の面影を残した料亭「鯛よし百番」は、国の登録有形文化財に指定されている。建物は大正中期ごろに建てられたとされ、今の料亭は1970年ごろから営業を始めたという。現在は休業中である。

田浦高志 22.jpg
10月にはアルバムを発売する田浦高志さん

 ナビゲーターを務めた田浦高志さんは、10月26日には懐メロアルバム「魂情演歌」をリリースする。さらに11月10日には大阪・梅田のジャズライブハウス、ロイヤルホースで、アルバム発売記念ライブを開くことになっている。








nice!(3) 
共通テーマ:音楽

nice! 3