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山本和恵(ウイングジャパン)  地元舞鶴を歌った「岸壁の妻 〜母は白寿になりました〜」 戦後72年 繰り返してはならない戦争を  KOBE流行歌ライブで披露 [インタビュー]

山本和恵.jpg◆京都府舞鶴市出身の歌手、山本和恵(ウイングジャパン)が2017年10月4日に出した新曲「大阪恋みれん」のカップリングに、地元舞鶴を舞台に歌った「岸壁の妻 〜母は白寿になりました〜」を収録している。戦後13年続いた大陸からの引揚者を迎え入れた舞鶴港に年老いた母とともに訪ね、帰らぬ父に想いをはせる内容である。10月19日、神戸・新開地で開かれた第157回KOBE流行歌ライブで披露した。


山本和恵・大阪恋みれん 岸壁の妻・母は白寿になりました.jpg








 山本和恵は49歳で歌手デビューしており、現在67歳。今なお愛車を駆って、全国でキャンペーンやライブを展開している。「大阪恋みれん」は10枚目のシングル。作品の大半を自らが詞を書いて歌うシンガーソングライターでもある。

 「岸壁の妻 〜母は白寿になりました〜」も作詞をし、作曲家でアレンジャーの保田勝紀が作曲・編曲した。1950(昭和25)年生まれの彼女は直接には戦争を知らないものの、旧軍港の街でで生まれ育っただけに、引揚など戦争の爪痕を肌で感じてきた。それをいつかは歌にしたい、といった思いが、今回実現した。

 誰もが知る大ヒット曲「岸壁の母」は、出征した息子の帰りを待ちわびる母の姿と心情を描いた。山本の「岸壁の妻 〜母は白寿になりました〜」は、舞鶴への最後の引揚船となった白山丸まで舞鶴の港で夫の帰りを待ち続け、今は白寿(99歳)になった母を伴い、再び舞鶴の地にやって来た娘の目から歌ったもの。

 舞鶴は1945(昭和20)年の雲仙丸から50年の白山丸まで、13年間に約66万人の引揚者を受け入れてきた。
 歌では、白寿となった母は、その白山丸が港に入るまで、夫が帰還することを願い続けていたがそれも叶わず、年月を経た今、2人は引揚者が第1歩を印した平桟橋で手を合わす。
 山本はKOBE流行歌ライブで、かつて哀しい思いをしてきた人たちの心を無駄にすることなく、2度と戦争を繰り返してはいけない、といった願いを込めて歌った。


 来年1月27、28の両日には、舞台の舞鶴などを訪ねるツアーを企画、最終日の28日には福知山市内でライブを開き、「岸壁の妻 〜母は白寿になりました〜」も披露する。










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