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「渡辺要物語 歌は心の港」第12回  ふんどし歌手デビュー [半生記]

渡辺要3・ふんどし歌手.jpg◆歌手としてデビューした渡辺要は大阪にある吉本興業の舞台に立つことになる。1992年11月20日のことである。大阪・難波千日前のなんばグランド花月では秋吉英美、三門忠司と2人による紅白歌合戦が行われた。要と永井みゆきがゲストで、「若と貴」の1曲を歌った要は、3コーラス目で着ていた着物を脱いでまわし姿になったのである。ふんどし歌手のデビューであった。



渡辺要・ごんたの海.jpg











「ごんたの海」は
もず昌平による最初の作品だった

 まわし姿になると客席からは大歓声がわき起こった。石坂と要があらかじめ仕組んだことであったが、この作戦は大当たりであった。
 早速その日の打ち上げで劇場の支配人は、要がまわし姿で歌ったことを大絶賛してくれた。
 「リップサービスも若干あったのでしょうが、『あのふんどしで秋吉さんと三門さんの歌もふっ飛んでしまった』と、喜んでくれたんです」

 これがきっかけで要は請われて吉本興業に所属することになる。翌年1月には初めてグランド花月に1週間出演している。
 この頃の吉本のトップスターは横山やすし西川きよしであったが、かつての勢いは陰りを見せ始めていた。それでも中田カウス・ボタンたちと共に笑いを独占していた。

 そんな中で毎月、要は吉本の舞台に立ってふんどし歌手として歌っていたが「全然売れなかった」という。吉本時代に要は、人を楽しませるしゃべりの技を身につけ、司会業としての仕事も増やしていくのだが、この時はまだそんな域には達していなかったし、肝心の歌も聴く人の心を惹きつけるだけの力がなかったようである。

 素人のカラオケ大会では確かに「要の歌は上手い」とほめられていた。自分でも歌では人を唸らせるだけの自信はあった。ところが売れない。それは作品に恵まれないからだ、と思うようにもなっていた。

■鬼のもず

渡辺要・シーガルホテル.jpg 堺市内にある渡辺要の事務所には大阪在住の作詞家、もず唱平から届いた1枚の葉書が額縁に入れられて壁に掛けられている。その葉書には「人生を歌える歌手になりなさい」と書かれている。
要はもずとは、1997(平成9)年2月に「ごんたの海」(作詞・もず唱平、作曲・三山敏、編曲・桜庭伸幸)で初めて作品を書いてもらっている。

 すでに歌手としてデビューしていた要は、最初の「若と貴」(1992年)から数えると4枚のCDを出していたが、どれも売れなくて悩んでいた頃だった。新曲も「男意気」を出して以来、3年近く出していなかった。

 もずは「ごんたの海」を書いた97年に、要と同い年で歌手の鏡五郎と三門忠司、それに司会業の水谷ひろしの4人で〈ごんたの会〉というグループを結成している。その記者発表を吉本興業で行い、その席で瀬戸内海を舞台にした歌「ごんたの海」を発表している。歌うのはもちろん渡辺要であった。

渡辺要2.jpg 「お袋から届いた1通の手紙に書いてあった、頼りよりも無事がいい、という息子を思いやる言葉が印象的で、歌詞にもなっています」

 いい曲に出会えると必ず売れると自信があった要にとって、この楽曲を提供してもらったことは嬉しかった。ところがもずは「ごんたの海」は提供したもの、要を歌手として一から作り直そうとしたのである。

 もずはまず渡辺を盟友の作曲家三山敏に預けている。これが渡辺ともず、三山の3人による<歌手養成プロジェクトチーム>のスタートであった。要は毎日、三山の自宅へ歌の練習に通い始めた。
 しかしもずの指導は鬼のように厳しかった。
 2年ほど経ったある日、渡辺の歌を聴いていたもずは「あかん。長い間、何をしてたんや。話にならん。お前は上手く歌おうという気持ちが前に出過ぎや。カラオケを歌ってるのと違うで。そんなもんはいらん。ももええ、チームは解散や」と、すごい剣幕で渡辺を怒鳴りつけたのである。

 あまりの勢いにびっくりした要は思わず土下座をしていた。
 ただ「やり直します」というのが精一杯だった。
 もずは「飾らずに素で歌え」と言いたかったのだが、その時点ではまだ要にはその本意は解らなかった。
 それから何度か練習を聴いていたもずは「その歌や。なんでそれが出来んのや」と言ってくれるのだが、それまでの歌と何がどう違うのかまったく理解できなかった。

 要はすでに歌手デビューしていたし、れっきとした歌手であるという思いが自分の中にはあった。しかしもずの評価はそうではなかった。練習を重ねることで漸く「これで何とかデビューさせられるやろ」といったところまできた。
 そして1999(平成11)年3月、日本クラウンから「鴎(シーガル)ホテル / 相惚れ酒」(作詞・もず唱平、作曲・三山敏、編曲・小杉仁三)をリリースし、本当の意味での歌手渡辺要が誕生したのであった。

渡辺要.jpg
こんなオシャレな一面も見せてくれる(デビュー25周年記念ライブ)

 もず昌平が作詞をした、ちょっとおしゃれなタイトルの「鴎(シーガル)ホテル」は、中国・上海に実際にあるシーガルホテルで、現地の人たちとの親睦を深めるカラオケ大会を盛り込んで新曲発表会を開いている。
 「もず先生は、今までの要のイメージを一新したかったようです」

続く


「渡辺要物語 歌は心の港」第12回

「渡辺要物語 歌は心の港」第11回
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「渡辺要物語 歌は心の港」第10回
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「渡辺要物語 歌は心の港」第9回
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「渡辺要物語 歌は心の港」第8回
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「渡辺要物語 歌は心の港」第7回
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「渡辺要物語 歌は心の港」第6回
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「渡辺要物語 歌は心の港」第5回 四国1番の鮨店になる
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「渡辺要物語 歌は心の港」 第4回 名物穴子鮨
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-04
「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
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「渡辺要物語 歌は心の港」第11回  2足のわらじ [半生記]

渡辺要.jpg渡辺要の歌手デビュー曲は1992年の「若と貴」だったが、厳密には前年の91年に、自らの要鮨開業25年の記念に「鮨職一代」(作詞・石坂まさを、作曲・渡辺よしまさ)という歌でCDデビューしていた。第2弾のCDになる「若と貴」は、最初はセンチュリーレコード、そして石坂まさをが作ったシンカレコード、心歌ジャパンで出して、さらにバップ からも合計4レーベルで出している。いずれも自主制作盤であった。




渡辺要・若と貴デビュー曲.jpg





 香川県・滝宮神社でデビュー曲「若と貴」の発表会を行う前日、石坂がミニスカートの中国人歌手を伴って高松にやって来た。要を応援するために1曲歌わせるつもりだったのだろう。しかし当日、石坂はあまりにも彼女を相手にしないものだから「先生、わたしはどうなるの」と詰め寄る。すると石坂は「きみはもう帰りなさい。僕は渡辺要さんをデビューさせるんだから」と、どう考えても理不尽なことを言い出した。
 せっかく東京からはるばる高松まで来ているのに、その仕打ちの酷さに驚いた彼女は「わかりました帰ります」と怒って帰ってしまった。何ともすっきりとしない、発表会前の出来事であった。

 滝宮神社では石坂が司会をして、要が歌った。翌日のスポーツ新聞には「若貴兄弟の応援歌が出来た」と大きな見出しが踊った。しかし石坂は相撲協会の許諾を得ずに応援歌を作ったので、クレームがくるのではないか、と心配していた。大胆な反面、小心なところがあったようである。ところがそれは取り越し苦労に終わった。
 それならば、と意を強くした石坂は「よし行こう」と、今度は通天閣で発表会を開いた。それにも協会は何の反応も示さなかった。そこで石坂は「若と貴」を、ふたりの関取の応援歌として大々的に売り出すことを決めたのである。

 その「若と貴」は「9万枚売れた」といったスポーツ新聞の情報もあった。しかし要によると「そんなに売れていないが、レーベルの異なる4枚を合計すると、かなりの枚数が売れたのでは」と話している。
 しかしこの時期、要はCDを出す費用を捻出するためにせっせと鮨を握るといった、二足のわらじを履いていた。おまけに借金も増える一方だった。

渡辺要2.jpg しかも歌手デビューしたといっても、実態は嫌っていたマイナーな歌手と変わりはなかった。レコード店もそう簡単にはCDを置いてはくれない。そこで1人でカセットデッキを抱えてスナック回りを始めた。店のドアを開けて<マスター、1曲歌わせてください>と頭を下げるのである。もちろん簡単には歌わせてはくれない。
 何度となくやめようと思った。しかし、ここでやめては夢を実現させることはできなくなる。<いつかは売れる>といった、あてのない希望だけを持ち続けて、もう少し頑張ってみようと自分を奮い立たせては歌い続けた。

 「レコードメーカーの人たちが付いてくれている歌い手さんたちの新聞記事を見るたびに、うらやましくて仕方なかった」というのが正直なところだった。





 デビュー曲の「若と貴」は、若乃花・貴乃花応援歌であった。その第2弾として1993年にポニーキャニオンから出した「兄弟街道」(作詞・伊藤アキラ、作曲・渡辺よしまさ、編曲・前田俊明)は、宣伝マンなど5、6人が付いてくれてレコード店へあいさつ回りへ行くまでになっていたが、まだ鮨屋と歌手といったふたつの顔を持っていた。

 石坂まさを作詞家生活25周年記念作品として出した「男意気」(1994年)は原譲二(北島三郎のペンネーム)が作曲して、作詞は石坂まさをだった。これを出した時に東京のキー局のテレビ朝日が、要の追っかけ取材をしている。四国一と言われる鮨屋の経営者が歌手デビューしているというので話題になった。

 この時、石坂は要に「天下の北島さんが作曲をしてくれるのだから、鮨屋を取るか演歌を選ぶかどちらかにしろ」と、迫った。その迫力に押されるかのように要は「鮨屋を辞めます」と、運命の返事をまたもやしてしまったのである。
 このCDのカップリングは「鮨喰いねぇ鮨喰いねぇ」だった。

続く


「渡辺要物語 歌は心の港」第11回
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第168回KOBE流行歌ライブ 千葉一夫、半田浩二、大沢桃子が<縁>をテーマに関連曲を披露 [ライブ]

◆今月のテーマは<縁>。2018年9月20日、神戸・新開地のKAVCホールで開かれた第168回KOBE流行歌ライブでは、出演者それぞれの今までの沢山の人たちとの縁の中から、忘れられない歌の恩師との縁を取り上げて思い出深い1曲を歌った。

第168回KOBE流行歌ライブ.jpg
「縁」をテーマに歌った出演者たち


 歌ったのは千葉一夫(キングレコード)半田浩二(テイチクエンタテインメント)大沢桃子(徳間ジャパンコミュニケーションズ)の3人。

千葉一夫.jpg
千葉一夫

 千葉は師匠である作曲家弦哲也の作品で、自らも大好きな石原裕次郎が歌った「北の旅人」を披露した。半田はデビュー曲でいきなり50万枚の大ヒットとなった「済州エアポート」を書いた作詞・作曲家で師匠の中山大三郎の代表曲「男の背中」(歌・増位山太志)を聴かせた。
 大沢はみずからの専属バンド、スーパーピンクパンサーを起用したオリジナル曲「恋する銀座」を選んだ。彼女は歌(音楽)は寺内タケシに、踊りは浅香光代に師事したが、この歌はその寺内譲りののエレキサウンドが生かされている。

半田浩二.jpg
半田浩二

 ライブではまた千葉が久しぶりの女歌となった「霧雨川」を、半田はデビュー30周年記念曲第2弾「男のほろり酒」、15周年になる大沢は「椿の咲く港」と、それぞれ新曲も披露した。唯一の女性出演者の大沢は「歌謡界に足跡を残したい」と話した。

大沢桃子.jpg
大沢桃子

 PRコーナーでは徳間ジャパンコミュニケーションズの福田みのるが、東京・熊本からやって来たファンらが応援する中、2017年5月にリリースしたデビュー20周年記念曲「追憶いつも雨」を歌った。

福田みのる.jpg
福田みのる





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西田あい(日本クラウン) 新曲「愛が足りなくて」  ポップス調な歌謡曲  SNS世代へ向けて情報発信も [インタビュー]

西田あい.jpg◆日本クラウンの歌手、西田あいが、前作の「最後の頁」から1年10ヶ月ぶりの新曲「愛が足りなくて」を2018年8月に出している。哀愁歌謡バラードとも呼ばれる今作は、恋への迷いを切なくポップスタッチで歌っている。曲を手掛けたのは「愛が足りなくても」とカップリング曲「翔べない踊り子」共に、作詞は岡田冨美子、作・編曲が1980年代に上田正樹の「悲しい色やね」中森明菜の「北ウイング」などのポップスのヒット曲を数多く生み出した林哲司である。西田は「演歌・歌謡曲、ポップスなどの垣根のない歌を歌っていきたい」と話している。








 その林哲司が今まで手掛けてきたのはポップスであった。彼の曲作りについて西田は次のように話している。
 「7月に開かれた林先生の作曲家45周年記念ライブの席で、今まで演歌・歌謡曲に如何に背を向けて曲を作るかに力を入れていたけれど、演歌や歌謡曲がいいなぁ、と思える歳になって初めて今回、歌謡曲を書くことになった、と話していました」
 しかし制作の進め方は、今まで慣れ親しんできた師匠の故・平尾昌晃と、気さくなミュージシャンタイプの林とでは全く異なり「新鮮に感じた」という。

 その林が書いた歌謡曲が「愛が足りなくて」。それでも「ポップスっぽいところは何か所かありますね。イントロや間奏の置き方などは演歌・歌謡曲の定番とはやはり違う印象を受け、それだけに新鮮に歌えています」と西田。

 歌が演歌・歌謡曲、ポップスなどと区分けされる現在の状況に違和感を感じていた西田は「今作のようなポップスよりの歌謡曲が多く生まれることで、今まであった歌の境が少しづつグレーになっていってほしい」と、これからの音楽の変化に希望を感じ取っている。

 「愛が足りなくて」は、アップダウンも激しい歌であるが、後半の ♪ 愛が足りなくて結ばれないなら ~ からは歌っていても最高に盛り上がるところだという。「歌好きの人はきっと気持ちよく歌えるんじゃないかなぁ」(西田)

■裏切りの連続

西田あい・愛が足りなくて.jpg 最初、彼女がデモ曲を手にした時、カップリング候補は「愛が足りなくては」だった。曲の印象は「ただポップスっぽいなぁ、というだけ」で、そしてメイン曲は「翔べない踊り子」であった。
しかしそれは簡単に逆転することになる。
 レコーディングでは先に「翔べない踊り子」を録り終え、続いて「愛が足りなくて」に録った。

  レコーディングが進むに従って、西田の中で変化が生じ始めた。
 「演歌・歌謡系のど真ん中といった感じのイントロが鳴り始めると、ここで緞帳が上がってステージには自分が立っている映像が浮かんできたんです。そこでいっぺんに胸を打たれました。周りを見ると制作スタッフの誰もが、やっぱりメインはこれだよねといった同じような顔になっていた」
その場でメイン曲は「愛が--」になってしまった。

 「ところが曲はさらにイントロが続き、今度はポップス調へと変わっていく。かと思えば後半のサビの部分は演歌っぽい。心地いいほどの裏切りの連続が、今までと違う構成を作り上げていました」
これこそ林哲司の真骨頂なのか。

■YouTubeチャンネルで情報発信

 演歌っぽいものへ抵抗を感じる人たち、中でも林哲司の楽曲に親しんできた世代の人たちにとっては、今回の「愛が足りなくて」は抵抗なく受け入れられるだろう、と西田は期待を寄せる。

 その西田は「デビューして8年が経って、進むべき道を定められるようになってきた」という。それは「ポップスの要素を取り入れながらの未来につながる、今の時代にマッチした歌謡曲」なのだろうと模索する。

 そのひとつとして今春からは、SNS世代に向けて「ニシアイチャンネル」をYouTubeで始めている。同世代の人たちに自分の存在を知ってもらうもので、絵本を読んだり、子守唄を唄ったりと試みている。歌を聴きたいというリクエストには「ライブに来て生で聴いてほしい」と、応えている。





 その一方でリアルなファンとのつながりを求めて歌謡コレクションライブを東京と大阪で開催している。10月21日には大阪・京橋のライブレストラン、ベロニカで開く。終演後にはファンクラブ会員限定のアフタートークショーも予定。大阪開催は来年4月にも計画しており、今後、定期的に開催したいとしている。

 西田は「新曲は歌謡曲と西田あいの未来に向けて大きな鍵となる作品ですこれがターニングポイントになった、と言われるように気合いを入れてヒットを目指します」と意欲満々に語っていた。




[西田あい オフィシャルサイト]
http://www.ai-official.jp/
[西田あい 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/nishida/whats.html






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水城なつみ(キングレコード)  能登・曽々木海岸観光大使へ 3年前の「曽々木海岸」に再びスポット [インタビュー]

水城なつみ2.jpg◆2018年6月に24歳になった水城なつみが歌う新曲「江差恋しぐれ / 湯平雨情」。北海道・江差と大分県・湯平温泉が舞台である。キーを低めにして哀愁感を出すことで、少し大人になったところを見せる、デビュー5周年で5曲目のご当地ソングである。カップリング曲の「湯平雨情」では、発売後の6月に初の観光大使・湯平観光大使に就任しているが、今度は11月にも能登・曽々木海岸の観光大使にも任命されるという。地元・能登では「この歌はよく曽々木海岸の情景を感じさせている」と、3年経った今でも評判だという。









水城なつみ・曽々木海岸.jpg デビュー3年目で出した「曽々木海岸」は、作詞が麻こよみ、作曲は影山時則で編曲は前田俊明。初のご当地ソングとして2015年に発売している。終わってしまった恋を忘れるために女性が髪の毛を切って心機一転のひとり旅に出る。やって来たのが石川県輪島市にある曽々木海岸。はかない恋心と女性の強さを表した1曲である。

 発売当時、関西の演歌・歌謡曲情報を配信する「Music news jp」のインタビューで水城は「私もそんな大人の女性に少しでも近づきたい」と、髪の毛を30センチも短くして3年目の正念場に気合を入れて臨んでいたのは、まだ記憶に新しい。

 曽々木海岸は輪島市にある能登半島有数の景勝地。国の名勝および天然記念物に指定されており、<<能登の親不知>と呼ばれるほどの難所として知られている。日本海の荒波に浸食された、無数の奇岩が見られる。
 水城の歌はそんな険しい海岸で、恋に破れた女性が日本海の荒波に出直すことを誓うのだが、 地元の輪島観光協会では「海岸の情景と歌がマッチしている」という。

水城なつみ1.jpg
アルバム「ウタツグミ2」をアピールする水城

 今年は能登国立国1300年にあたることから、それに合わせて水城は曽々木海岸観光大使として再び「曽々木海岸」を盛り上げていきたいところである。

■大人になったナッチーの歌

水城なつみ・江差恋しぐれ.jpg 新曲「江差こいしぐれ」のカップリング曲が「湯平雨情」で、今年6月には湯平観光協会から湯平温泉観光大使に任命されており、同月には現地で新曲発表も兼ねて観光大使就任披露イベントを開催。来年も予定されているという。

 メイン曲の「江差恋しぐれ」は、水城なつみがデビュー5周年で出した7枚目のシングル。内容は望郷演歌。
 デビュー以来。声を張った力強い歌が多かった水城だが、落ち着いた大人の女性を感じさせる今作には「ねらい通りの表現が出来た」と、満足気だった。ファンからも「歌ってみると予想に反して歌いやすい」と評判は上々で、水城も「是非、挑戦して下さい」と呼びかけている。






[水城なつみ オフィシャルサイト]
http://www.mizuki-natumi.com/
[水城なつみ キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=44259






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神戸わくわく歌謡ライブ  神戸の新たな演歌・歌謡イベント 第1回は10月26日開催 [ライブ]

◆神戸で新たな演歌・歌謡ライブが2018年10月からスタートする。「神戸わくわく歌謡ライブ」。徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手が出演する徳間ジャパンライブと、主に地元神戸や関西の歌手が出演するわくわくライブの2部からなる。今回は関西の演歌・歌謡曲情報を配信する「Music news jp 」の創刊10周年記念イベントで、入場料は5000円。

徳間ジャパンライブ小.jpgわくわくライブ小.jpg


 第1回目の神戸わくわく歌謡ライブは2018年10月26日、神戸市東灘区・六甲アイランド、六甲ライナーのアイランドセンター駅前にあるオルビスホール http://www.fashionmuseum.or.jp/ で開かれる。収容数は約400人。
 ファッションショーも開かれるほどのUFOスタイルのオシャレな会場で、神戸ファッション美術館に併設されている。

 1部の徳間ジャパンライブには野中さおり、葵かを里、浅田あつこ、みやま健二の4人が出演する。開演は午後12時30分。出演者によるトークショーも行われる。
 2部は渡辺要(日本クラウン)光岡洋(同)小野和子(キングレコード)澤敬子(徳間ジャパンコミュニケーションズ)。お楽しみ抽選会も予定されている。

 司会はいずれも牛尾淳。2部にはサブとして浅田あつこみやま健二が加わり、共に歌も披露する。

 2回目以降の開催も予定されており、神戸での新たな演歌・歌謡ライプとして、ファンの間では期待が高まっている。

 チケット申し込みは WARAKASU 電話:06-4980-9086 まで。


[会場]
http://www.fashionmuseum.or.jp/






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「渡辺要物語 歌は心の港」第10回   ミイラ取りがミイラに [半生記]

渡辺要.jpg◆1978(昭和53)年、高松の街にもミニスカートで踊って歌うデュオ、ピンクレディーの「UFO」が賑やかに響き渡っていた。レコード店の前では、子供たちがその振付を真似する光景も見られた。当時のオーディション番組「スター誕生」出演をきっかけに1976年にデビューした彼女たちは、デビュー・シングル「ペッパー警部」の売上が60万枚を記録。その年の第18回日本レコード大賞新人賞を獲得していた。

 「UFO」は彼女たちの第6弾シングルとして1977年12月に発売され、155万枚を超す大ヒットとなった。78年末には第20回日本レコード大賞を受賞するほどであった。







渡辺要

 同じ年、瀬戸内の直島という小さな島の三菱金属鉱業直島精錬所に勤める、当時46歳の村木賢吉が歌っていた「おやじの海」もまた、静かなブームを巻き起こしていた。ピンクレディーのような派手さはないが、翌79年には140万枚の大ヒットとなっている。この歌は同じ会社に勤めながら作詞作曲活動をしていた佐義達夫が書いて、72年に村木に歌わせたものだった。最初はわずか500枚の自主制作盤だったというが、有線放送で全国に広まっていった。

 この佐義が渡辺要のプロ歌手への道を拓いていくことになる。

 佐義が審査員をするカラオケ大会で優勝したり、準優勝するなどしていた要は、地元の歌の世界でも少しづつ名前を知られるようになっていた。
 1980年代になっていた。そんなある日、要を要鮨に訪ねた佐義は「どうしても歌手になってほしい」と頼みこんでいた。「おやじの海」の村木の第2弾となる歌手を探しているというのである。
まだ要にはそんな気はまったくなかった。
 その時も「男前でもない、それほど上手くもない自分が歌手になっても売れないことはわかっていたし、第一みじめになるのが嫌だった」と断っている。
 それでも佐義は「僕は渡辺さんの声が好きなんです」と粘る。

讃岐の山.jpg
渡辺要を育てた讃岐

 取り敢えずカラオケで歌った音源を数曲、後日、送ってそれで判断してもらうことにして、その日は佐義は直島へ帰って行った。
 数日して佐義から届いた返事の手紙には「高音のクリスタルな声が大変気に入ったので、是非とも歌ってほしい」と、再び熱烈なプロポーズの言葉が並んでいた。数日して今度は、ほろ酔い演歌「虎落笛」という楽曲が届いた。

 それでも要の固辞する姿勢に変わりなく「この歌ならば日本コロムビアの歌手、わかばちどりに歌わせたらどうか」と彼女を紹介することになった。佐義も諦めたのか、彼女と交渉してレコード化にこぎつける。ところがわかばが歌ったそれは「あまり売れなかったようです」(渡辺要)と、佐義の第2のおやじの海の思惑は外れてしまった。

中学時代の憧れの人とツーショット、2018年6月の高松公演.jpg
中学時代の憧れの女性とツーショット(2018年6月の高松公演で)

 今度はやはり地元で作曲活動をする渡辺よしまさから呼び出しを受けた。訪ねてみると、そこには東京から作詞家の石坂まさをが来ており、同席していたのである。
 唐突なほどに石坂から「歌ってみて」と言われ、その勢いに押されるままに1曲歌うと、石坂は立ち上がり「君が歌手にならないでどうするんだ。鮨屋はいつでも出来るんだ。歌手になりなさい」と、あらんばかりの声で勧められた。
 またかと思ったものの、今度は要の心は少し揺るぎ始めた。
 当時、紅白歌合戦には演歌・歌謡曲で男性歌手11人が出場していた。
 石坂は「君が歌手になっったら紅白に出場出来る」とまで言い出した。しかもその11人の中でも十分に伍して歌えるとまでいう。

 要には鮨屋で大成しようといった夢があった。しかもそうしたうまい話に乗って騙された人たちを過去に何人も見てきているから、自然と用心深くなっていた。
 そんな要に石坂は「君は3年経ったら必ず紅白に出られるよ」と、追い打ちをかける。
それには要もつい「えっ!本当ですか」と、聞き返してしまった。石坂は「絶対に君の歌は間違いない」と、さらに強い言葉で太鼓判を押してくる。

 今回は今までのようなマイナーな歌の世界での話ではない。一流歌手と対等に競える、というのである。熱心な勧誘に要の心には迷いが出てきた。

レギュラー司会者を務める歌う王冠ライブ.jpg
レギュラー司会者を務める「歌う王冠ライブ」に出演する渡辺要

 東京に帰った石坂は、その後も要に頻繁に電話を寄越した。
 「今ね、マージャンをしているんだがね、高松にサブちゃんの歌を歌っている奴がいる、と話したら興味を持ってくれた人がいるので、今度高松へ連れて行くよ」

 その頃、要は素人歌手として高松のキャバレーでよく北島三郎の歌を歌っていた。
 すると本当に石坂が大手プロダクションの人間を伴って、そこへ現れたのである。
 それをきっかけに石坂は何度も足を運んでおり、その都度、東京から引き連れてきた人たちに「いい声だろう。応援してね」を繰り返すのだったが、要はそれでも決して首を縦には振らなかった。

 このままでは石坂に対しても失礼になる、はっきりと自分の考えを示して断らなくては、と考えた要は渡辺よしまさを訪ねている。義を重んじる要には、うやむやにしておけなかったのである。

若と貴.jpg ところが訪ねるや否や、渡辺まさよしは「これは絶対売れるから一度、聴いてみて」と、歌い始めた。
 ♪ やぐら太鼓が隅田の川に 〜
 「これがいい歌だったんですよ。思わず先生、これいいね。俺、やるわ」
 あれほどかたくなに断り続けていたのに、要はいとも簡単に言ってしまった。

 要はすぐに何事にも感動してしまう。
 リコー三愛グループの創始者、市村清が銀座の土地は買収に難航していた時、その土地の地権者が大雪の中を断りに本社ビルまで出向くと、濡れた足元を見た女性事務員が自分のスリッパを履かせて社長室へ案内したことに、地権者は感激して土地を売る決心をするといったエピソードに倣い、この日は手土産を下げてわざわざ出向いたのである。

 なんと結果もエピソード通りになり、ミイラ取りがミイラになってしまった訳である。その時に聴かされた歌がデビュー曲「若と貴」になる。
 1992(平成4)年5月、毎年奉納相撲が行われてい香川県綾川町の滝宮神社の土俵で新曲発表をすることになった。

続く

「渡辺要物語 歌は心の港」第10回
https://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-09-21
「渡辺要物語 歌は心の港」第9回
https://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-09-19
「渡辺要物語 歌は心の港」第8回
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-04-27
「渡辺要物語 歌は心の港」第7回
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-04-25
「渡辺要物語 歌は心の港」第6回
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-04-24
「渡辺要物語 歌は心の港」第5回 四国1番の鮨店になる
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-09
「渡辺要物語 歌は心の港」 第4回 名物穴子鮨
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-04
「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23

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第265回大阪発流行歌ライブ、マッハ文朱・沢井明・千葉一夫・大沢桃子・結城彩の多彩なメンバーに声援 [ライブ]

◆デビュー45年になるマッハ文朱(テイチクエンタテインメント)が2018年9月19日、大阪・心斎橋のライブハウス、BIG CATで開かれた第265回大阪発流行歌ライブに初めて出演した。同じレコード会社の沢井明と、デュエット曲「ラブコールは5回目で」を歌い「やはり歌謡界は華やかですね」と、久々の歌謡ショーを楽しんでいた。この日は、千葉一夫(キングレコード)大沢桃子(徳間ジャパンコミュニケーションズ)男石宜隆(同)結城彩(クラウンミュージック)も出演して新曲を披露した。

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第265回大阪発流行歌ライブの出演者たち


 マッハ文朱は京都でのテレビ出演を終えて駆けつけ、ライブの最後でデュエット相手の沢井明「ラブコールは5回目で」を歌った。8月15日に出したばかりの新曲で「初めて自分の歌をカラオケで検索出来るのに感激しています」と、30数年ぶりに出した歌を楽しんでいた。今は兵庫・宝塚市に住む関西人で、息女はタカラジェンヌである。

沢井明・マッハ文朱.jpg
デュエット曲を披露するマッハ文朱(右)と沢井明


 「今年はサンキューの年」という千葉一夫はデビュー39(サンキュー)年目。「応援してくれる人たちも2歳から102歳まで幅広い」と会場を沸かせていた。行方も見えず祝福されない恋に迷走する2人を歌う新曲「霧雨川」を披露。そんな歌とは裏腹に「後半のサビは歌っていて気持ちがいいです」と笑顔を見せていた。1993年に10年ぶりに再発売した「夢に咲く花」も披露していた。

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ファンからのプレゼントのレイを首にかけて歌う千葉一夫


 大沢桃子はデビュー15年。彼女の歌はすべて自作曲である。2歳の時にトラック運転手をしていた父親を亡くし、理容師をする母親に育てられた岩手県・大船渡への温かい思いやりが、彼女のどの歌にも感じられる。悲しみを乗り越えて生きていこうとする「風の丘」は、聴く者の心を揺さぶるし、新曲「椿の花の咲く頃」は明るい笑顔で、大切な人と会えることを祈る、そんな歌だった。

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笑顔いっぱいに歌った大沢桃子


 沢井明はメジャーデビューして6年目。この間に5枚のシングルを出し、今のテイチクへ移籍してからは、新曲の「嘘の積木」が3作目。その新曲は9月19日のライブ当日が発売日だった。積木を重ねるように、優しい嘘を積み重ねていく貴方。その嘘の積木でさえも崩れるのが怖いと怯える哀しい女心を歌う。カップリングは男の人生を歌ったブルース。初の男歌である。

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1曲ごとに魅力が増す沢井明


 男石宜隆は6月に出した新曲「大阪みれん花」では、去っていかなければならない女性の未練心を歌う。客席からの<ノブちゃ~ん>コールを盛り込んで歌をアピール。カップリングの「最後のジェラシー」はジャズっぽい楽曲で、ファンを魅了していた。メジャーデビュー前から台湾へ出かけて歌い続ける。今は年に1回程度に回数は減ったが、それでもたくさんのファンを持つ。

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神戸の星と自称する男石宜隆


 大阪・高槻市在住の結城彩は推薦曲コーナーで、今年1月に出した「ふたりの法善寺」とカップリングの「女のタンゴ」を歌った。

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今月の推薦曲コーナーの結城彩


[大阪発流行歌ライブ]
http://hayariutalive.com/






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「渡辺要物語 歌は心の港」第9回   歌う鮨職人に [半生記]

◆高松市のライオン通りで鮨店「要鮨」を経営していた渡辺要が、若花田・貴花田の応援歌「若と貴」で歌手デビューするのは1992(平成4)年5月であった。無一文に近い状態から、四国でも名の知れた鮨店にまで育てた要には好きな歌を歌うといった趣味があった。仕事の合間を縫ってはキャバレーで素人歌手の真似ごともしていたが、歌手になろうなんて思ってもいなかったのであるが、周りがそれを許さなかった。

元・要鮨の店舗前に立つ渡辺要.jpg
かつての要鮨の店前に立つ渡辺要


 要鮨があったライオン通りには今でもたくさんの飲食店が建ち並び、高松屈指の商店街である。当時、渡辺はその商店街の会長をするなど、店の拡大と共に町の世話役を任されるようになっていた。
 歌うことは昔から好きだったこともあって、県内で開かれるカラオケ大会に出場していた。どこの会場でも優勝するか準優勝といった具合で、カラオケ荒らしとして知られるようになっていた。店が順調に拡大していたこともあってか、勧められるままにキャバレーのステージに<歌手>として立つことも増えて、<歌う鮨職人>としても名前を売っていた。

 と言っても渡辺にとって歌はあくまでも趣味。歌手になるなんて微塵も考えたことはなかった。ただ鮨店での大成を目標としていたのだった。

高松市ライオン通り.jpg
今も昔も高松屈指の賑わいを見せるライオン通り

 そんな時、地元の作曲家・渡辺よしまさが要を訪ねてくる。
 頻繁にカラオケ大会に出場していた要の元には、大会で審査員をしている音楽関係者たちから「レコードを出さないか」といった誘いがたくさん寄せられていた。歌は上手い要であったが、本人にはその気は毛頭なかった。

 その頃のことを渡辺は
 「カラオケ大会では上手いといって持て囃されているけれど、自分では大して歌が上手い訳でもないと思っていたし、楽器も我流でギターを少々弾く程度で、音楽的な要素は持ち合わせていなかったので断り続けていました。それに周りには、甘い言葉に誘われて騙された人たちの話をよくみみにしていたから、注意深くなっていました」
 と振り返っている。

 要にとってこの時、レコードを出すことを勧めた渡辺も注意すべき1人に映ったのだが、この渡辺こそ、デビュー曲となる「若と貴」の作曲をすることになる。しかしそれにはもう少し時間を要する。

要鮨の跡.jpg
ライオン通りの角地に建つ要鮨の店舗 今は別の鮨店として営業している

 ライオン通りにあった要鮨には連日、地元の名士や高松に支店を置く企業の支店長たちで賑わっていた。
 そのひとりに歌手のわかばちどりがいた。香川県綾川市の出身で、日本コロムビアのオーディション四国大会で優勝して歌手デビューへの切符を手にし、市川昭介の門下生となり、1967(昭和42)年に日本コロムビアから「拝啓男ごころ様」でデビューした地元自慢の歌手であった。

 わかばとは年齢も一緒だった要は、彼女が新曲を出すたびに何十枚とまとめて買っては応援していたという。
 「畠山みどり、都はるみとともにコロムビア三姉妹として売り出していたし、歌は上手い。しかもべっぴんさんやし、香川県から歌手が誕生したのは笠置シズ子以来や、と地元では大騒ぎしていましたね」

 彼女の叔父は歯科医で要鮨の常連でもあった。祝い事や法事があると、料理は要鮨が一手に引き受けるほどの付き合いだったという。
 最初わかばは、その叔父に連れられて店に来ていた。わかばと一緒によく連れられて来たのが、やはり同じ姪にあたる、現在のマネージャーである岩鍋希光子であった。

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テレビ番組「歌に恋して」の収録で「母は今でもこころの港」歌う渡辺要

 そのうちにわかばは姉の看病もあって、東京から高松に帰ってくることが多くなった。そのたびに1人で店に立ち寄るようにもなった。そのうち要は、活動拠点の東京を留守にすることが多くなるわかばに、高松での仕事を紹介するようになったが、このわかばの存在も、彼の歌手デビューにも大きく影響してくるのである。



「渡辺要物語 歌は心の港」第9回
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「渡辺要物語 歌は心の港」第8回
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「渡辺要物語 歌は心の港」第7回
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「渡辺要物語 歌は心の港」第6回
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「渡辺要物語 歌は心の港」第5回 四国1番の鮨店になる
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「渡辺要物語 歌は心の港」 第4回 名物穴子鮨
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「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
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「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
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「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
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「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
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大阪歌謡ライブ、塩乃華織ら5人の歌にわく 大阪・豊中 / サンパティオホール [ライブ]

◆心にしみる生の唄声をお届けしますー。大阪・豊中市の阪急電車・庄内駅前のサンパティオホールで2018年9月16日、日本クラウンの歌手、塩乃華織のほか背味孝太郎(ホリデージャパン)桜本浩章、森川ゆき、北原たかしの5人が出演して「大阪歌謡ライブ」が行われた。

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大阪歌謡ライブの出演者たち

 塩乃華織は、さおりんコールを受けながら「夜更けのワルツ」(2014年)のカップリング曲「つよがり芝居」を歌い、今作の「赤い橋」では「歌の舞台の愛媛・大洲市など西日本豪雨で被害を受けた方々をはじめ、沢山の人たちへのエールを込めて歌い続けたい」と話した。

塩乃華織.jpg
塩乃華織

 10月16日には浅田あつこ(徳間ジャパンコミュニケーションズ)とのジョイントライブを大阪・堂山のライブハウス、Umeda TRADでジョイントライブ「ふたりの浪花っ子」を開くとアピール。


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背味孝太郎

 背味孝太郎は、ライブ当日が岸和田だんじり祭りの最終日に当たることから、「だんじり兄弟」で会場を沸かせていた。また最新曲の「葉桜の恋」も聴かせた。
 来春には大阪をテーマにした、作曲家・岸本健介による新曲を出す予定である。


森川ゆき.jpg桜本浩章.jpg
森川ゆき(左)と桜本浩章

 福井県から参加した森川ゆき「よさこい女節」カップリング曲の「津軽ながれ唄」などを歌った。
 ハスキーボイスをうりに森進一の楽曲3曲をメドレーし、オリジナル曲「絹恋」をまじえて披露した桜本浩章は、会社勤めのかたわら歌うサラリーマン歌手。


北原たかし.jpg
北原たかし

 北原たかしは、自らが尊敬する歌手、木下あきら(ホリデージャパン)の「さよならは言わない」をカバー、去年11月に出した最新曲「桜雪」なども披露した。

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デュエット曲も聴かせた。桜本(左)と森川

 ライブではまた、桜本が森川と、背味が北原とそれぞれデュエットをしたり、出演者のサイン色紙が当たる抽選会もあって、観客を楽しませていた。

■歌手兼サラリーマン?サラリーマン兼歌手?

桜本浩章・顔2.jpg ところで出演者の1人、桜本浩章=写真・右=のもうひとつの顔は製薬会社の大阪支店で働く会社員。大学を卒業して就職。1984年に23歳の時、出身地の和歌山を舞台に歌った「たそがれの紀州路」(ビクターレコード )でレコードデビューし、しばらくは会社勤めと兼業するが、会社の仕事が忙しくなって歌手業は30年近く休業していた。

 ここ数年は本業の合間を縫って、依頼に応えてステージに立つようになり、去年、CD「悲恋の港」をリリースしている。この日、ハスキーな低い声で披露した「絹恋」は、それのカップリング曲。


[大阪歌謡ライブ]
https://www.facebook.com/profile.php?id=100028140756622






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チョン・テフ(徳間ジャパンコミュニケーションズ) ライブ「ジョイフルワールド2018 〜 合鍵迷子 〜 」 秀樹の初カバーにファンも感激! 大阪・大丸心斎橋劇場 [ライブ]

◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、チョン・テフが2018年9月15日、大阪・心斎橋の大丸心斎橋劇場で、ライブ「ジョイフルワールド2018 〜 合鍵迷子 〜 」を開き、新曲の「合鍵迷子」を披露。珍しく昭和の名曲をアレンジしたカバー曲も聴かせた。ファンの1人は「聴き応えたっぷりないいライブでした」と感動を抑えられない様子だった。

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感動したとファンの評価も上々だったライブ
「ジョイフルワールド2018 〜 合鍵迷子 〜 」で熱唱するチョン・テフ


 日本でのメジャーデビュー6年目を迎え、去年に続いての大阪でのライブには大勢のファンが会場を埋めた。
 デビュー曲の「サソリの涙」から前作の「帰れないふたり」自ら作詞をした「めぐり逢えたら」そして今年8月15日に出した新曲「合鍵迷子」までオリジナル曲13曲を歌ったほか、去年12月に出したカバーアルバム「サランエ 〜GIFT〜 」にも収録していない、梓みちよの「二人でお酒を」など、普段あまり歌わない3曲をアレンジして聴かせた。

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 チョン・テフは2013年に日本でメジャーデビュー。この間にシングル6枚、アルバム2枚を出している。去年はデビュー5周年を記念して全国8都市でライブツアーを行なった。「バンドメンバーたちと全国を巡ったのですが、こうしたことが出来るのはファンの皆さんのお陰です」と頭を下げていた。

 最前列で手を振り声援を送っていた女性ファンは「オリジナル曲はもちろんですが青江三奈さん『伊勢佐木町ブルース』は最高でした。感動しました」と、約2時間のライブを堪能していた。

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 アンコールではまた、今年5月に63歳で亡くなった先輩歌手、西城秀樹を偲んで「傷だらけのローラ」にも初挑戦すると、客席からは「良かったよ〜」の声が飛んだ。
 テフは「映像を見ながら勉強しましたが、似ていたのは衣装だけで、歌はとても難しかったです。改めて西城さんの偉大さが分かりました」と、照れ笑いしていた。

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「傷だらけのローラ」を熱唱する

 新曲の「合鍵迷子」はしっとりとしたラブバラード。オリコンチャートも初登場7位でスタートを切っており、9月17日付けのランキングでも37位を維持している。テフは「実感はないのですが、夢のようです」と笑顔を見せていた。

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新曲「合鍵迷子」を歌う

 この日は、彼のライブでは恒例となっているダンシングチームとのダンスはなく、いつもより控えめに1人だけでの踊りを見せていた。

 冒頭に倒れるほどに一生懸命に歌うと挨拶していたチョン・テフは「これかも心に残る歌、心に響く歌を歌っていきたい」とアピールしていた。

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全18曲を歌い終わり満足気なチョン・テフ


[チョン・テフ オフィシャルサイト]
http://jungtaehu.com/
[チョン・テフ 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/jung-taehu.html






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演歌ジャックス  デビュー30周年の野中さおりとサブちゃんの秘蔵っ子、新人・島あきのをゲスト  10月放送分を収録 [テレビ]

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ゲストはデビュー30周年の野中さおり(右)と新人・島あきの

◆一段と歌の艶っぽさを増している野中さおり(徳間ジャパンコミュニケーションズ)と2018年7月4日にデビューしたばかりの島あきの(日本クラウン)をゲストに迎えて、奈良テレビ放送、J:COM関西などで放送中の歌番組「演歌ジャックス」の2018年10月放送分の収録が同9月12日、大阪市内で行われた。デビュー30年で初めて出演した野中は「まるで映像が浮かんでくるような歌です」と新曲「天の川恋歌」をアピール。初めての大阪、もちろん初出演の島は「プロ歌手として上京するのに際して両親から、命がけで頑張ってこい、と送り出されました」とデビュー曲「津軽海峡」を熱唱した。

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野中さおり(写真上)と島あきのをゲストに迎えての演歌ジャックス10月放送分の収録

 野中さおりはデビュー30周年記念曲「天の川恋歌」を8月1日に出したばかり。この日も「天の川--」を披露した。司会の小池史子から30周年を迎えた想いを訊かれると「デビュー当時は5年持つかな、10年を迎えられるのだろうか、と思っていたので、30年なんて自分自身でもビックリしています」と心境を語っていた。野中はまた30周年を機に、今までの彩央里の名前を本名と同じ平仮名に替えている。「柔らかさを出せるし、パソコンでも入力が簡単」とも。

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野中さおり

 新曲は、かつてデビュー6年目で出して15万枚を売った「雪国恋人形」を彷彿させる、と言われているだけに、新たな代表曲への呼び声も高い。これを作詞したのは去年秋に亡くなった仁井谷俊也。「野中君に最も似合う古風な女性を書いた」と、30周年に向けて用意した作品であった。11月11日には東京・銀座のライブレストラン、ラウンジゼロで新曲発表ライブを開く。野中は「演歌以外にも挑戦します」と、胸を躍らせていた。


 島あきのの名付け親は演歌界の大御所、北島三郎で、彼の島の一字をもらった。出身地が北島と同じ北海道知内町。デビュー前に地元で北島に歌を聴いてもらえるチャンスをもらい「歌手にしてあげるよ」の一言で歌手に。10年前に歌手を目指して上京も考えたが、父親の反対で留まった。事務の仕事のかたわら密かに歌の練習を続け、地元の祭りなどで歌っていたが、北島のお墨付きを持って上京。ボイトレなどを経てデビューした。

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島あきの

 8月、北島の博多座コンサートでは、周りも驚く突然のゲスト出演して「津軽海峡」を歌い、新人ながら早くも大舞台デビューも果たすなど、所属事務所こそ違えど、北島の秘蔵っ子ぶりを発揮。この日の収録では司会の小池とファンキー・コバから<なんでやねん>の関西弁を伝授してもらい大喜び。「命がけで『津軽海峡』を頑張って歌います」と島。

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バースデーケーキをプレゼントされて大喜びの島あきの

 収録日の9月12日はまた、島の31歳の誕生日。番組からバースデーケーキがプレゼントされた。このサプライズには島もビックリで、「この番組、絶対に忘れません。また来ます」と話していた。


レギュラー出演者と歌唱曲

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TAIKI「グッバイ・マイ・ロード」
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新星民「百歳時代 / 夢の街 大阪」
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岩井都美子「弟よ / かもめはかもめ」(カバー)
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MARI「男と女の第2章 / ダンスDEムーチョ/ バラ色の人生(カバー) 」
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小川リエ「浪花の一番星」
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山田壽一「日向恋しや」
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中村さおり「花はただ咲く」(カバー)
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岩本やすし「保護犬パフィー」
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林田夏美「おんなの海峡」(カバー)

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小池史子(司会)
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ファンキー・コバ(同)


 恒例の童謡・唱歌コーナーでは「里の秋」「赤とんぼ」などを出演者全員で歌い、女性レギュラーに野中さおりが混じって「紅葉」を歌った。初出演の野中は「童謡っていいですね。時々歌いますよ」と話していた。

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童謡を歌うゲストり野中(写真上・中央)と島あきの(写真下・中央)

演歌ジャックスの放送日。
奈良テレビ放送 毎週水曜日 午後2時放送
J:COM 11Ch 毎週火曜日 午前10時放送
九州宮崎 12Ch 毎週月曜日 午前8時放送(再放送・月曜日~日曜日計10回)
天草ケーブルネットワーク 毎週月曜日~金曜日 午後4時放送
兵庫養父市CATV 毎日午後5時(再放送・同6時)


[メディアジャックス]
http://www.mediajacks.jp/







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井上実香(キングレコード)  奄美出身者の集会で「有りン子」歌う  奄美民謡も披露 [イベント]

◆キングレコードの歌手、井上実香が2018年9月9日、兵庫県尼崎市のサンシビック尼崎で開かれた、奄美群島のひとつ鹿児島県徳之島の天城町の出身者などによる第4回関西天城町南部会総会の席上で最新曲「有りン子」や奄美民謡を披露した。

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関西天城町南部会総会で「有りン子」を歌う井上実香


 尼崎市内には奄美・徳之島出身者の人たちが多く住むと言われている。その出身者や2世、3世たちが年に1度集まるのが関西天城町南部会総会。この日は関係者も含めて200余人が会場の大ホールいっぱいに詰めかけた。

 井上実香と奄美・徳之島との出会いを作ってくれたのは、父親で吉本新喜劇の役者だった故・井上竜夫友人、天城町南部会の久浩雄さんである。さらに今年5月に徳之島で開かれた同島出身で尼崎市在住の歌手、香寿成美(ホリデージャパン)のコンサートにゲスト出演して、初めて実際に徳之島へ足を運ぶことになった。

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18歳で島を出た香寿成美さん

 歌と踊りが大好きで人懐っこい奄美の人たちにすっかり溶け込んだ井上は、最新曲の「有りン子」と、父親とデュエットした「ナイト大阪」を歌うとともに、今年から習い始めたという奄美民謡も披露した。

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奄美民謡を歌う井上実香(後列左)
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奄美民謡の師匠・森俊光さんと歌う井上実香(左)

 井上は「皆さんと一緒に民謡も歌わせてもらうなど、楽しませてもらいました」と、気持ちはすっかり奄美の人になっていた。

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頭に一升瓶を乗せて歌って踊って大賑わい

 島の人たちの間では今でも島の歌として人気が高い三沢あけみの「島のブルース」を、一升瓶を頭に乗せた女性が歌い、それに合わせて輪になって踊るといった光景も見られ、参加した人たちは楽しい1日を過ごしていた。

 またテイチクエンタテインメントの歌手、立花淳一もゲスト出演してヒット曲「ホテル」を披露した。

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立花淳一

 鹿児島県に属する奄美群島は鹿児島の南西に位置して奄美大島、徳之島、沖永良部島、喜界島、与論島など14の島からなる。徳之島は奄美大島に次いで2番目に人口が多く大島郡天城町と同徳之島町、同伊仙町の3町からなる。

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賑やかにフィナーレ


[井上実香 オフィシャルサイト]
http://www.geocities.jp/mika_inoue_singer/
[井上実香 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=35548






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北川裕二(キングレコード)  35周年で初の大阪でのディナーショー  デビュー曲か最新曲まで21曲を熱唱  大阪・ホテル阪神 [ディナーショー]

◆熱唱に次ぐ熱唱だった。デビュー35周年を記念して全国5都市でディナーショーを行なっているキングレコードの歌手、北川裕二が、2018年9月9日、大阪市福島区のホテル阪神で大阪で初めてのディナーショーを開いた。歌手への道を開いたテレビ番組「新・スター誕生」で歌った楽曲から、デビュー曲や最新曲「伊豆しぐれ」まで全21曲を歌い、歌手・北川裕二のすべてが分かる内容の構成。師匠の作曲家、弦哲也が「さらに高いステップに上がってもらいたい」と祝いの音声メッセージを寄せると、北川は弦の作曲家50周年記念曲「我、未だ旅の途中」を歌って、次のステップへの意欲を示していた。

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35周年を熱唱する北川裕二


 満員の会場はオープニングのデビュー曲「雨の停車場」(1984年)から、ユーちゃんの大歓声で包まれ、関西はもちろん東京や千葉、宮崎、長崎、香川、島根など遠方からもファンが詰めかけてデビュー35周年を祝った。

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 冒頭、北川は「6年前までは関西には縁がなかったのですが、こうしてディナーショーを開くことが出来ました。ここまで歌ってこられたのも皆様のお陰です。演歌はやはり大阪であり関西ですね」と挨拶。大阪に約1週間滞在してキャンペーンを行ったなど、関西重視の姿勢を打ち出した「泣いて大阪」(2016年)を歌った。

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 北川はテレビのオーディション番組「新・スター誕生」で6代目グランドチャンピオンに選ばれ、30歳で歌手としてデビューするきっかけをつかんだ。この日はその時に歌った「氷雨」「雪国」「宗右衛門町ブルース」などを聴かせて、当時を振り返った。
 「新・スター誕生」に出た時には26歳になっていたが、彼は子供時代から歌が大好きだった。その頃に歌っていた記憶がある歌の中から、三波春夫の「雪の渡り鳥」城卓矢が歌った「骨まで愛して」も披露した。

 デビュー当初の「演歌川」「会津の松五郎」などから、新曲の「伊豆しぐれ」まで21曲を歌った北川だったが、売れなかった不遇の時代の歌までもが、この日はまるで生き返ったかのように、彼の甘い声でファンの心をつかんでいた。

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 デビューしても長い間低迷していた彼が飛躍することになったのが、大衆演歌の第1弾の「女みれん」(2013年)だった。
 そんに感謝の気持ちを込めるかのように、デビュー30周年を機に歌い始めた「女みれん」から「恋雨みれん」(2014年)など大衆演歌シリーズ4曲のメドレーで客席を回り、1人ひとりと握手した。

 好評だという新曲の「伊豆しぐれ」は、しっとりと歌う抒情演歌。新たな北川の一歩を作る楽曲のようでもある。

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 汗だくになりながら、ファンから差し出されたハンカチを何枚も取り換えて熱唱を続けた北川は「とてもいい思い出の1日になりました。自分の想いと重なる師匠の歌を支障なく歌います」と、大好きなダジャレで締めくくっていた。

 ディナーショーはこのあと11月に福島・郡山市、2019年に入って札幌と東京で開く予定。

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[北川裕二 オフィシャルサイト]
http://www.kitagawa-yuji.com/
[北川裕二 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10436#tabpage3







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真奈尚子(ビクターエンタテインメント) 去りゆく夏を切なく歌うライブ  デビュー30周年を記念して出身地・天川村でライブへ意欲   大阪・アズール [ライブ]

真奈尚子5.jpg◆女心を切なく歌ってデビュー30周年になるビクターエンタテインメントの歌手、真奈尚子が、2018年9月9日、大阪・茶屋町のライブレストラン・アズールで、去りゆく夏を歌ったライブを開き、全15曲を熱唱した。ムードあふれる歌の数々は、雨降る中に集まってきたファンをうっとりとさせていた。


 オープニングで客席を回り、1人ひとりに挨拶をしてステージに上がるのは、真奈の何時ものスタイル。この日もピアノの演奏が流れる中、ゆったりと始まった。








雨が似合う真奈尚子

 1曲目は「誰もいない海」。♪ 今はもう秋・・・ と、去りゆく夏を惜しむかのように切なく歌った。
ただし今夏はいつもの夏と違って、豪雨や台風と各地を襲った災害の後だけに、切なさもひと際。現に今回のライブも当初は7月7日に予定されていたが、前日からの記録的な大雨で開催が延期された。やっと開催されたライブだったが、この日もやはり寂しい雨だった。

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外は雨、内はムーディーな時間が流れる

 そんな雨を恨むかのように「思い出のグリーングラス」「サンライズサンセット」と揃え、来る秋が穏やかであることを願うかのように大橋節夫作詞・作曲で石原裕次郎がハワイアンのメロディーに乗せて歌った「幸せはここに」を聴かせた。

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ムーディーな歌声が人々を魅了する

 しかし切なさ漂う真奈の歌には雨が良く似合う。
 デビュー曲の「あなたのタンゴ」では移ろいやすい人の心を恨むかのように、やはりオリジナル曲の「小さな酒場」はピアノを聴きながら終わった恋への想いを歌っている歌手を、それぞれあふれんばかりのムードを漂わせながら歌った。

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今は最も楽しく歌えるという

 今月でデビュー30周年を迎えた彼女は、1989年に歌手としてスタートしている。7年間東京で活動した。その後、大阪に戻ってしばらく休業していたが、活動を再開し始めたのは18年前からである。
 その間、シャンソン歌手との出会いもあり、今の彼女はムード歌謡からシャンソン、ジャズなどのジャンルの歌をカバー、年齢と共に幅広い歌を能くする歌手へと存在感を高めている。

 この日は久しぶりに「再会」など松尾和子のオリジナル曲3曲をメドレーでカバーして熱唱した。

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奈良・天川村で30周年記念ライブへも意欲を見せる

 真奈は「いつまでも若さと健康を保って歌い続けたい」と、これからの歌手活動への意欲を示すとともに、出身地である奈良県天川村での記念ライブも開いてみたいと話していた。


[真奈尚子 オフィシャルサイト]
http://manamusic.net/
[真奈尚子 ビクターエンタテインメント]
https://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A000169.html






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第26回歌う王冠ライブ 純烈・紅白出場へラストスパート  ハン・ジナら日本クラウンの歌手が新曲をアピール 大阪・朝日生命ホール [ライブ]

◆「決定まであと約2ヶ月ですが、出場を目指して頑張りたい」男性歌謡グループの純烈が、2018年9月7日、改めてNHK紅白歌合戦出場への強い意欲を示した。日本クラウンの歌手が出演して大阪・朝日生命ホールで開かれた「第26回歌う王冠ライブ」で、彼らはマラソンにたとえて夢へのゴールは「42.195キロのレースの最終段階である競技場に入ったところ」と、ラストスパートへの思いを語った。ライブにはハン・ジナ、さくらまや、西田あい、渡辺要、塩乃華織らも出演して新曲などを披露した。

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紅白への意欲をアピールした純烈など日本クラウンの歌手が出演した第26回歌う王冠ライブ


 「歌う王冠ライブ」は、日本クラウンの歌手が出演してケーブルテレビのJ:COM関西で放映している公開収録ライブ。この日は9月5日に新曲「人待岬」を出したばかりの韓国・ソウル出身のハン・ジナ、10年前に10歳でデビューして今は現役大学生歌手のさくらまや、8月29日に最新曲「プロポーズ」「感謝〜紅〜」「感謝〜白〜」の2タイプを出して紅白へのラストスパートをかける純烈、デビュー8年目で2年ぶりに新曲を出した西田あいが出演。
 このほかに司会アシスタントとしてライブを盛り上げた渡辺要、塩乃華織最新曲などを歌った。

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夢のゴールも間近な純烈

 ステージのトリを飾った純烈は「いろんなテレビ番組などに出演させてもらえるようになりました」と自らの成長ぶりをアピールするとともに新曲「プロポーズ」を披露。たくさんのペンライトが揺れる中、大きな歓声を受けていた。
 司会の谷原りょうから、改めてプロポーズするとすればどんな言葉か、と訊ねられると「毎日、おれのご飯作って〜なぁ 〜 」(友井雄亮)などと、それぞれ答えて会場を沸かせていた。

■ライブの模様は10月に放送

 メジャーデビューして10年目のハン・ジナは、「窓」(2012年)や「扉」(2016年)で存在感を高めてきたが、リリースしたばかりの新曲「人待岬」とカップリング曲の「別れの驛路(たびじ)」は、ガラッと変わった歌世界を作り出している。メイン曲では、恋の終わりを感じながらも、帰らない人を待ち続ける切ない女性を歌っている。彼女は「どちらの歌も応援してくださいね」と呼びかけていた。

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ハン・ジナ

 さくらまやは今、日大法学部在学中の現役大学生歌手。7月に出した「かもめ橋から」とカップリングの「恋紅椿」などを歌った。「今まで人を好きになったこともなければ、モテたこともない」という彼女がこうしたロマンチックな恋愛歌を歌えるのは「友人からの情報収集のお陰です」と話していた。

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さくらまや

 ライブ初出演の西田あいは、故・平尾昌晃門下生で歌謡曲を得意としているは恋をする女性のどこか鬱屈とした気持ちを歌った新曲「愛が足りなくて」では「幾つになっても恋する人の気持ちを伝えていきたい」と、薩摩おごじょらしく内に込めた熱い想いを語りかけていた。このほか平尾作品のヒット曲から小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」をカバーした。10月21日には大阪・京橋のライブレストラン、ベロニカで予定している。

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西田あい


 渡辺要「母は今でもこころの港」塩乃華織「赤い橋」など最新曲を披露した。渡辺は「純烈はスーパー銭湯アイドルと呼ばれていますが、僕もかつては今は閉館になっている銭湯で15年間歌ってきました」と、元祖スーパー銭湯アイドルを強調して笑いを誘っていた。塩乃はまた、最新曲の舞台となった愛媛県大洲市が先の西日本豪雨で被災した地域だけに「1日も早く安心して暮らせるように」と、エールを送っていた。

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渡辺要と司会の谷原りょう
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塩乃華織

 この日の収録は10月20日と27日の2回に分けて、いずれも午後9時30分からJ:COM関西で放送される。

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第26回歌う王冠ライブの出演者たち

 次回の王冠ライブは12月13日、1部は北川大介、川野夏実、花咲ゆき美、福島はじめ、2部に北川大介、川野夏実、花咲ゆき美、ファン・カヒが出演して朝日生命ホールで開かれる。開演は1部が午後12時、2部は同4時から。







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知里(日本クラウン) 憧れの大阪・天満で新曲「あなたの女です」キャンペーン [イベント]

◆大阪の皆さんに歌を聴いて、歌ってもらいたいですー。新曲「あなたの女です」のタイトルを連呼して、日本クラウンの歌手、知里が2018年9月6日、大阪・天満のCDショップあこや楽器(大阪市北区)で、3月に出した「あなたの女です」の店頭キャンペーンを行った。会場の店舗は大阪屈指の商店街に位置するだけに、通りを行く人たちも足を止めて歌に耳を傾けていた。

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小さな体で迫力ある歌を聴かせる日本クラウンの知里


 千葉県に本拠地を置く知里だが、大阪をはじめ関西はしばしばキャンペーン活動を展開しているところ。大阪一の商店街、天神橋筋商店街で<演歌日本一>の看板を掲げるあこや楽器は、知里が「一度はここで歌ってみたい」店であったのである。

 そんな願いがようやくかなった。
 地元からの応援隊も駆けつけてチーちゃんコールに支えられて、「あなたの女です」ちさとマーチ」やカップリング曲の「黒百合の歌」などを歌って、店内を沸かせた。

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ファン1人ひとりと握手

 新曲は麻こよみ作詞、岡千秋作曲のノリのいい楽曲。知里は笑顔で集まったファンと握手して、写真撮影会にも応えていた。

 憧れの地で歌った知里は「商店街を歩く人たちなど沢山の人に聴いてもらえて良かったです」と満足な様子だった。

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憧れのCDショップで歌う知里


[知里 オフィシャルサイト]
http://office-kaneko.co.jp/
[知里 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/chisato/whats.html







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葵かを里(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 「金沢茶屋街 加賀友禅特使就任記念盤」 歌と舞いで古都・金沢の世界を表現 C / Wはメイン曲の金沢と友好都市の岡崎をワルツ調で歌う [インタビュー]

葵かを里2.jpg◆2018年1月に出した「金沢茶屋街」のカップリング曲「友禅流し」が縁で加賀友禅特使に就任した葵かを里が、同7月に「金沢茶屋街 加賀友禅特使就任記念盤」をリリースしている。カップリング曲を「岡崎旅情」に替えた新装盤。和服がよく似合う葵は「頑張って加賀友禅をPRしていきたい」と、話している。


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 葵かを里は愛知県吉良町の出身であるが、長く京都を舞台にした楽曲を5作続けて歌ってきた。そして奈良の街を経て、2016年の「雪の兼六園」から舞台を金沢に移している。まことに古都の街が似合う歌い手である。

 「雪の兼六園」で初めて金沢の街を歌った葵は、この作品でいっぺんに金沢が好きになった。すると今度は石川県から県の観光特使に任命されるといった具合で、どんどんと金沢に入り込んで行く。

 「観光特使としては、自ら金沢の伝統工芸品を持たなくては話にならない、と着物に合う金沢和傘を買い求めたんです」

 金沢の心に少しでも近づこうという訳である。
 こうなると本物の加賀友禅の着物を着なくては収まらない。早速、兼六園に桜をあしらった柄の着物を手に入れる。それを着て和傘を持った彼女の姿が「金沢茶屋街」(2018年1月)のジャケット写真として使われることになった。

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 しかもカップリングが牧村三枝子をカバーした「友禅流し」。金沢の街を流れる浅野川で行われる友禅流しをモチーフに繰り広げられる恋物語である。これがきっかけで加賀友禅特使に就任することになる。

 「金沢はよく小京都と呼ばれるんですが、決してそうではなく、全く別の城下町なんですよ。地元の人たちも自信をもって言っています。伝統工芸も20幾つもあって、独自の文化を築いています。それらを歌でしっかりと伝えていきたいです」

■自分の歌世界を表現

葵かを里.jpg 葵はデビューして14年になる。デビュー以前から日舞を習っていたが、名取となったのを機に、2011年から京都シリーズ5部作を歌い始めた頃から、日舞を舞う演歌歌手をキャッチフレーズに曲中で艶やかな舞いを披露し始めた。

 和服が似合う彼女ならではの工夫であった。
 「歌の一部として踊りを取り入れ、ひとつのドラマを作るようにしています」
 その姿はまるで舞いが体の中に入り込んでいるかのようである。
 京都にはない、加賀ならではの雅さを歌と舞いに込める。それが葵の歌である。古都の街歩きに映える、和服に和傘を持つ加賀の女を演じるのである。

 葵がモットーとする言葉の通り「自分の世界を表現できるまでに14年かかりましたが、一歩一歩頑張ってきました」といい、さらに自分のスタイルを高めようとしている。



 今回のカップリング曲「岡崎旅情」は、誰もが口ずさみたくなるようなワルツのメロディーである。葵が大好きな「千曲川」(歌・五木ひろし)のようなイメージで作ってもらったという。
 歌の舞台である愛知県岡崎市は、金沢市と2007年から観光交流都市として友好関係にある。徳川家と前田家の歴史的なつながりから締結されたものだという。

 ふたつの街の結びつきを一層強めるかのように、メイン曲とカップリング曲は心憎いまでもの構成である。





[葵かを里 オフィシャルサイト]
http://wwwb.jnc.ne.jp/aoikawori/
[葵かを里 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/aoi_kawori.html






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中村美律子(キングレコード)  「弥太郎鴉」  初の股旅演歌  19年1月、松平健と「暴れん坊将軍」で共演 名古屋・御園座で [インタビュー]

中村美律子.jpg◆デビュー70枚目で初の道中ものの「弥太郎鴉 / 忠治旅鴉」を2018年8月8日に出したキングレコードの歌手、中村美律子が、2019年1月4日から名古屋市の御園座の新劇場開場記念1月公演で松平健と舞台初共演をする。演目は松平の十八番・暴れん坊将軍。中村は松平の出戻りの姉役。大阪弁が話せない役どころであり、少々残念そうであるが、2部の歌謡ショーでは新曲披露も期待出来る。


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 御園座公演「暴れん坊将軍 ~初春や! 尾張の姉弟裁き」は、1月4日から27日まで。山田まりや、曽我廼家寛太郎らも共演する。
 松平健との共演はテレビの歌番組では経験があるが、舞台での芝居は初めて。しかも中村の舞台公演と言えば、もっぱら下町娘といった役どころが多かった。ところが今回のような将軍様と絡む設定は初めて。
 その中村は「先日、衣装合わせをしてきました」と、初もの尽くしの1月公演に期待を膨らませている。

 2部は中村の歌謡ショーで、タイトルも「不死鳥の夢 寿ぎの歌い初め!」と正月らしいもの。不死鳥の夢 ~ というのが、また良い。
 中村は1月に体調を壊して入院していたが、月末には退院。今はジムで体力作りも精を出すほど。「もう大丈夫です。このまま一気に頑張って、新曲『弥太郎鴉』を大ヒットさせたいですね」と、元気に笑顔を見せる。
 歌謡ショーは、そんな中村の復活を祝うかのようなのタイトルになっている。

■元気にしてくれる股旅演歌

中村美律子2.jpg 新曲「弥太郎鴉」は、「恋の肥後つばき」で1986年にワーナーパイオニアからメジャーデビューして以来、70枚目の記念記念シングルになる。退院して4ヶ月後の5月にレコーディングをして、これもまためでたい末広がりの8月8日にリリースするといった具合であった。

 メイン曲は ♪ おひけぇなすって ~ の歌詞も入る、初めての道中もの。やはり道中もので、コンサートなどでは欠かせない中村の「瞼の母」は傑出しているが、彼女のオリジナルではない。
 こうしたカバー曲をコンサートなどでメドレーすることはあったものの、オリジナル曲で出したのは「弥太郎鴉 / 忠治旅鴉」が初めてとは、ファンですら驚きでもあるようだ。





 カップリングの「忠治旅鴉」も、やはり道中ものである。
 「曲調はそれぞれメジャーとマイナーの違いはありますが、どちらもA面のメイン曲です。『弥太郎鴉』は、明るくてノリのいい歌で、歌っていても元気が出ます」と中村。

 「忠治旅鴉」は、晩年を淋しく過ごした侠客、国定忠治をしみじみと歌っている。制作段階ではどちらをメインにするかで議論があったが「明るい曲調が今の時世に合う」と、「弥太郎鴉」に決定したという経緯がある。

 新曲を出すたびに続けていることだが、今回、道中ものを歌うに際して「国定忠治」など股旅もののビデオを何作か見ている。歌の役作りに役立てるためである。
 「苦手な歌はありません。どんな歌でも歌います」
 と笑って見せる中村からは、デビュー通算シングル枚数70枚というキャリアの自信を感じさせていた。





[中村美律子 オフィシャルサイト]
http://www.goldenmusic.co.jp/mitsuko_nakamura.html
[中村美律子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=34462

[中村美律子 御園座正月公演]
https://www.misonoza.co.jp/lineup/month1901.html






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みやま健二(徳間ジャパンコミュニケーションズ)  新曲「能登の灯祭り」を披露  発表リサイタル   能登のキリコ祭りをテーマに勇壮に歌う  大阪・朝日生命ホール [新曲発表]

◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、みやま健二が2018年9月1日、大阪・高麗橋の朝日生命ホールで新曲「能登の灯祭り」発表リサイタルを開いた。自ら「男意気を歌った自分にピッタリな楽曲」というように、暑さを吹き飛ばすかのように威勢よく祭り歌を披露した。同じレコード会社の浅田あつこが応援ゲストで出演して、最新曲などを歌ってエールを送ったほか、日本クラウンの知里も応援に駆け付けた。2部ではみやまが出演する男ばかり7人の歌手による歌謡ショー「第5回男の演歌」も開かれた。

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御陣所太鼓で新曲「能登の灯祭り」を披露するみやま健二


 年に1度、能登の男たちが熱い想いをたぎらすのが古くから能登地方に伝わるキリコ祭りである。それを歌ったのが「能登の灯祭り」。勇壮な祭り歌を一度歌ってみたい-というみやまの希望を取り入れて制作されたメジャー第2弾。
 リクエストに応えて詞を書いたのはみやび恵である。女性作者であるが、その内容は男顔負けの祭りにかける男の意気込みを感じさせる。「この祭りのために1年間仕事に打ち込む男たちと、それを支える女の優しさが能登の祭りにはあります。それを日本中の人たちに知ってもらえるように歌ってもらいたい」とみやび。

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「能登の灯祭り」の作詞者・みやび恵(左)と作曲者の西つよし(右)
中央はみやま健二

 彼女の詞に格好いいビートの効いた曲を付けたのは西つよし。演歌系の作曲家で、自らのバンドではロック演歌という新分野を拓きつつある。初めてみやまの作品を書いたが「みやまさんの声、雰囲気、歌唱がピタリとはまりました」と、みやびの詞の世界をより男っぽく仕上げた。

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 この日、みやまはオープニングで御陣所太鼓を披露しながら「能登の灯祭り」を全力で歌い、エンディングでも再度歌を聴かせるなど、汗だくで新曲をアピールしていた。
 曲のクライマックス ♪ イヤサカヨッセ ~ に続いては、客席から<サカセ!>の掛け声もあって、歌を盛り上げていた。

 このほかメジャーデビュー曲で2年間歌い続けてきた前作「浜撫子」などオリジナル曲の数々を歌った。また客席に降りて、1人ひとりと握手して来場への感謝の気持ちを示していた。

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「男の演歌」チームがみやまにエールを送る

 2部の「男の演歌」出演者たちがステージに勢ぞろいして新曲発売を祝ったほか、応援ゲストとして出演した浅田あつこは新曲「河内のからくち」など3曲を歌い、男ばかりのステージに花を添えるとともに「新曲がヒットしますように」と話していた。

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応援ゲストの浅田あつこ

 また大阪でのキャンペーンの合間をぬって、日本クラウンの歌手、知里もサプライズで応援メッセージを届けにステージに上がったて、会場を沸かせていた。

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サプライズ出演の知里

 みやまは前作で成しえなかった北日本でのキャンペーンにも今回は挑んでいくとしており、さらに「僕は決して歌は上手いとは思っていませんが、聴いてくれる人たちの心に伝わるくみやまオリジナル>の歌を歌っていきたい」と、新曲へかける強い意気込みを見せた。

■7人衆による男の演歌

 2部の「男の演歌」は、日本クラウンの渡辺要をチームリーダーにたくみ稜(同)光岡洋(同)みやま健二(徳間ジャパン)五条哲也(日本クラウン)福島はじめ(ホリデージャパン)三浦潤の男性歌手7人で構成する演歌歌謡ショー。すでに京都、大阪、神戸、高松で公演しており、今回の大阪会場は2順目。

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第5回男の演歌

 今回は演歌好きの子供に扮した五条、福島が友だちからいじめられながらも、渡辺たち近所のおじさんたちに励まされながら演歌歌手として成長していく寸劇をまじえながら、1人ひとりがオリジナル曲を披露した。
 もちろんみやまはここでも「能登の灯祭り」を歌って、燃えるようなヒットへの想いを見せていた。






[みやま健二 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_release_detail/id=7733&rid=11132







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