山本和恵(エイフォース・エンタテイメント) 京都・舞鶴で恒例のコンサートを開く 自らの半生を歌った最新曲「三つの宝石」など18曲を歌う [コンサート]
◆京都の北、舞鶴に住みつづけて全国で歌手活動を展開している山本和恵(60)が、2011年6月26日、京都府舞鶴市北田辺の舞鶴市民会館で第10回山本和恵コンサートを開いた。シングルマザーとして2人の子どもを育て、その母としての半生を歌った最新曲「三つの宝石」など18曲を歌った。恒例となった2人の小さな孫からの花束のプレゼントもあって、会場からは温かい拍手が送られ、それに応えて山本は「これでまた1年、頑張れます」と話していた。
可愛らしい孫2人から花のプレゼントをもらう 山本和恵(右)
「明日花/北情話」(ガウスエンタテイメント)でデビューして12年目になる山本和恵。
毎年、地元・舞鶴でコンサートを続けている。
この日は1部が自ら主宰するカラオケ教室などから参加した一般の人たちによるカラオケ大会で、50人が次々と自慢の歌を歌っていた。
久しぶりの和服姿を披露した山本和恵
休憩をはさんで始まった2部は、いよいよ山本和恵コンサート。
いつもはジーンズで走り回っている山本が、7か月ぶりに着た白い和服姿で現れ、最初に歌ったのは「コンサートでは必ず歌っている」という地元・丹後を綴った「丹後恋歌」。
コンサートへ足を運んだ人たちに<ようこそ丹後へ>の気持ちを込めて歌った。
山本は自ら作詞も手掛けており、今までに11曲を書いている。
コンサートでは、そのうち9曲を披露した。
詞を書いた背景など舞台裏を1作1作説明していく丁寧さで、まず「もういいかい」「龍安寺~ひとり雪の京都~」「花蓼」などから歌い始めた。
<京都の歌を書いて>と佐賀県の大田千恵さんに頼まれて作ったというのが「龍安寺~ひとり雪の京都~」で、龍安寺に足を運んでイメージを膨らませたという。
「花蓼」は、1部のカラオケ大会にも出演した桂京子さんに書いたもので、「紅筆を買い求めるのは、女が前向きに生きていくしるし」と、紅筆で知られた広島へ実際に出向いて2000円の品を買って作った作品だという。
「思い浮かんだ言葉は買った紅筆のレシートの裏に書きとめました」と山本。
「私にとって作詞は、背中を掻くように簡単ではありません」と、出来あがるまでの苦心談などを織り交ぜて、曲の裏側を解説してくれた。
デビューするまで、山本はカラオケ大会に出場を繰り返す、歌好きの普通の女性だった。
しかし2000(平成12)年にデビューして、05(平成17)年に出した「壊れた人形」は、歌手・山本和恵の名前を多くの人に知られる記念になる作品だった。
和服から黒いドレスに着替えて、この歌を披露。
続いて歌った「秘すれば花」は、50代の終わりに差しかかった頃に<人生は短い。このまま終わるのならば、いいことを考えて生きなければ>と、自らの心の想いを表現したものだ。
さらにこれのカップリング曲「ライムでライトなラブソング」も聴かせてくれた。
「すべての出来事は偶然ではなく、決められたもののよう。貴方との出会いも、そうした運命のなせる技」
そんな想いを詞にしたのがこの曲だった。
コンサートではまた、ゲストのKenjiro = 写真上・右 = 、前田卓司 = 写真上・左 = もオリジナル曲を披露し、それぞれ山本と「恋はドラマチック」と「黄昏の扉」をデュエットで歌った。
後半は、「愛の終止符」「京都でね」「三つの宝石」といった最新のオリジナル曲などを披露した。
「三つの宝石」と「京都でね」は、いずれも作詞が朝比奈京子、作曲が小田純平、編曲川村栄二といった作品。
「三つの宝石」では、< ♪ 女と妻と母という三つの宝石の中で 私は母というダイヤを選んだ ~ >と、山本自らの人生を表現した作品で、今年、還暦を迎えた彼女が渾身の思いで歌う「還暦記念曲」だという。
可愛らしい孫2人から花のプレゼントをもらう 山本和恵(右)
「明日花/北情話」(ガウスエンタテイメント)でデビューして12年目になる山本和恵。
毎年、地元・舞鶴でコンサートを続けている。
この日は1部が自ら主宰するカラオケ教室などから参加した一般の人たちによるカラオケ大会で、50人が次々と自慢の歌を歌っていた。
久しぶりの和服姿を披露した山本和恵
休憩をはさんで始まった2部は、いよいよ山本和恵コンサート。
いつもはジーンズで走り回っている山本が、7か月ぶりに着た白い和服姿で現れ、最初に歌ったのは「コンサートでは必ず歌っている」という地元・丹後を綴った「丹後恋歌」。
コンサートへ足を運んだ人たちに<ようこそ丹後へ>の気持ちを込めて歌った。
山本は自ら作詞も手掛けており、今までに11曲を書いている。
コンサートでは、そのうち9曲を披露した。
詞を書いた背景など舞台裏を1作1作説明していく丁寧さで、まず「もういいかい」「龍安寺~ひとり雪の京都~」「花蓼」などから歌い始めた。
<京都の歌を書いて>と佐賀県の大田千恵さんに頼まれて作ったというのが「龍安寺~ひとり雪の京都~」で、龍安寺に足を運んでイメージを膨らませたという。
「花蓼」は、1部のカラオケ大会にも出演した桂京子さんに書いたもので、「紅筆を買い求めるのは、女が前向きに生きていくしるし」と、紅筆で知られた広島へ実際に出向いて2000円の品を買って作った作品だという。
「思い浮かんだ言葉は買った紅筆のレシートの裏に書きとめました」と山本。
「私にとって作詞は、背中を掻くように簡単ではありません」と、出来あがるまでの苦心談などを織り交ぜて、曲の裏側を解説してくれた。
デビューするまで、山本はカラオケ大会に出場を繰り返す、歌好きの普通の女性だった。
しかし2000(平成12)年にデビューして、05(平成17)年に出した「壊れた人形」は、歌手・山本和恵の名前を多くの人に知られる記念になる作品だった。
和服から黒いドレスに着替えて、この歌を披露。
続いて歌った「秘すれば花」は、50代の終わりに差しかかった頃に<人生は短い。このまま終わるのならば、いいことを考えて生きなければ>と、自らの心の想いを表現したものだ。
さらにこれのカップリング曲「ライムでライトなラブソング」も聴かせてくれた。
「すべての出来事は偶然ではなく、決められたもののよう。貴方との出会いも、そうした運命のなせる技」
そんな想いを詞にしたのがこの曲だった。
コンサートではまた、ゲストのKenjiro = 写真上・右 = 、前田卓司 = 写真上・左 = もオリジナル曲を披露し、それぞれ山本と「恋はドラマチック」と「黄昏の扉」をデュエットで歌った。
後半は、「愛の終止符」「京都でね」「三つの宝石」といった最新のオリジナル曲などを披露した。
「三つの宝石」と「京都でね」は、いずれも作詞が朝比奈京子、作曲が小田純平、編曲川村栄二といった作品。
「三つの宝石」では、< ♪ 女と妻と母という三つの宝石の中で 私は母というダイヤを選んだ ~ >と、山本自らの人生を表現した作品で、今年、還暦を迎えた彼女が渾身の思いで歌う「還暦記念曲」だという。
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