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叶麗子 元祖オーロラ輝子の親不孝人生  守口文化センターで講演  「夫婦道」も歌唱 [イベント]

◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、叶麗子が、2015年12月4日、大阪府守口市の守口文化センター(エナジーホール)で「お母さん産んでくれてありがとう」と題して、通天閣の歌姫を作った皺くちゃの千円札から引退まで考えた絶望の日々など、ジェットコースターのような25年の歌手人生を、歌を交えながら約1時間半にわったって話した。話しの内容はすべて手話通訳されて会場に届けられた。

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両親と歌への想いを熱く語る叶麗子


 守口市、守口市教育委員会、守口市教育委員会が主催したこの日の講演には約800人の市民らが参加。叶は股関節脱臼で生まれてきて子どもの頃にはいじめにもあった。その彼女を温かく育てた母親、歌が大好きだったが歌手になると言った時には「3年間は家の敷居をまたぐな」と言った父親の思い出から話し始めた。

 通天閣の歌姫が生まれるエピソードでは、歌手になったと言ってもキャバレーなどで歌ってミュージックテープを販売するだけでは生活も苦しく、叶が最後のステージと決めて歌った大阪・ジャンジャン横丁の劇場で、やはり生活苦から自殺を考えていた男性が叶の手に握らせてくれた皺だらけの1枚の千円札が、通天閣歌謡劇場で25年間トップ歌手として歌う力を与えてくれたことを披露。

その通天閣歌謡劇場も2013年に幕を閉じ。同じ街での劇場復活計画も破たんし、歌う場所がなくなり、慢性気管支炎によって声が思うように出なくなり、体調の悪化も重なって歌手引退も考え、睡眠薬による自殺を図った。

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笑顔で歌う叶麗子

 その叶に救いの手を差し伸べたのはレコード大賞を受賞したちあきなおみの「喝采」などを書いた作詞・作曲家の中村泰士やカラオケボックス「カラオケレインボー」を全国に展開するコスモコーポレーションの琴平能弘社長だったこと。
 彼らにによって始められた「道頓堀SUPER歌謡劇場」では叶は再び、通天閣の歌姫として蘇っていく。

 まるでジェットコースターのような七転八起の半生に、会場をいっぱいに埋め尽くした人たちは、メモを取りながら真剣に聞き入っていた。
 叶は「地獄を見た人の表情は明るい。泣くのは修業、怒るのは無知、笑うのは悟り なんです」と、同じ人生なら笑って生きようと笑顔を絶やさない。

 叶はトレードマークの通天閣のミニチュアを頭にのせて代表曲「夫婦道」を歌いながら会場後方から現れた。
 講演の間には母親を歌ったオリジナルの「あなたが星になった日」や夏川りみの「涙そうそう」をカバーした。森山良子が作った「涙そうそう」は、戦争で亡くなった実兄への想いを詞にしたもので、叶は太平洋戦争で足を失くした祖父のことを想い描きながら歌っていた。

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最後は会場の人たちと全員で「故郷(ふるさと)」を合唱

 叶は2000年に亡くなった母親への想いを綴った本「心 お母さん産んでくれてありがとう」(絶版)を京都市の出版社から発売したのをきっかけに、全国各地から講演の依頼が引っ切り無しに舞い込んでいるという。多い時は1ヶ月に14、5回にも及び、今までには700回以上にもなっている。


[叶麗子 オフィシャルサイト]
http://xn--qpry4oim5d.com/

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