SSブログ

鳥羽一郎(日本クラウン)  35周年記念曲「北海夫婦唄」 スケールの大きなドラマチックな演歌 [インタビュー]

鳥羽一郎.jpg鳥羽一郎、64歳。日本クラウンを代表するベテラン歌手である。「兄弟船」でデビューしたのは30歳の時だった。この世界では決して早くなかった。ところがこれがいきなり大ヒットする。新人賞も総なめするといった具合だった。その鳥羽がデビュー35周年第1弾の「北海夫婦唄 / 昭和男は浪花節」を2016年8月に出した。トランペットの音がとても印象的で、映画かテレビドラマでも見ているかのようなストーリー性もあって、聴き応えたっぷりな楽曲である。同時発売のスペシャル盤は「兄弟船」(1982年)と「海の匂いのお母さん」(1983年)も収録した4曲入り。








 「兄弟船」がそうであったように、新曲「北海夫婦唄」はトランペットの演奏が印象的である。初めて鳥羽に楽曲を提供した作曲家徳久広司は恐らく「兄弟船」を意識していたのだろう。それだけに徳久にとっては力がこもった作品で、鳥羽自身も「スケールの大きな、いい作品に仕上がっている」と満足気である。

鳥羽一郎・北海夫婦唄.jpg もうひとつこの楽曲を強く印象付けるのは、歌の出だしが1番は「風・・・」2番は「唄・・・」そして3番は「星・・・」と一文字なのである。珍しい歌詞である。それを作詞したのは柴田ちくどう。去年、「飛騨の龍」(作曲・原譲二)で初めて鳥羽の詞を書いている。本来は柴田竹童と名乗る日本画家。花村菊江が歌った あの「潮来花嫁さん」(1960年)もちくどうの作品だというから、実に多彩な才能を見せる。
 情景が目に浮かんでくるような「北海夫婦唄」の詞は、画家ならではの作品のように思えてくる。鳥羽も「解りやすい詞でいいよ」という。


 ファンの反応ももちろん「評判はいいですね」と鳥羽。ただたくさんの人たちの間に歌を浸透させるには「(新曲、新曲と追われることなく)もう少し長く歌いたいね」と今の演歌・歌謡界の風潮にチクリとひと言。
 「兄弟船」は今でもステージで必ず歌うが、発売当初は「4、5年は歌い続けていました」と、出来ることなら「『北海夫婦唄』も2、3年は歌いたいですね」。

 鳥羽の歌はひとつの途を貫き通す男の生き様が歌われている。「ど演歌」と言われるものである。そんなど演歌をたくさんの人たちに聴いてもらいたい、と同じ仲間の鏡五郎(キングレコード)と三門忠司(テイチクエンタテインメント)とともに「ごんたの会」を結成。3年前から演歌のコンサートを始めている。
 「3人が集まると面白いことができるんじゃないかと思って始めました。3人それぞれが独自の世界を持っており、それが歌うのが楽しいですね」
 本人たちが面白いものは、見ている我々も面白い。「来年もまたやりますよ」。

■これからも続く航海

 鳥羽の歌にはもうひとつ海、母、兄弟、家族といったテーマが流れている。ヒット曲の「兄弟船」と同様にステージではほぼ必ず歌っているのが「海の匂いのお母さん」。これは5年前に他界した母親・木村はる枝さん(享年79歳)のことを想って歌っている。
 はる枝さんは45年間、海女として鳥羽の海に潜り続けていた。その海は自らも遠洋漁船の船員としてマグロなどを追って駆け巡っていたところでもある。



 その息子たちの長男木村竜蔵と次男木村徹二もまた、ステージの上で<兄弟船>を演じている。兄弟デュオ「竜徹日記(りゅうてつにっき)」を結成しているふたりは、父親・鳥羽一郎と一緒にステージを務めることもあるが、歌うのはポップスである。「次男の徹二には生まれ持った演歌のこぶしを持っているように思うけれど、演歌を歌うかどうかは本人次第」と、アドバイスはするが見守る程度だという。


 鳥羽は27歳で三重県・鳥羽から上京し、30歳でデビュー。アイドル全盛時で同期に中森明菜などがいる。「今までにはいろんなこともあったけれど、順調にやってこれた。あっという間に過ぎた」と、今までの<航海>を振り返る。
 ただ「もともと強くはないけれど、それでも酒が弱くなったね」と、この時ばかりは歳を感じるそうだ。


[鳥羽一郎 オフィシャルサイト]
http://www.tobaichiro.net/
[鳥羽一郎 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/toba/whats.html




nice!(1)  コメント(0) 

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。