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みやま健二の演歌でWARAKASU in カラオケ non non (京都・山科)でワラカス [YouTube]

「浜撫子」でお馴染みの徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、みやま健二が2018年2月25日、YouTubeで好評配信中の番組「演歌でWARAKASU」で、京都市山科区にあるカラオケ喫茶店・カラオケnonnonを訪ねました。non nonは2016年3月にオープンしたばかり。




 この店は広くて客席もゆったりしているし、音響設備も良いと評判。
 みやまたち演歌でWARAKASUのチームメンバーたちは、去年、京都市内で行った男性歌手ばかりによるライブ「男の演歌」の練習場として使っている。勝手知ったる店というわけである。

 営業時間の合間を縫って番組の収録を行った。
まずは古くからnon nonに出入りしている京都在住の歌手、三浦潤が最新曲「神戸...ひとり」を歌って、みやまは「浜撫子」を披露した。

 ここのママさんは通称、ノンさん。「お客もスタッフも気さくな人ばかりなので、気軽に立ち寄ってください」
 と店のPRをしていた。


[カラオケ non non(ノンノン)]
京都市山科区東野森野町2-52 澤田ビル西館 1階
075-594-6077







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一条貫太(日本クラウン) 「ふたりの始発駅」で3月7日デビュー 大阪でも業界関係者集めてコンベンション [イベント]

一条貫太5.jpg◆細い目に短髪、人懐っこい笑顔が聴く者を引き付ける。2018年3月7日に日本クラウンから「ふたりの始発駅」でデビューする一条貫太である。それに先立ち、2月26日、大阪市北区のライブレストラン、ボニーラでデビュー前のお披露目会を開いた。現役大学生の21歳。小学生の頃から演歌を歌い、2年前に民放局のカラオケコンテスト番組の決勝で、井沢八郎の「男傘」を歌って3位になったのがプロへのきっかけ。演歌の魅力は「本を読むように短いドラマの情景が心に染み入るところ」だという。


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 コンベンションではデビュー曲の「ふたりの始発駅」(作詞・万城たかし、作曲・宮下健治、編曲・伊戸のりお)とカップリング曲「潮風列車」(同)を聴かせた。いずれも高音から始まる。「宮下先生からは荒っぽくても良いから、21歳の若さを出して歌いなさいとアドバイスを受けました。歌の内容は僕には経験のないドラマだけど頑張って歌います」と一条。

 彼が歌うそれは、大学2回生の時に2万7千人の応募者の中から選ばれて出場したカラオケコンテスト審査員のひとり、平尾昌晃から「これはまったく別の井沢八郎だ」と絶賛されたほどの歌唱力に裏打ちされた本格演歌。

 コンテスト入賞から1年、宮下のもとでレッスンを受けた。「先生から指摘を受けたことが直せないといった自分への悔しい思いを噛み締めながら、毎日、自宅までの道を歩いていました」

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抜群の歌唱力でデビュー曲を披露する一条貫太

 千葉市内の自宅には置き場所にも困るほどの昭和演歌・歌謡曲のLP盤がある。それを繰り返し聴いてきたこともあって、歌える楽曲のレパートリーも幅広い。そのひとつが、この日も披露したコンテストで歌った「男傘」(1964年)のほか母親譲りのギターを自ら弾いての「影を慕いて」(藤山一郎、1932年)や「石ころの唄」(鳥羽一郎、2008年)。

 こうした演歌好きは子供の頃から。テレビのモノマネ番組がきっかけだった。
 小学6年の時にはクラスの同級生の協力で「体育館で演歌リサイタルを開き、小林幸子さんや美川憲一さんを真似て巨大衣装を作り、その中に仕込んだ脚立に乗って歌いました。それにはたくさんの拍手をもらって、初めて歌への自信がつきました」というエピソードも。

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久々の本格演歌歌手の登場

 アルバイトを続けてきたコンビニでは「店頭に牛乳箱の上に乗って、猫やおじいちゃん、おばあちゃんを前に歌わせてもらった」し、店長のアイディアで〈貫太〉と〈一條(一条の本名)〉の焼印を押したアンパンとクリームパンを作って、店を挙げて応援をしてもらっている。

 関西の業界人が見守る中、ステージで5曲を聴かせて「幸せ者だと思いました」という一条は、東京・大崎にある大学で経済学を学ぶ大学生3回生。千葉市から約1時間半をかけて通っている。
 すでに4年分の単位は修得済みで「残り1年の大学生活は歌手活動に専念出来ます」と、自ら目標とする「1人でも多くの人に僕の名前と歌を覚えてもらい、人を勇気付けられる歌手」を目指す。

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アンパンマンのような歌手を目指す一条貫太

[一条貫太 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/ichijo/
[一条貫太 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/ichijo/whats.html






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水城なつみ(キングレコード)  デビュー5周年記念コンサート  都内で初のワンマンコンサート  10年、20年に向けての土台に 先輩歌手・千葉一夫が応援 [コンサート]

◆キングレコード歌謡文化アカデミー(KBA)の2012年度歌謡選手権のグランドチャンピオンで、翌年5月に「泣いてひとり旅」でキングレコードからデビューした水城なつみが、2018年2月23日、東京・江東区の亀戸文化センター・カメリアホールでデビュー5周年記念コンサート「勇往邁進」を開き、新曲「帰って来やれ」など全18曲を熱唱した。

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都内初のワンマンコンサートを開いたデビュー5周年の水城なつみ

 水城なつみは単独コンサートを今まで、地元の茨城県つくば市では開いてきたものの、東京都内ではこれが初めて。タイトルの「勇往邁進」は、目標に向かって恐れずにまっしぐらに突き進むという意味で「少し成長した今の私の姿と前に向かって進もうとする姿を、5周年を機に皆さんに感じてもらいたい」という願いを込めて、彼女自身が名付けた。

 オープニングは「帰って来やれ」。約350人のファンが詰めかけた客席からは〈なつみちゃん、なつみちゃん〉の大きなかけ声が、繰り返し飛び交っていた。水城は「泣きそうになるのをぐっとこらえていました」と、2月21日発売のセカンドアルバム「ウタツグミⅡ」に収録する「納豆音頭」と、同アルバムからカバー曲「千恵っ子よされ」「だから云ったじゃないの」「お富さん」などを披露した。

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前に進もうとする姿を見てほしかったと話していた水城なつみ

 客席に降りてはオリジナル曲の「逢ってみたい人」や、キングレコードの大先輩ペギー葉山が歌った「南国土佐を後にして」などをメドレーで歌った。終盤には松原のぶえの「海燕」島津亜矢の「都会の雀」、さらにデビュー曲「泣いてひとり旅」をなどを聴かせ、アンコールに応えて「なつみの数え唄」も。

 この日、水城を応援するために出演したのは、同じ事務所に所属する先輩歌手の千葉一夫(キングレコード)。「吉野川」「倖せ花」を歌って「初めて会った時はまだ高校生だった彼女も成長しました。大輪の花が咲くよう応援をお願いします」と、5周年を祝った。

 水城は「今日のコンサートは私にとって大きな一歩となると思います。これから10年、20年に向かってしっかりと土台を作っていけるように、足下を固めていきます」と話していた。
また水城は4月25日には、7枚目のニューシングル「江差恋しぐれ」を発売することになっている。


[水城なつみ オフィシャルサイト]
http://www.mizuki-natumi.com/
[水城なつみ キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=44259
[水城なつみ キングレコード歌謡文化アカデミー]
http://www.kingrecords.co.jp/KBA/







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水田かおり(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 「人生夢灯り」  デビュー25周年記念作品  多くのファン支えられて歌う [インタビュー]

水田かおり.jpg◆デビュー25周年を迎えている徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、水田かおりが2018年2月7日に新曲「人生夢灯り」を出した。3番にある ♪ 苦労する為 生まれた人が どこにいますか 〜 の歌詞が1番好き、という水田の25年の歌手人生を振り返って作られた応援歌である。水田は「今まで大ヒットもなく来ていますが、長く歌ってこられたのは、下積み時代から応援してくれる人たちがたくさんいるから」と、新たな気持ちで次の一歩を踏み出している。


水田かおり・人生夢灯り.jpg









 新曲「人生夢灯り」の関西キャンペーン初日の2018年2月22日、京都駅からラジオ局へ向かうタクシーで60代と思える運転手から「水田さんですか。新曲を出されたんですよね」と話しかけられ、水田かおりは25年のベテランにもかかわらず、思わぬ声がけに感極まってしまった。そのうれしさを抱えたまま番組に出演した。

水田かおり3.jpg 25年の間には沖縄県を除く全都道府県をキャンペーンで訪ね歩いている。それが津々浦々に水田のファンを作ってきた。運転手もそんな1人だったのかもしれない。

 徳間ジャパンに移籍して第1弾の「霧笛の波止場」(1998年)を出して間もなく、カラオケ喫茶店などへの1000ヶ所訪問キャンペーンを始めた。それは3年で達成したが、その時に訪ねた先のひとつに今の兵庫県南あわじ市があった。淡路島南端に位置する。その時に知り合ったのが、当時はまだ作詞家志望の長山たかのりだった。

 長山は2006年に水田の「明日舟」のカップリング曲「冬桟橋」で作詞家デビューを果たす。その後も彼女の最大のヒット曲となった「東京砂漠に咲いた花」をはじめ、同曲の続編で今作のカップリング曲「もう一度・東京(ニューボーカル)」などを手がけている。


 こんなこともあって関西・淡路島はいつのまにか、水田にとっては「第2のふる里」になってしまった。

 訪問キャンペーンはその後も続き、マネージャーが運転する車で全国を移動して5、6年続いた。「1日に6ヶ所を回って声を潰したこともありましたし、その間に2000ヶ所以上のお店などを訪ねましたね」。

 水田の下積み時代の話である。

■25周年を新たな一歩に

 「人生夢灯り」は徳間ジャパンに移籍して19枚目のシングルである。水田の周辺から話を聞いたたきのえいじが詞を書いた。作曲は影山時則、編曲は丸山雅仁である。去年秋口にほぼ内容が決まって、急ピッチで制作が進められた。

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 2012年に出した歌謡曲「東京砂漠に咲いた花」は、水田の全作品の中でも最もたくさん売れたが、今作は「記念曲には人生の応援歌が相応しい」と演歌にした。
 カップリングの「もう一度・東京」は2016年に出したアルバム「全曲集 〜 明日舟 〜 」に収録された楽曲を新録音したものである。

 これら新曲は2018年2月23日、大阪・今福のイズミヤ今福店でのキャンペーでも披露したが、水田のアマチュア無線仲間も応援に駆けつけるなど、電波女子ぶりも振りまいていた。

 水田は「今年、地元茨城と東京で記念コンサートを開きたかったが、延期しました。25周年を新たな一歩として大きく羽ばたいて行きたいです」と話していた。





[水田かおり オフィシャルサイト]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/mita.html
[水田かおり 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.fmpalulun.co.jp/mitakaori/






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松尾雄史(日本クラウン)  「さよならを嘘にかえて」  これが松尾スタイル  亀戸天神の鷽替え神事でモチーフに男心を歌う  去年テレビを見ていた年末の僕の姿を嘘に変えたい [インタビュー]

松尾雄史2.jpg◆日本クラウンの歌手、松尾雄史がデビュー6年目の2017年12月6日に出した7枚目のシングル「さよならを嘘にかえて」。デビュー曲の「くちなし慕情」と第2弾の「純子の泪」を足して2で割ったような楽曲だ、と彼自身がいうそれは、聴く者の期待を裏切らない、松尾スタイルな楽曲そのものである。発売前に行った予約会の成果もあってか、オリコンの演歌チャートでは初登場1位にランキングされるなど、順調なスタートを切っている。


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 182センチの長身である。ステージで堂々と歌い話す姿は、もう新人ではないといった風格さえ感じさせる。そんな松尾雄史は去年12月、シングルと同時にファーストアルバムも出している。アルバムには「肥前路の女(ひと)」「門出船」「思いどおりに」のニューオリジナル3曲も収録している。シングルのメイン、カップリングを合わせると、計5曲を3日間かけて同時にレコーディングしたのである。

 もちろん初めてのことだが、その5曲の中から制作スタッフがシングルに入れるもの、さらにどれをメイン曲のするかを検討した。「全員の総意で、しかも僕も気にっていた『さよならを ー 』をシングルのメインにすることで決まりました」と松尾。

 誰もがこれが松尾と感じる「さよならを嘘にかえて」は、最初に示されたメロディーとは違っていた。水森が「こういうのも作ってみたんだよなぁ」と言って聴かせたものが採用されている。一方で森田いずみの詞は、東京・亀戸天神の鷽替(うそかえ)神事をモチーフに、愛する人を取り戻したいという、出来ることならば別れをうその変えてしまいたい男性の想いを綴っている。

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 前作の「トマム絶唱」前々作の「メルボルン特急」など、松尾が歌う作品の多くはお洒落なものが多いのだが、今作は「メロディーの雰囲気が少しコミカルで、今までのものとは様子が異なりますが、何度か聴くとスッ〜と入ってきます」と、松尾にとっても期待以上な作品になったことを指摘している。

 新曲のジャケット写真の撮影に合わせて松尾は髪の毛を緑に染めている。亀戸天神の池に沢山いる亀の甲羅に似せたのである。しかしこれはその時だけのことで、今はすっかり元の黒髪に戻っているのだが。
 「それは自分自身の考えでやったことなんですが、元の色を全部抜いてから染めるんです。それがまた痛いのなんのって、3日間苦しみました」
 そんな想いは2度としたくない、といったところのようである。

 今、各地を回っている新曲キャンペーンでは、同時にレコーディングした5曲すべてを歌うように心がけている。彼にとってはすべてが可愛い新曲だからである。中でも「思いどおりに」は、同じ事務所の歌手、レーモンド松屋が作詞作曲した作品であり「楽しみな作品」(松尾)でもあった。

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 デモCDが届いた時、譜面はなくコード進行だけが書かれていたという。レッスンのためにレーモンドが四国から上京してきたが「そうじゃない!リズムで歌ってほしい。巻き舌歌唱はしないように」と言われながらも、1時間余りでそれは終わった。
 「その時は指摘されたことがうまく理解できなかったんですね。まぁ、自分なりに考えて歌ってみようとレコーディングに臨んだら、ディレクターからOKが出ました」
 それを聴いていたレーモンドからも「いいよ」の言葉をもらっている。

 そんな5曲であるから大事に歌って行きたい、と真剣に捉えている。2月20日の大阪発流行歌ライブのステージでも、カバー曲を1曲含めて5曲すべてを歌っている。「約30分の持ち時間で1人だけ6曲も歌いました」。


 自分自身にとって嘘に変えたいことは・・・?
 「過ぎたことを引きずらないタイプですからね」と言い切ったが、先の流行歌ライブでは「去年は仕事をしなかった12月31日ですが、今年は仕事をしていたいですね」と話していた。





[松尾雄史 オフィシャルサイト]
http://matsuoyushi.com/
[松尾雄史 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/matsuo/whats.html






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木下結子(日本クラウン) 猫の日に第5回chu−chu−ライブ 「猫のファド」などを全10曲を歌う 千日前・カラオケ夢想歌 [ライブ]

◆オリジナル曲や懐かしいカバー曲を聴かせる、日本クラウンの歌手、木下結子chu−chu−ライブが2018年2月22日、大阪・千日前のカラオケ夢想歌で行われた。代表曲の「放されて」「ノラ」から最新曲の「マリーゴールドの恋」までのオリジナル曲を歌うとともに、この日の猫の日にちなんでリンダ・コラソンの「猫のファド」もカバーした。

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猫柄(?)の洋服で歌う木下結子

 今年5月で11年目に入る木下結子の月1回の定期ライブ。去年9月からは会場をそれまでの大阪・阿倍野から同千日前に移し、新たなライブのタイトル「chu−chu−ライブ」は、共演のギターリスト・井上善日居と共に干支が子(ね)であることから、その鳴き声のチューチューから取っている。

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今年で11年目になる木下結子の定期ライブ

 衣装も普段着でラフなスタイルが売り、この日は猫の日にちなんで猫柄(豹柄)の洋服。歌ったカバー曲の中には、拾った迷い猫とい暮らし始めた女性の哀しい心のうちを歌った、阿久悠作詞で浜圭介作曲の「猫のファド」(リンダ・コラソン)を入れる念の入れよう。

 しかも会場の片隅には偶然居合わせた、吉本新喜劇の役者で猫の芸でも知られる池乃めだかさんの姿も見られた。

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デビュー曲から最新曲まで、そしてカバー曲も披露するChu-Chu-ライブ

 ライブでは前々作の「愛は海」、日本クラウン移籍第1弾の「ウヰスキー」も歌った。森進一の「東京物語」も歌った木下は、2018年4月7日、東京・八重洲のHIT STUDIO TOKYOで2回目のワンマンライブを開くことも告知していた。

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4月に開く第2回東京ライブ

 「人生はやり直しが効く、と歌っているのが『ウヰスキー』ですが、これを歌うと明日も頑張ろうと、勇気と元気をもらえます」(木下)

 毎回人気のリクエストコーナーでは和田弘とマヒナスターズ・田代美代子の「涙と雨に濡れて」に応えて、井上善日居のソロコーナーはハーモニカ演奏による「千の風になって」(秋川雅史)を聴かせた。

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井上善日居のハーモニカ演奏

 ラストは今年4月で発売1年になる「マリーゴールドの恋」と、井上の作曲による「ありがとう そして これからも」。木下は「もうしばらく『マリーゴールドーー』を歌っていきます」と話していた。
次回は3月22日午後7時30分から、同じカラオケ夢想歌で予定されている。入場料3000円。




[木下結子 オフィシャルサイト]
http://nora-yuiko.jugem.jp/
[木下結子 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kinoshita/whats.html






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真奈尚子(ビクターエンタテインメント) 大人のムードに酔いしれたビルボードライブ大阪でコンサート 竹中直人がゲスト出演 [ライブ]

◆ビクターエンタテインメントの歌手、真奈尚子が2018年2月20日、大阪・梅田のライブレストラン、ビルボードライブ大阪で、毎年恒例のコンサート「オトナを夢中にさせるワン・ナイト 真奈尚子」を開いた。まるで竹久夢二が描く「宵待草」のようにやるせない世界を歌った。その竹久など大正浪漫を彩った画家たちを描いた映画「およう」(松竹、2002年)では、主題歌「離さないで」を歌っているが、それに出演していた竹中直人がこの日のスペシャルゲスト。真奈とデュエットを聴かせたほか、撮影時の真奈との思い出も語った。

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真奈尚子

 全12曲を歌った真奈のコンサートは、ムード歌謡の女王の名にふさわしく会場いっぱいにムードあふれた約1時間半だった。

 ♪ 髪の先から 爪の先まで あなた色に 染められてゆくわ 〜 真奈が「これからも大事にしたい」という「離さないで」(2002年)の歌詞である。
 三木たかし作曲のこの作品をはじめ、真奈の歌はゆったりと流れるメロディーはとめどなく気怠い。

 そんなひとつが、この日も歌ったオリジナル曲の「小さな酒場」(2011年)「愛の背中」(同カップリング)だ。彼女の師匠でもある作曲家吉田正の作品で、吉田の生誕90周年記念作品として制作されたもの。去年にはデビュー曲「あなたのタンゴ」(1989年)が配信限定でリリースされているなど、真奈のムード歌謡は静かに支持され続けているようだ。

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楽しいシャンソンも交えて歌う真奈尚子

 カバーした伊東ゆかりのヒット曲「小指の想い出」も、真奈が歌うとまったく別のムードいっぱいの歌に変わっていた。

 歌謡曲に交えて、真奈が大好きだというジョルジュ・ムスタキの「時は過ぎてゆく」や「それはあなた」などシャンソンでもムードを盛り上げた。


 映画「およう」で真奈は主題歌を歌うとともに、芸者・秀奴役でも出演しているが、竹中は縛り絵の画家伊藤晴雨という、主人公の竹久夢二に絡む重要な役どころで出演していた。撮影現場の日活撮影所で竹中の姿を見た真奈は声をかけたというが、竹中は「美しい人から話しかけられて嬉しくて、腰が抜ける思いがしました」と、当時の印象を照れ臭そうに振り返っていた。

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真奈と話す竹中直人(右)

 その竹中は加山雄三の「恋は紅いバラ」をカバーし、真奈とは「恥ずかしいけど、やっちゃおうかな」と、トワ・エ・モアの「ある日突然」とザ・スパイダースの「なんとなく なんとなく」をデュエットした。

 真奈は「ヒットさせることよりも、永遠に残るムード歌謡を歌っていきたい」と話した。


[真奈尚子 オフィシャルサイト]
http://manamusic.net/
[真奈尚子 ビクターエンタテインメント]
https://www.jvcmusic.co.jp/-/Profile/A000169.html






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第258回大阪発流行歌ライブ、山崎ていじ・松尾雄史・工藤あやの・O2が熱唱 大阪・BIG CAT [ライブ]

第258回大阪発流行歌ライブが2018年2月20日、大阪・心斎橋のライブハウス、BIG CATで開かれた。山崎ていじ(日本コロムビア)松尾雄史(日本クラウン)工藤あやの(徳間ジャパンコミュニケーションズ)O2(ホリデージャパン)の3人と1組が出演。それぞれ最新曲をアピールした。

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第258回大阪発流行歌ライブの出演者たち


■ゴーゴーレッツゴーていじ
山崎ていじ.jpg 39歳で歌手デビューして今年22年目になる山崎ていじが「僕の歌人生と重なる歌です。10数年前に他界した母が目に浮かんできます」と、2018年1月に出した「夢の橋」を披露。♪ きっと架かるよ 夢の橋 〜 と歌つて「僕には次の夢があって、それの実現に向けてがんばります」と話した。この日はまた「昭和男唄」「夜汽車」なども歌って、ゴーゴーレッツゴーていじの掛け声で会場を盛り上げていた。

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■182センチの長身
松尾雄史.jpg松尾雄史は高校時代から長身がさらに2センチ伸びて、今は182センチに。2017年12月に出した「さよならを嘘にかえて」を歌って「去年は12月30日まで仕事をしていましたが、今年は31日まで歌います」と、大舞台への意気込みを見せた。「さよならを ー 」と同時にファーストアルバムもリリース。その収録曲の中からレーモンド松屋作詞・曲の「思いどおりに」など新録音曲も披露した。
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■ドレスで側転
工藤あやの.jpgデビュー5年目の工藤あやのは、去年リリースの「恋ごよみ」を披露するとともに、サードシングルの「故郷さん、あいたいよ」などを歌った。今年1月、山形市内で開いたソロコンサーでは、ステージ上で側転をしてファンを驚かせたが、この日のライブでも「ダンシングヒーロー」の歌に合わせ、マイクを置きヒールを脱ぎドレス姿のままでそれを披露すると、詰め掛けたファンから拍手も。

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■なくてはならない酸素のように
O2.jpg 「秋冬」(1983年)のヒットで知られる原大輔大下香奈のデュオがO2。大輔と大下から取った「大(大きい)」が2つで、O2というわけ。ところがそれは酸素の化学式でもあることから、2人は「生活になくてはならないグループでもある」とアピール。オープニングでデビュー曲の「キターラ・ネロ 〜 黒いギター 〜 」を披露。原の低音と大下の躍動感ある踊りが魅力の、誕生間もないデュオである。

キターラ・ネロ  黒いギター.jpg











[大阪発流行歌ライブ]
http://hayariutalive.com/







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津吹みゆ(日本クラウン) 地元・福島県矢吹町の日本酒「開拓のうた」をPR [イベント]

◆福島県矢吹町のPR大使でもある日本クラウンの歌手、津吹みゆが出身地である同町で去年誕生した日本酒「開拓のうた」の宣伝に余念がない。彼女は2017年、元巨人軍の中畑清氏に次いで2人目同町のPR大使に選ばれている。

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矢吹町の野崎吉郎町長(中央)と「開拓のうた」の酒造会社大木大吉本店の大木雄太社長(左)
のふたりと新酒を手にする津吹みゆ


 その津吹が去年暮れに初めて日本酒を口にした。
 矢吹町の神田地区にある白髭神社で同5月に酒米の田植えが行われているが、秋に収穫したその米で同町の酒蔵、大木代吉本店で作られた日本酒が「開拓のうた」だった。

 青森県十和田市、宮崎県川南町とともに日本三大開拓地と呼ばれる矢吹町は、福島県中南部に位置し、町の面積の半分以上が農地で占められているという。その町の魅力を全国へ発信しようと作られたのが、この日本酒であった。

 先ごろ行われた第161回KOBE流行歌ライブで津吹は、島倉千代子の「りんどう峠」と菅原都々子の「月がとっても青いから」を歌っているが、矢吹町はまさにその歌の情景と重なってきそうなのである。

 2月25日でデビュー4年目に入る津吹だが、故郷への想いは強く「地元の日本酒、開拓のうたをぜひ召し上がってみて下さい」とアピールしていた。その意気込みからは、「開拓のうた」のPRソングを歌う日も来るかもしれない、と感じさせるほどであった。


[津吹みゆ オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/tsubuki/
[津吹みゆ 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/tsubuki/whats.html








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みやま健二(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 大阪初のディナーショー 盛り沢山の見せ場と歌唱 渡辺要、塩乃華織らがゲスト出演 200余人が大歓声 [イベント]

◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、みやま健二が2018年2月18日、大阪市都島区の太閤園で、3部構成の4時間半にも及ぶディナーショーを開いた。ショーダンサーの踊りに合わせて歌うみやま。所属事務所WARAKASUの「男の演歌」劇団による寸劇や、オープニングでは桃太郎のような出で立ちでの歌唱と剣舞。盛り沢山の見せ場に集まった200人を超すファンは最後まで大きな歓声を上げていた。

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華やかなレビューでショーを盛り上げた

 みやま健二が活動拠点を京都から大阪へ移して4年。初めて大阪で開くディナーショーにふさわしく、会場はファンクラブのメンバーや出演中のJ:COM11チャンネルで放送するテレビ番組「歌に恋して」の出演者たちをはじめ、彼を応援する人たちで埋め尽くされた。

 その熱気に応えるかのように、客席後方から登場したみやまの姿は、羽織袴に鉢巻姿の剣士。ステージに上がって「俺のみち」などを歌い、抜いた剣をふた振り三振りして見せた。剣道歴30年の彼は出身地の京都府代表で3度も全国大会に出場し、25歳で4段位を取得。京都には1000余人の教え子もいるというほどの腕前を誇る。

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美剣士姿で登場したみやま健二

 その美技をもう少し鑑賞したいと期待した観客もいたように、みやまも「当初は10分程度の剣舞を予定していた」という。しかしこの日の長いステージを意識してか、ここは抑え気味でスタートした。

 最新曲「浜撫子」のカップリング曲「泪橋」「ふたりの明日」「俺のいい」などオリジナル曲のほか、お得意の「夜明けのブルース」や船村徹の作詞作曲で数多くの歌手がカバーする「希望(のぞみ)」などのカバー曲も聴かせた。ファンの中には踊り始める人もいるなど、大阪ならではの盛り上がり。

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 長時間のディナーショーだけに見せ場も多かった。
 みやまが所属する音楽事務所WARAKASUのメンバーで構成する「男の演歌」の歌手による寸劇は「当日の朝にリハーサルを行った」という即興ながら、悪代官を懲らしめる「水戸黄門」を演じた。また華やかなダンサーに囲まれてのレビューでは、みやまも足を高く上げるシーンもあるなど汗だくの演技。

 ラストに用意したのはやはりみやまのメジャーデビュー曲「浜撫子」。♪ なでしこ なでしこ 〜 と歌に合わせて観客全員が腕を左右に振る姿は、もうお馴染みの光景だ。それが終わるとすでに午後9時半も近いにもかかわらず、客席からはアンコールが飛び出すほど。それに応えてエンディングは北島三郎の「まつり」を出演者全員で歌った。

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渡辺要
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塩乃華織

 この日、ゲスト出演した渡辺要(日本クラウン)は「母は今でもこころの港」を、光岡洋(同)は「居酒屋人情」塩乃華織(同)は「赤い橋」福島一(ホリデージャパン)は「津軽恋ふぶき」島あやこ(メロディレコーズ)は「逢いたい橋」四阪真知子は「津軽じょんからおやこ節」三浦潤は「神戸...ひとり」などをそれぞれ歌った。

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福島一(左)と光岡洋

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四坂真知子(左)と島あやこ

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三浦潤






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第161回KOBE流行歌ライブ、北川裕二、西山ひとみ、津吹みゆ 福島県出身の3人が熱唱 [ライブ]

◆身長はわずか154cmの日本クラウンの歌手、津吹みゆがステージに立って新曲「哀愁の木曽路」を歌う表情は、なんとも言えぬ楽しそうであった。今月28日で22歳になる。キングレコードの北川裕二、テイチクエンタテインメントの西山ひとみと一緒に、2018年2月15日、神戸・新開地のKAVCホールで開かれた第161回KOBE流行歌ライブに出演。もちろん、この中では最年少である。その津吹と西山、北川の3人はいずれも福島県出身。そんなふる里を思い出させるようなカバー曲「磐越西線」「帰れないんだよ」「みちのくひとり旅」を、3人それぞれが歌って、今月のKOBE流行歌ライブはスタートした。

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勢ぞろいした福島県出身の北川裕二(中央)西山ひとみ(右から2人目)津吹みゆ(左)


 今年でデビュー35年の北川裕二は、大衆演歌を歌ってここ数年で存在感を高めてきた。その大衆演歌の中から「泣いて大阪」「女のみれん」「涙百年」「命まるごと」などを披露。新曲「宵風ごころ」のカップリング曲「ひとり北国」もリズミカルな大衆演歌。「本来はこれがメインになる予定だった」(北川)という。

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北川裕二

 関西人好みの大衆演歌だけに、得意のダジャレ攻勢で会場の笑いを誘うのは北川ならでは。5月5日がデビュー記念日で、9月9日には大阪・福島のホテル阪神で35周年ディナーショーを予定している。



 去年、15年間在籍していたホリデージャパンから、古巣のテイチクエンタテインメントに移籍した西山ひとみは、同ライブ前日の2月14日に新曲「ひとあし遅れ」を出したところ。低音を響かせ女の切なさを歌う彼女は、多くのファンの心をつかんでいる。今作はそれに加えて、3連のリズムで心地よさをアピールしていた。

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西山ひとみ

 カップリングは「愛人霊歌」。これも沈み込んでしまいそうな暗い楽曲だが、作曲家の徳久広司は「明るく元気に歌いなさいよ、とアドバイスを受けたんですよ」と裏話も披露。この日は代表曲の「小島の女」なども歌った。



 津吹みゆにとって2月は誕生月でデビュー月。その2月7日にデビュー4枚目のシングル「哀愁の木曽路」は初の恋愛歌。「失恋した女性の悲しみをメジャー調のリズムに、明日への希望をにじませています」。その表情は歌うのが楽しくて仕方ないようである。ステージから「いかがでしたか」と笑顔で客席に問いかけていた。

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津吹みゆ

 祖母が作ってくれるおからが大好きという親しみやすさが彼女の人気を増す。神戸への移動の車中では、サンドウイッチを2人前もペロリと平らげるほど。♪ 一途さを 〜 とデビュー曲「会津・山の神」では、津吹の歌への強い想いを感じさせていた。






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みやま健二(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 大阪初ディナーショー直前リハーサル 剣舞見せる [イベント]

◆メジャーデビュー曲「浜撫子」が好評な徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、みやま健二が2018年2月18日、大阪市都島区の太閤園で大阪で初めてのディナーショーを開くが、見せ場のひとつがキャリア30年の剣道を生かした剣舞を披露。そのリハーサルを同14日、同市内で行った。

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 みやまの剣道は、高校1年で日本武道館で行われた展覧試合に京都府代表の1人として出場したこともあるほどの腕前。このところ歌手業に専念して竹刀を手にする機会が少なかったが、200人を超すファンで埋まる予定の大阪初のディナーショーで、久々に剣を持ち、舞を交えて見せる。

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 リハーサルでは剣の素振りをするにとどめ、カバー曲を数曲歌っていた。

 ディナーショーには渡辺要、光岡洋、塩の乃華織、福島一、島あやこ、四阪真知子、三浦潤がゲスト出演する。司会は谷原りょう


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[みやま健二 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/new_release_detail/id=7699







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演歌ジャックス 水沢明美・北川裕二をゲストに3月放送分を収録 [テレビ]

◆5年ぶりの出演となったキングレコードの北川裕二が大衆演歌の新曲「酔風ごころ」を、日本クラウンの水沢明美は2018年2月7日に出したばかりの「一点物」を、それぞれ歌った奈良テレビ放送やJ:COM11chなどで放送中の歌番組「演歌ジャックス」の3月に放送分が、2月14日、大阪市内で収録された。1月にアクトラスレコードからCDデビューしたばかりのMARI、林よしこなど番組レギュラー出演者も顔をを揃えた。

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ゲストを迎えてのトークショー

 今年9月には大阪市内のホテル阪神でもデビュー35周年記念ディナーショーを予定している北川裕二は、2013年の「茅葺きの駅」以来の出演だった。今回披露したのは去年11月に出した「酔風ごころ」
 北川は「新曲候補として6作品を新幹線の中で示されたのですが、♪ ごめんね ごめんね わがままばかりで 〜 のフレーズが心に残った『酔風 ー 』に決めました」と新曲誕生のエピソードも話していた。

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北川裕二

 「スイカに塩をかけることで甘さが引き立ちますよね、それと同じようにこの歌も明るく歌うことで歌の主人公の心の内を表現できます」と北川。その主人公も女性だけに「女性が歌ってくれると嬉しいですね」とも。


 ♪ 小さな街で育っても 世界へ羽ばたく人がいる 〜 と、華やかな衣装の着物で新曲「一点物」を歌った水沢明美。「これは文字通り人生の応援歌ですね」と、ノリのいい歌に早くも高い評判を得ているという。プロモーションビデオも明るく楽しい内容で、しかも〈豪華絢爛〉さで歌を表現している。水沢は「この衣装も一点物なんですよ」と笑って見せていた。

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水沢明美

 「タイトルに惹かれます、とファンから言われますが、嬉しいですね。カラオケで歌っても楽しく歌えます」と彼女は、4月9日には兵庫県伊丹市内のアイフォニックホールで新曲発表コンサートを開く。

■新コーナーも登場

 レギューコーナーに出演したのはMARI、林よしこのほかTAIKI、小川リエ、秀彦&聖子、青海涼、三好亜葎子、竹中香世、岩井都美子、新星民たち。

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岩井都美子「ボヘミアン」 新星民「百歳時代」

 番組で新トークコーナー「K・Iキッズクラブ」を担当している岩井はタレントで兵庫県川西市で幼稚園の理事長を務める経営者。ハスキーな声を生かして「ボヘミアン」などを披露。新は韓国で5枚のCDをリリースしていたメジャー歌手の経験を生かして、去年9月に日本でインディーズでCDデビュー。その「百歳時代」を歌った。

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MARI「男と女の第2章」 林よしこ「for you ・・・」(高橋真梨子)

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TAIKI「グッバイマイロード」 小川リエ「浪花の一番星」

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秀彦&聖子「東京シルエット」 青海涼「夢恋街」

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三好亜葎子「露草の花」 竹中香世「海ぼたる」


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演歌ジャックスの名物コーナーの童謡・唱歌を歌う



 番組は奈良テレビ放送、J:COM関西(11ch)九州宮崎CATV、天草CATV、養父CATVで放送される。






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三代沙也可(キングレコード) 「おんなの岬」 舞台は湘南から真鶴へ 神奈川県の景勝50選の真鶴岬 ロングドレスでイメチェン [インタビュー]

三代沙也可・インタビュー.jpg◆〈湘南演歌の女王〉でキングレコードの歌手、三代沙也可が歌の舞台を今まで4作続いた湘南から、さらに西の真鶴(神奈川県真鶴町)に移した新曲「おんなの岬」を歌っている。これで5作連続して神奈川県内が舞台となり、地元真鶴町では「町を歌った演歌は初めてで、町をPRしてもらえうれしい」と大歓迎で、2018年6月頃には同町内での歌謡ショー開催の話も持ち上がっているほど。ジャケット写真も従来の着物から目を引くロングドレスに替えてイメージチェンジを図っている。


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 詞は旅好きで知られる作詞家、志賀大介が書いた。「江ノ島ひとり」(2014年)に始まる湘南演歌は前作の「江ノ島絶唱」(2017年2月)までの4作で取り敢えず終止符を打った。今作「おんなの岬」では旅先を、箱根峠を越えて魚の美味しい町としても知られる真鶴にしている。さらに歌には天城、初島、箱根峠、相模湾と周辺の名所も数多く登場して、旅情をそそるのは今回も同じである。

 曲は三代の師である伊藤雪彦が書いている。三代自身が「今までの作品とはちょっと違うと分かってもらえるはず」というように、それは歌い出しが今まで歌ってきた作品とまったく異なるからである。

 高音のメロディーで始まる歌の出だしは、多くのカラオケ好きの人たちに抵抗感を持たせるのでは、と周囲の懸念もあった。実際、初めて耳にしたファンたちの間には「歌うのが難しい」という人が多くいた。
 ところが「発売して2ヶ月も経つと、歌われる人も多くなってきましたね」(三代)と、食わず嫌いも歌い慣れると抵抗も薄らぐようである。

 タイトルにある岬は神奈川県の景勝50選にも選ばれている真鶴岬なのだが、今回はタイトルにその地名を入れていない。
 三代が「カラオケを歌う人が好きに地名を入れ替えて歌われてもいいですよ、と勧めています」というように、高知県の足摺岬であっても島根県の日御碕にでも、勝手に地名を替えて歌うことが出来るから親しみやすい。

■目を引くロングドレス

三代沙也可・ドレス姿・小.jpg 「おんなの岬」が発売されたのは2017年12月6日。これに先駆けてCDジャケットを見た記者は少々ビックリした。それは衣装は専ら着物と決めていた彼女が、派手なドレスに替えていたからである。
 それでも三代自身がデザインしたというそのドレスは「あまり肌を露出するのは自信がないので」(三代)と、足がスッポリと隠れる裾広がりのロングドレスで、肩にも袖を付けて肌を出すのは最小限にとどめて控えめ。

 どうしてドレスに? どのような心境の変化が・・・。
 「去年6月からしばらく体調を崩していましてね、起き上がれないほどだったの。新曲の話も出てくるし、そんな気弱なことばかり言っていられないので、新曲では衣装を替えることで気分転換を図ろうと考えたんです」

 ドレスの胴の部分には、3番の歌詞に ♪ 茜の雲が行く ~ とあるように、真っ赤な花の刺繍を施している。これがまた目を引く。
 今では体調もすっかり元に戻り、2月3日には真鶴町でごく小規模に開いた新曲発表会でこのドレスも披露した。

 2月11日から始まっている関西キャンペーンでは残念ながら、ドレスを目にすることは出来そうにないが、このところ増えているという企業のイベントでの歌謡ショーなどでは見られるかもしれない。
三代の師匠で、今作も作曲を行なっている伊藤雪彦の作曲家生活50周年を記念した歌謡ショーを今年6月頃に真鶴町で開く予定で、そこでは再びそのドレスがお目見えすることになりそうである。





[三代沙也可 オフィシャルサイト]
http://www.mishirosayaka.com/
[三代沙也可 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10053






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柾木祐二(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 新曲「ヨコハマ☆サンライズ」の発表ライブ 大阪・道頓堀 [ライブ]

◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、柾木祐二が、2018年2月10日、大阪・道頓堀のライブハウス、道頓堀ZAZAで、同2月7日にリリースした新曲「ヨコハマ☆サンライズ」の発売記念スペシャル・ライブを開いた。

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デビュー36年目になる柾木祐二


柾木祐二・ヨコハマ サンライズ.jpg 柾木は熊本・天草出身で、今年で歌手デビュー36年目になる。大阪で活動していたが、4年前に東京に拠点を移している。「ヨコハマ☆サンライズ」は約5年ぶりのシングル。この日のライブにも顔を見せていた作詞家沖えいじの作品で、男女が別れる5分前の切ない女心を歌っている。

 その「ヨコハマ☆サンライズ」のタイトルは、柾木が好きな1970年代に活躍した米国のロックバンド、イーグルスのヒット曲「テキーラ・サンライズ」から取ったもの。舞台の横浜は「敢えて片仮名表記にしてヒット曲『ブルー・ライト・ヨコハマ』にあやかりました」と柾木。

 プローモーションビデオに出演する柾木はカクテル、テキーラサン・ライズのグラスを手にする、といった演出ぶり。

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ライブ当日、に振付を合わせたというダンサーと柾木のコラボ

 ライブで柾木は前作の「人生舟」(2013年)やデビュー3作目の「おやじ元気か」(1986年)遠藤実から提供された「船頭小唄ものがたり」(2008年)「天草海峡」(同)など17曲を歌った。

 新曲にはふる里の天草で柾木の活躍を祈る87歳になる母親をモチーフにした「ありがとう、お袋」をカップリングし、さらに「船頭小唄ものがたり」も再収録している。

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ゲストの浅田あつことデュエットも聴かせた

 この日はまた、ゲストに同じレコード会社の浅田あつこが出演し、新曲「泣いてもいいの」などを歌った。3月7日には同曲のカップリング「河内のからくち」をメインにしてリリースすることになっている。

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ヒットを母に報告したいという柾木

 柾木は「母にいいプレゼントが出来るように、今年は新曲『ヨコハマ☆サンライズ』を売っていきたい」と、意気込みを見せていた。


[柾木祐二 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_profile/masaki.html









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山内惠介(ビクターエンタテインメント) 新歌舞伎座で特別公演 2度目の座長公演 3月発売の「さらせ冬の嵐」も披露 [舞台公演]

◆ビクターエンタテインメントの歌手、山内惠介が2018年2月9日、大阪・上六の新歌舞伎座で、去年に続く2度目となる座長公演の初日の幕を開けた。今回は山本周五郎の小説「人情裏長屋」と「浪人走馬灯」を原作に、市川正が脚本と演出を担当した芝居「若さま走馬灯 ー 来馬信兵衛参る ー 」で、先月から稽古を積んできた立ち回りの成果を見せている。2部の歌謡ショー「山内惠介オンステージ ー若さまと貴公子 ー」では、3月28日発売の新曲「さらせ冬の嵐」を、客席まで雪を降らせる演出を交えて披露。郷ひろみ、西条秀樹、野口五郎の1970年代のトップアイドルで新御三家と呼ばれた3人のヒット曲もカバーしている。2月23日まで。


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「この世の悪を成敗」と立ち回りを見せてくれている山内惠介(中央)


山内惠介・さらせ冬の嵐.jpg 1部の芝居では、山内が着流し姿で徳利を肩にかけて花道から現れると、場内は一斉に<キャアー>と大歓声。歌謡ショーでもオープニングの「スポットライト」が流れると、客席では色とりどライトが揺れ、割れんばかりの歓声が沸き起こった。彼が自らを<演歌の貴公子>と呼ぶように、これはもう演歌アイドルそのものである。
 新歌舞伎座も「去年よりたくさんの人たちに来て頂いています。紅白連続3回出場の実績の効果が現れているのでしょうか」と、満足気であった。

 人情物時代小説の山本周五郎の作品が、山内の座長公演の原作になるのは、初座長の去年に次いで2年連続である。舞台は長屋、そこに住む山内演じる浪人信兵衛が、偶然に知り合った武家父娘を助けるとともに、父の汚名をそそぐために「この世の悪を成敗」と剣を取る。まさに時代劇の醍醐味ここにあり、である。

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2度目の新歌舞伎座座長公演は「まずまずの出来映え」でスタートした山内惠介

 山内自ら「まずまずの出来映え」という殺陣は、やはり時代劇には欠かせない。小刀が上手く鞘に収まらない<ハプニング>もあったが、山内は「客席の皆さんの笑いが逆に助けになりました。千秋楽へ向けて役を完成させていきます」と、話していた。

 大川橋蔵の次男・丹羽貞仁が浪人役、長谷川一夫の孫・長谷川かずきが長屋に住む大工の女房役で出演しているのも見どころだ。

■70年代のアイドルヒット曲から3月リリースの新曲まで

 座長お帰り 〜 客席からのファンの声に迎えられて、オープニング曲に続いて日替わりオリジナル3曲を披露。初日のこの日はデビュー曲の「霧情」「二十才の酒」「君の酒」と初期の楽曲を並べた。期間中には何度も足を運ぶというファンへのサービスである。

 幕間には篠笛奏者の佃康史も、日替わりで内のヒット曲を演奏する。この日は「風蓮湖」を吹くと、それに合わせて客席からは歌声が響いていた。

 さらには郷ひろみ、西城秀樹、野口五郎の新御三家の3人のヒット曲「よろしく哀愁」「ヤングマン」「私鉄沿線」など7曲を聴かせるのも、もうひとつの楽しみなところ。
 「子供の頃から演歌を聴いて育ってきたけれど、アイドル歌謡曲は僕の声に合っているようです」と、「ヤングマン」ではY・M・C・Aの振りを客席と一緒になって楽しんでいた。

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 〈けいちゃ〜ん〉のの大コールの中で、ラストは最新曲「愛が信じられないなら」から3月にリリースが予定されている「さらせ冬の嵐」までオリジナル6曲を聴かせた。新曲は作詞が松井五郎、作曲水森英夫、編曲馬飼野俊一。夢盤、笑顔盤、唄盤とそれぞれカップリング曲を変えて3タイプを発売する。舞台が北国とあって、ステージと1階客席の一部に雪を降らせた。山内は「皆さんと一体となってステージを熱く盛り上げることが出来た」と笑顔で話していた。

 また彼は「初日らしいスタートを切れてホッとしています。2度目の座長公演ともなると求められるものも多く、千秋楽まで期待に応えていきます」と、意気込みを示していた。


[山内惠介 オフィシャルサイト]
http://yamauchikeisuke.com/
[山内惠介特別公演 新歌舞伎座]
http://www.shinkabukiza.co.jp/perf_info/20180209.html






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「渡辺要物語 歌は心の港」第5回 四国1番の鮨店になる [インタビュー]

◆日本クラウンの歌手、渡辺要のインタビュー「渡辺要物語 歌は心の港」も不定期ながら、すでに5回目となる。今回も鮨の話が続くのだが、渡辺はインタビューで「また握ってみたくなってきたな」と笑みを漏らすほど鮨への思い入れは今なお強い。彼と鮨はやはり切っても切れない関係であり、捨て難い魅力があるのに違いない。


 渡辺が高級鮨店「要鮨」をはじめ7店舗の鮨店を構えていた香川県高松市は、企業の多くが支店を置く四国の中核都市として知られている。その支店が街の経済を活気づける支店経済都市とも呼ばれている。支店の人たち、とりわけ接待交際費を使える社員が、すでに高松で1番の高級店になっていた「要鮨」を利用していたのである。

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テレビなどマスコミに登場することも多くなった渡辺要(高松港で)

 坪100万円もかけてライオン通りにあった本店の店舗力を高めたのも、そのためであった。最高の贅を尽くした本店のほかには、均一価格で鮨を提供する今の回転寿司の走りのような店や、飲食店街のど真ん中で10席ほどの小さな深夜鮨も出店していた。そこは夜12時頃から朝まで営業し、本店で残ったネタを使うので仕入れはほとんどゼロだった。檜の真っ白い店内は、やはり高級感をかもし出していた。

 「本店のネームバリューがあるのと、その頃はほかに開いている鮨店がなかったので、クラブやスナックのママなど客はたくさん来てくれましたね」

 アイデアたっぷりの経営者ぶりを見せていた渡辺がオープンした均一価格の店は、天井を鏡張りにしたパブ鮨だった。行列ができるほどの人気店で、調理師は4、5人でカウンターだけの店だった。

 鮨はすべて70円均一価格だった。オープン記念の3日間限定で鮑、トロ、雲丹をはじめ、何を食べても500円均一で、1時間食べ放題の企画を打ち出すと、初日は障害者学校の生徒を招待したが、2日目からは体格の良い一般学生など若い子が並んで、またまた街の話題をさらった。

■天皇・皇后陛下の鮨を献上

 要鮨の目標を地域1番店の香川県1としていた渡辺は、その後、従業員数、店舗数、売上高のすべてでトップを確保し、名実ともに四国1番店となっている。売上は最高2億8千万円を記録している。

 そんな彼の名前をさらに高めたのが、天皇・皇后陛下が皇太子時代に四国・高松で行われたに植樹祭の際に宿泊したホテルでの食事に、鮨を献上したことであった。その時に握ったのは県魚のハマチのほか要鮨名物の穴子、そしてコノシロ、鯛、平目などだったという。

 両陛下は後のインタビューで高松で印象に残ったことを尋ねられて「要鮨が美味しかった」と答えられたといい、それを耳にした新聞などの取材もあって、要鮨は一躍有名になる。「高松に皇室関係者が来られると、要鮨を指名して頂きました」と渡辺は回想している。

■アイディア弁当

 7つあった要鮨の店舗のうち1店舗は仕出しセンターであった。瀬戸大橋が1988(昭和63)年に開通して、香川県坂出市の瀬戸内海に浮かぶ与島に京阪電鉄が経営する商業施設「フィッシャーマンズ・ワーフ」がオープンした。
 それに先駆けて、ここへ瀬戸内海の味と香りが詰まった弁当を供給する事業者を募集するコンペに応募すことになった。応募総数1000社余という競争であったが、それがなんと優勝してしまったのである。

 出品したのは、竹の皮で包んだ鯖の棒鮨「讃岐ぶおとこ」や瀬戸内の魚をふんだんに使ったちらし寿司「瀬戸ちらし」さらには薄いピンク色した蒲鉾で巻いた巻き寿司をパックにした「瀬戸の花嫁」幕の内は瀬戸内の島々の美しさを表現した「多島美弁当」などの弁当であった。

 「遊び感覚で応募したんです。毎日弁当500食も作る設備も人もなかったので、急きょ別会社を作って、選挙事務所に使っていた広さ50坪のフレハブを借りて調理台や大型冷蔵庫も入れ、パートも募集しました」
 求人の条件は午前3時から10時までの勤務時間で、当時の平均時給を300円も上回る800円だったが、広告を出したその日のうちに見る見るうちに人が集まった。

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今も年に1度は鮨店の板場に立って歌謡ショーを企画している

 順調にスタートして1日500食を作って与島へ運んでいた弁当も、徐々に減り始め、終いには日毎発注に変わり、1日30食、20食といった具合で、採算が合わなくなってしまった。そんな時、島内のホテルに供給した弁当が原因で食中毒が発生する事故が起こった。それを機会に、別会社にしていた仕出しセンターは廃業することになる。

 京阪電鉄が「日本のハワイにする」と言って意気込んだ与島のフィッシャーマンズ・ワーフも、1990年代に入ると年々観光客は減り、神戸淡路鳴門自動車道やしまなみ海道がオープンすると更に減少し、ついに2003年には京阪電鉄は撤退してしまった。

 食中毒騒動は要鮨には影響はなく、四国No. 1の地位は不動だったが、渡辺は少しづつ歌に魅力を感じるようになっていく。

 そして渡辺はある日、惜しげも無く「要鮨」を廃めて歌手に専念する内容のチラシを新聞に入れた。歌手の道を選んだきっかけは次回に譲るが、歌手デビュー後にも「世界の金持ちが集まるというシンガポールで、月に1回で良いから演歌を歌いながら鮨を握ってみたらどうかーといったオファーがありました」というほど、彼が鮨職人の道を捨てることに納得いかない人たちは、1人や2人ではなかったようである。

続く


「渡辺要物語 歌は心の港」 第4回 名物穴子鮨
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-04
「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







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岩波理恵(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 「ハローアゲイン」 フリフリミニドレスで80年代アイドルに [インタビュー]

岩波理恵8.jpg◆フリフリミニドレス姿でポップな徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、岩波理恵。2017年10月に出した新曲「ハローアゲイン」は、大人が歌うアイドル歌謡曲ーをキャッチフレーズに歌う彼女は、80年代のアイドル、松田聖子を彷彿させる。新事務所に移ってから、ここ2年ほどは毎月80年代のアイドル歌手のモノマネをするショーも見せる。「関西とは肌が合う」いう彼女、アイドルへの〈挑戦〉で、2月6、7日の関西キャンペーンでは新たなファンも引き寄せたようである。


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 身長162センチのスラリとした容姿の岩波理恵。松田聖子に代表される80年代のアイドルに憧れて歌手になったというだけに、昔からアイドルのモノマネを得意としてきた。ところが「仕事でアイドルを演じるのは今回が初めて」(岩波)なのだが、その歌う姿にファンからも〈聖子さんみたい〉と声がかかる。

 彼女の楽曲は今まで、シンガーソングライターで作曲家の杉本眞人が多くを手がけ、切ない女心を歌ってきた。制作スタッフは、ここらで新しい風を巻き起こしたい、と他にはない作品をねらった。津城ひかるが作詞し、樋口義高が作曲、編曲は猪股義周が手がけて、44歳の大人が歌う歌謡曲が出来上がった。

 「どこか懐かしくて、可愛らしい70、80年代のアイドル歌謡曲を思わせる作品です。若い人には新鮮に受け取ってもらえるのでは」

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 自分の年齢に合っているのか、と心配しながらも「思い切ってフリフリのドレスを着てみました」と、スーパー・イズミヤ今福店でのキャンペーンで関西初披露した。フリフリのピンクのスカートに白い上着。鳥の羽根のように風に揺らぐ。

 「背中とお腹に5枚のカイロを貼ってきました」と、防寒対策も万全。
 興に乗ったのか、上着を脱いで肩を出し、さらにはキャンペーンでは珍しいアンコールにも応えて、寒風を物ともせずにピンクレディーの「ペッパー警部」など2曲を熱唱するサービスぶり。

 デビュー以来、もっぱらロングドレスばかりだったが「アイドルはやっぱりミニじゃなくっちゃ、と思い切りました」と岩波。

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 断然、男性ファンを引きつける。岩波の歌に合わせて〈エリちゃ〜ん〉と掛け声を投げかけたり、カメラを向けたりと、大阪でのキャンペーンでも大人気。
 ただし女性ファンの中からは「以前の『流星エアポート』(2013年)や『こんな夜はせつなくて』(2014年)などの歌が好き、といった声も聞かれる」が、たくさんある楽曲の中ではアクセントにもなる、とアイドルに撤する。

■月1のモノマネショー

 約2年前に現在の事務所に移籍している。「ハローアゲイン」は移籍2枚目のシングル。同じ事務所には先輩歌手の若山かずさ(日本コロムビア)などがいるが、ものまねタレントがたくさん所属している。
 そんなこともあってか、移籍後は毎月1回、東京・麻布十番のショーパブで松田聖子や森高千里、竹内まりやなどのモノマネをするショーを続けている。

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 3月25日にはまた、ラジオ番組「岩波理恵の本気ートーク」(KBS京都、CBC中部日本放送、IBS茨城放送など)で共演するタブレット純と一緒に、東京・小岩ヒットパレードでライブ「本気ートークライブ 〜春のうた祭り〜 」も予定している。

 ファンクラブイベントとして年間4回の定期ライブも開催しているが、会場はいずれも東京である。「一度は大阪に住んでみたい」というほどの大阪びいきとあって、大阪でもぜひライブを行いたい、と意欲を見せる。

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 今作のカップリングには岩波自身が作詞した「未来へと・・・」と、出身地の長野県諏訪市内の6つのエリアを盛り上げようと地元下諏訪向陽高校吹奏楽部のコーラスも入った「6本の心の絆」の2曲を収録してしている。





[岩波理恵 オフィシャルサイト]
https://lineblog.me/iwanamirie
[岩波理恵 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/iwanami.html







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永井裕子(キングレコード) 「海猫挽歌」 初の荒木・浜作品 こぶしと唸りをなくして新たな挑戦 [インタビュー]

永井裕子.jpg◆これはまったく新しい永井裕子である。今の歌謡界を代表し、永井に初めて楽曲提供をする作詞家荒木とよひさと作曲家浜圭介の2人による、2018年1月1日発売の「海猫挽歌」は、彼女は得意とするこぶしも唸りもない「声の色味や言葉をシンプル・軽快に伝える」(永井)新たな歌唱を聴かせる。デビュー20周年を迎える2020年を目指して一昨年から続けるコンサート「夢道 Road to 2020」は、今年もデビュー記念日の6月21日に予定している。「海猫挽歌」のほか、4月に発売するアルバムの中から荒木・浜作品のカバー曲も披露するという。






 1月1日の発売は2016年の「音信川(おとずれがわ)」以来である。新しい永井裕子を表現するには格好の発売日であり、この日には東京都内のショッピングモールでのインストアライブでスタートを切った。同8日付のオリコン演歌・歌謡曲チャートでは、初登場2位にランキングされている。翌週も2位を確保し、4週連続でベスト10を記録した。

 「海猫挽歌」を書くにあたって浜は、永井のデビュー曲から前作までの全曲を聴き、最も気に入ったデビュー4作目の「菜の花情歌」(2003年)をしイメージしながら、「今までの永井にはない楽曲を書きたかった」と、永井に話している。
 もっとも永井は従来通りのパンチの利いた歌を期待していたのだが、出来上がってきたのはまったく違ったものだった。

 「最初は戸惑いもありましたね。4拍子の歌だけど、倍のリズムで刻んで歌うと、言葉の表現も決して重々しくならずに、軽快に伝えることができて、切なさが一段と高められるんです」

永井裕子・海猫挽歌.jpg こうした歌唱は永井にとっては初めての体験であった。
 彼女の師匠は作曲家四方彰人であるが「今までは自由に歌わせてもらっていたので、今回は荒木、浜両先生の2人から教えてもらった1つひとつがとても新鮮でした」と永井は話す。
 この楽曲はメロディーが先に出来上がっていたのだが、それを聴いた永井は「今までの私の歌とはガラリと変わった歌世界に鳥肌が立ち、気持ちはワクワクとして、アレンジがどのようになるのかが楽しみでした」と感動が隠せないようであった。

 数多くの永井の楽曲の中でも一番、心に残ったと、浜がいう「菜の花情歌」は、作詞が阿久悠、作曲が四方彰人であるが、永井は「阿久悠先生は映画『幸せの黄色いハンカチ』をモチーフに書かれたと聞いていますが、浜先生は『海猫挽歌』を映画『駅』の女性主人公(倍賞千恵子)をイメージしたそうです」と、レコーディング当日になって浜から聞かされている。

 この話を聞いてから永井は何度となく「駅」のビデオを見ている。「そのたびに自分の『海猫挽歌』が流れてくるんです」と永井。それほどに映像と歌が見事にマッチングした作品に仕上がっている。

■ライフワークのコンサート

 永井は2020年にデビュー20年を迎える。同16年目から毎年1回、東京都内でコンサートを開いている。自身の夢の道の通過点である20年に向けて、心のうちの想いを歌に託して伝えようというもので、歌手人生のライフワークにしたいと意気込んでいる。

 今年は東京・渋谷区文化総合センター大和田さくらホールで、6月21日に開く。

 コンサートではオリジナル曲のほか、子供の頃に良く歌ったり、聴いていた歌もカバーして聴かせる。去年は「長崎は今日も雨だった」(内山田洋とクール・ファイブ)「みちのくひとり旅」(山本譲二)などを歌った。今年はどんな歌が飛び出すかが楽しみである。

 それに先駆けて3月1日にはランチショー・バースデーパーティーを予定している。誕生日の3月3日に合わせて、ファンクラブなどを対象にバス旅行を行ってきたが、2年ほど前からライブ形式に切り替えている。





[永井裕子 オフィシャルサイト]
http://www.yuko-nagai.net/
[永井裕子 キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=13787






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「渡辺要物語 歌は心の港」  第4回 穴子鮨 [インタビュー]

「要鮨」では渡辺要は、客作りとともに、信用作りにも精を出した。何を買うにも現金払いを通したし、1坪でもいいから土地を買おうと「目の前にある1円、10円から、とにかく貯金をしました。履物は下駄と長靴、着るものは白衣で通して、一切買わずに貯めて貯めて貯めて頑張りました」と振り返っている。そんな中で全国に知られた穴子鮨を生み出す。

渡辺要・要鮨看板.jpg
高松・ライオン通りの新店舗に掲げた欅の看板


 爪に火をともすよう生活を切り詰め、質素倹約を通した結果、6年間で約2000万円の蓄えが出来た。それを担保に銀行から資金を借りて、高松のもうひとつの繁華街、ライオン通り商店街のビルを約4000万円で買うことになる。この時は現金ではなく、借金であったのだが。
 とにかくそれによって、高松の目抜き通りに約90平方メートルの「要鮨」の看板を上げることが出来た。27歳の時だった。

渡辺要・名物穴子鮨を作る.jpg 新店舗は香川県にはない鮨屋を目標に、カウンターには欅の板を使って持てなしの気持ちを表したし、柱には欅と杉の丸太を存分に使って、坪当り100万円も費やして店を整えた。当時の飲食店舗は坪平均20万円程度だったと言われているから、それがいかに桁違いな店だったかが分かる。
 調理師も大阪から呼んだ。海外からの観光客も多かったので、英語のメニューも作り、英会話に堪能な調理師もふたり採用した。従業員にはネクタイを締めさせ、胸にはネーム札を付けて、礼儀正しい接客に徹することにした。

 腕に自慢の鮨は、最高級の米、コシヒカリを使った。大事なのが合わせ酢なのだが、酢にリンゴ酢を加えるこだわりを見せた。わさびは当時、高松ではなかなか手に入らなかった静岡産を現地まで出かけて買い付け、1本3000円もするわさびをディスプレイに置いた。客には1本200円の小さなものを出して、自分で摺って楽しんでもらうことにした。


<歌う寿司職人>と今なお呼ばれる渡辺要


 客に出す鮨も、木の葉や竹の皮を敷いてその上に出すことで、味だけではなく見栄えを考えた結果だった。

■名物誕生

渡辺要・鮨職一代.jpg 1番店になるためには色んな工夫をしていった。
 それにもまして「醤油は鮨屋の最後の仕事なんです。どんなにいい米やネタを使っても、醤油が良くなければ鮨は終わってしまいます」と、要鮨特製の醤油にも一捻り加えた。

 香川県は小豆島など醤油の産地としても知られるが、3つのブランドの醤油を合わせることで味にコクを出した。まずブレンドした醤油を大きな鍋で火にかけて、黄色い泡が出るまで温める。泡をすくい取る作業を根気よく繰り返し、大豆のアクを取るとアミノ酸が増えて甘みが出てくる。



インディーズ時代に鮨職人をしながら出した「鮨職一代」

 そこに鰹と鯖の削り節を入れ、沈殿するのを待って濾す。瓶に入れ暗い場所で保存しておき、醤油注しに移して客に出していた。「これが旨いんですよ。やはり鮨は醤油が命ですね」と渡辺は力説する。

 「瀬戸内の穴子は格別である」
 渡辺は絶対の自信を見せる。その頭を落とし、みりんに漬けて串に刺して火にかける。こうしてアルコールを飛ばすと、いい酒の肴になるのである。
 穴子の胴は開いて、水飴や調味料などを加えて作ったダシに漬け、とろ火で3時間、4時間かけて炊くと、口の中で溶けるように柔らかくなる。その穴子を握った鮨飯にのせると絶品の鮨が出来上がる。

 この穴子鮨は東京のテレビ局が取材したことで、全国鮨名店8店舗に選ばれるきっかけとなった。瀬戸の味そのものの穴子鮨は、こうして要鮨の名物になった。
 鮨職人を辞めた今も渡辺は、世間からは今でも「歌う寿司職人」と言われている。事実、彼が鮨を語る表情は、歌っている時と同じように実に生き生きとしていた。


 記者は「要鮨」が高松にオープンしてから6年後の同53年に京都から高松に転勤している。それから間もなくして、新店舗が出来たことになる。
 回転しない鮨屋へ行くなんて、とんでもない話であったから、その味は知らずに過ごしていたのであるが、渡辺のそんな努力もあって高松・ライオン通りの要鮨の新店舗はオープンすると、たちまち「次々と客が来るわ来るわの大賑わい」だった。

続く

「渡辺要物語 歌は心の港」 第3回 1番店へ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-03
「渡辺要物語 歌は心の港」 第2回 「要鮨」開店
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2018-02-02
「渡辺要物語 歌は心の港」 第1回 大阪・法善寺横丁の寿司屋で修業
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-28
「渡辺要物語 歌は心の港」  プロローグ
http://music-news-jp.blog.so-net.ne.jp/2017-11-23







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