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「let's TOFU」 年末年始のオススメ曲 宝としふみ [インタビュー]

◆歌手宝としふみが割烹着に衛生帽、長靴と白づくめの豆腐屋さんの作業着姿に扮して、思わず食べたくなるような豆腐の魅力を「let's TOFU」で歌い続けている。

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笑顔で「let's TOFU」を歌うだからとしふみさん

 聴いていると元気にさせてくるから不思議だ。 ♫ テン(10)ツー(2)〜 と歌う「let's TOFU」である。10の読みは「とう」で、2は「ふたつ(ふう)」であることから、豆腐〜豆腐〜 となる。

 寒くなると湯豆腐などが恋しくなる。正月にかけては豆腐の需要も自然と増えてくるという。そんな豆腐を応援するかのような歌が、この「let's TOFU」なのである。

 宝さんが所属する音楽事務所の酒井サクミ社長が詞を書いている。カラオケ喫茶店で出会った豆腐屋さんから話を聞いて仕上げた。

 オリジナルは同じ事務所所属の先輩歌手、宝健(たからけん)が歌っていたもので、それをとしふみさんがカバーした。通信カラオケにも配信されており、今年にはCDもリリースしている。

 年末年始ともなれば鍋料理が多くなることから、宝さんは「簡単な歌ですから、たくさんの人に歌ってもらって、豆腐業界が盛り上るといいですね」と話している。






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入山アキ子、みたび大きく変身させた「人生七曲り」 夢に向けてジャンプ [インタビュー]

◆デビュー曲の「ザンザ岬」(テイチク、2008年10月)を歌っている姿をYouTubeで見たのが、歌手入山アキ子との最初の出会いであった。埼玉・東京と山口を忙しく行き来していた。パソコンの画面から伝わってくる、その真剣さと誠実さに惹かれた。生で歌を聴いてみたかった。ところが不思議と関西で歌う機会はなく、そこで「大阪で歌いませんか」とメールを送ってみた。快く応じてくれた。その後、名マネージャーとして名を馳せた故・和久井保との出会いが入山を大きく変える。彼がプロデュースして遺作となった2021年9月発売の「人生七曲り」は、彼女をみたび大きく変身させることになった。

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小さな幸せを積み重ねる入山アキ子


 「ザンザ岬」に次ぐ「雨のよりそい花」を2012年10月に出して以降、入山アキ子は毎年新曲をリリースする。活動エリアも徐々に全国へと広げて行った。彼女の歌を聴き、言葉を交わし、人となりを知ると誰もがファンになる、といっても過言ではないようである。だから入山が「親戚」と呼ぶファンも、少しづつ増えた。
 ファンとのコミュニケーションを保つために、毎晩、寝る間を惜しんで、その日の出来事を動画で報告する「入山アキ子のつれづれ日記」を配信して、優しさあふれる声で全国のファンを癒やし続ける。

入山アキ子 ・人生七曲り.jpg そんな入山の健康を心配するファンも少なくはないが、「待っている人がいるから」と、決して日記の配信を欠かしたことはない。決めたことはやり抜く、目標を成し遂げるまでは、といった彼女の意志は強い。
 1人で走っている彼女のそんな姿を見て、声をかけたのが和久井保であった。彼が経営する事務所で一緒にやらないか、というものであった。前川清、森進一、小林幸子など錚々たる歌手を、マネージャーとして育ててきた実績があり、入山にとっては願ってもない話であった。

 和久井はそれまでごく普通の演歌歌手だった入山をまず<悪女>にした。「悪女の季節」「みだれ舞い」「女の恋ざんげ」悪女シリーズを3作続けて、イメージをガラリと変えた。次の「月に笑う蝶」では、どん底から舞い上がる蝶を入山と重ねるかのように歌い上げて、これまた新たな入山像を作り上げて、話題を投げかけた。和久井の真骨頂を見る思いであった。

 それらから一転して、新曲「人生七曲り」では、これまで入山が生きてきた道のりを歌で綴るかのように、それをそっとささやき歌う。自分の人生は常に歌に助けられてきたという入山は「毎日毎日の小さな幸せを拾いながら、今の幸せをかみしめて歌って今日まできました。歌を聴いてもらった人たちの心に寄り添えるといいなぁ、と思っています」と、新曲への想いを語っている。

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夢を目指して歌い続ける

 「ザンザ岬」を出して13年、ファンに見せる笑顔とは裏腹に言葉には出来ない、泣きたいくらい辛い体験も重ねてきた。トイレで衣装に着替えなければいけないこともあった。それでも支えてくれるファンがいる。自ら目指すところがあるーと、それを頼りに頑張り続けてきた。それだけに、おいそれと挫けるわけにはいかない。
 そんな思いがいっぱい詰まったのが、♬ のぼりくだりがきついけど 〜 と歌う新曲「人生七曲り」なのである。

 入山の所属事務所社長でマネージャーであった和久井保は、今年3月に84歳で亡くなっている。彼女にとっては大きな支えが無くなった訳ではあるが、「後を頼んだぞ」と、和久井に託された人物がアイドルグループのキャンディーズを見出し育て、彼女たちの代表曲「春一番」などを作詞、作編曲をした穂口雄右と、同じくキャンディーズの音楽プロデューサーであった松崎澄夫の2人であった。
 「人生七曲り」の作詞・作編曲を手がけたのも穂口である。和久井は今も入山のプロデュースをしているかのようだ。

 入山は「この歌の歌詞の通りに1つひとつ進めていけば、誰かの心に歌は残り、夢は実現できる」と、信じてきょうも歌い続ける。

写真・記事の無断使用はお断りします。


[入山アキ子 オフィシャルサイト]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/iriyama/
[入山アキ子 テイチクエンタテインメント]
http://入山アキ子.jp/








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長山悦子、 「城崎ふたり」で歌手デビューして3年 遍歴を演歌に託す [インタビュー]

◆ ♬ 私ひとりが 身を引けば 何もなかった ことになる 〜 歌手長山悦子が2018年に出したデビューシングル「城崎ふたり」(CIMSミュージックエンタテインメント)である。もともと文学少女だった彼女自身が作詞も手がけた。自身の数多くの経験が歌に生かされている。

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長山悦子


 「城崎ふたり」(作詞・長山悦子、作編曲・石倉佑馬)で永年の夢であったCDデビューを果たした長山の芸能界デビューは、21歳の時に遡る。大学時代に演劇部に属していた経験を生かし、スカウトされた京都太秦撮影所で女優活動始めたのが最初である。大阪の芸能事務所に属して、その後、村田英雄に師事して前座として歌手活動も経験している。

「家を飛び出しての挑戦でした。それでも親に見つかってしまって、連れ戻されてしまったんですが」と長山。

 それからはラジオのパーソナリティや司会業などをしてきた。結婚、出産、離婚を経て、資格を生かして小学校の教師に就いている。
 そのまま平穏な人生を歩むはずだった。好事魔多しである。癌と診断され、25年勤めた教師も辞めることになってしまった。

 その後は塾経営などをするが、歌への想いを断ち難く、兵庫県たつの市内で喫茶店・カラオケ喫茶店を始めている。そんな時、音楽関係者との知り合いから教えてもらったオーディションを受けることになった。
 ところがそれは楽器を使えるシンガーソングライターを求めるオーディションであった。後になって間違っていたことに気づく長山だったが、その場は平然と都はるみの「涙の連絡船」を歌ったという。

 後日それがきっかけとなって、その会社のプロデューサーに、自分が書いた詞を見てもらう機会を得る。歌手としての再出発の1歩につながったのであるから、チャンスはどこにころがっているのか分からない。
 文章を書くのが好きだった彼女は中学時代から、瀬戸内晴美(寂聴)や松本清張、金子みすずと、小説や詩集と何でも読んできた。小説家を夢見ていたし、心が傷つくといつも詩を書いていたという。

 あれこれと遍歴を重ねてきた長山、「これからは歌1筋でやっていきます」と、153センチの小柄ながらも決意は強い。今は「プレミアム歌謡ショー」(サンテレビ)「歌謡ONステージ」(道頓堀ZAZA)などに出演している。
 今冬にはカバーアルバムを出す予定で、そのための準備を進めているという。

記事・写真の無断使用はお断りします。

[長山悦子 城崎ふたり]
https://youtu.be/JM0kjfoe4xo








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美山京子(日本クラウン)、沢山の人に歌を聴いてもらいたい 夢はトラックで地方巡業 [インタビュー]

◆サンテレビで放送中の「プレミアム歌謡ショー」の顔でもある歌手、美山京子は1990(平成2)年のデビューというから、今年で31年目のベテランである。それにも関わらずステージに立つたびに「今日がスタートです。皆さんと一緒に笑って楽しく過ごそうと心がけています」と、デビュー当時と変わらない気持ちで臨んでいる。

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美山京子


 「涙声」(キングレコード)で歌手デビューしている。2013年に出した「垂水の人よ」は、発売1年で1万枚を売ったという。いつも明るく笑顔を振りまき、屈託のない姿を見せる。
 ところがステージで見せる笑顔とは裏腹に、6年目の1996年に癌と診断され、20数年に渡って治療を続けているのである。腫れ物の神様として知られる東大阪市にある石切さん(石切劔箭神社)へ、毎月通うようになったのも、病気平癒を願ってのもである。

 「ひとりっ子だったこともあって、それまではわがままに過ごしていたんですが、病気になって他人の痛みが分かるようになり、手を差し伸べやすくなりました。毎月のお詣りではパワーをもらって帰ってくるんですよ」

 兵庫県柏原町(現・丹波市)の出身で、小学校の教室で美空ひばりの歌を歌う人気者だった。歌好きの少女であったが、田舎に住む子供にとって歌手は「外国へ行くようなものだったし、不良娘扱いされかねない時代でした」という。それでも諦めずに思い続けて夢を実現させることになる。

 デビューして23年目の13年に出した「垂水の人よ」は、初めて作曲家水森英夫に作曲を依頼した作品であった。それが1年で販売枚数1万枚を達成する記録を樹立し、自身の代表曲にしたのである。これを記念して、水森を招いてパーティーを開いたほどである。
 16年にはやはり水森の作品の「女の人生夢舞台」をリリースしているが、こちらはYouTubeの再生回数が46万9千回を超えるまでになっており、もうひとつの代表曲になっている。最新曲の「おかめひょっとこ夫婦道」(2018年)もまた水森作曲の作品である。

 憧れの歌手になって30年を超えた今、「どんどん地方へ出かけて歌っていきたい」と夢を語る。
「歌手仲間と一緒にトラックに乗って出前歌謡ショーを各地で開いて、子供たちをはじめ皆んなに楽しんでもらいたいんです」
 歌謡ショーなんて無縁な土地で、トラックの荷台をステージにして歌う。聴いてもらった人たちの心に歌が刻まれる、そんな日を夢見ている。

写真・記事の無断使用はお断りします。


[美山京子 オフィシャルサイト]
http://www.office-miyama-kobe.com/index.html








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幸田和也、初めて大阪弁で歌う賑やかで楽しい新曲「えらいこっちゃで」 [インタビュー]

◆ホリデージャパンの歌手、幸田和也が3年ぶりの新曲「えらいこっちゃで」(作詞・多田そうべい、作曲・宮路オサム、編曲・藤井弘文)を2021年9月に出して、初めて大阪弁で歌ってユーモアいっぱいに、楽しさを振りまいている。

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初出演のTV番組「プレミアム歌謡ショー」で歌う幸田和也


 「えらいこっちゃで」は、同じレコード会社の朱夏洋子との競作であるが、朱夏がジャズアレンジで大人の雰囲気たっぷりに聴かせるのに対して、幸田は賑やかに歌う歌謡曲になっている。
 主人公の女性の亭主に浮気をされて、どないするのーと大阪弁の歌詞で歌い、合間にはー宮路オサムの合いの手が入る楽しい作品になっている。

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新曲「えらいこっちゃで」は、初の大阪もの

 実はこの楽曲、約30年前に宮路オサムが作曲した作品である。1989年に松尾和美が歌っているが、この時はポップス調のメロディーであった。

 デビュー13年目の幸田、かつて中村美律子が大阪・東心斎橋で経営していたショーレストラン「人生乾杯」で修行を積み、その後に自身で演歌ライブの店「多恋人(タレント)」同じ東心斎橋にオープンしていた。8月に43歳になった。

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「プレミアム歌謡ショー」で司会の瀬戸つよし(左橋)・三島ゆかりと

 今までにない楽しく歌える作品を手にし幸田は「おもしろ可笑しく歌ってもらえるといいですね」と、呼びかけている。

記事・写真の無断使用はお断りします。


[幸田和也 オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/tarento/
[幸田和也 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_ka8_kk.html








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木下結子、還暦+1で ・・・いいこと あるって 思わなきゃ [インタビュー]

「ノラ」などで知られる歌手、木下結子は去年、還暦を迎えたのを機に原点回帰を期して、デビュー曲「放されて」のアンサーソングとも言える「泣いてもええやろ」(ホリデージャパン)を出した。ところが年初からの、世界中を巻き込んだ新型コロナ騒動の煽りを受けて、予定していた還暦ライブを取り止めた。しかも思うように新曲をファンに届けることもできないでいることが、自身の心のうちをヤキモキとさせるが、今秋からは同じレコード会社の先輩歌手とのライブや久しぶりの東京ワンマンライブ開催を計画するなど、大好きな歌「ウヰスキー」の歌詞のように、♬ いいこと あるって 思わなきゃ 〜 と、前を見続ける彼女にコロナ下における想いを聞いた。


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バイクにまたがって、嫌なことも一緒にぶっ飛ばすぜーと意気込みを見せる


ー 私たちは今、歴史的に大変な時の中にいます。8月4日に61歳の誕生日を迎えた今、まずは今年前半を振り返っていただきたいのですが。

木下 今年前半は去年以上に何もできませんでした。60歳の誕生日から今日まで、今まで生きてきた中でこんなに短く感じた時はありませんでした。決して充実した時間を過ごした訳でもないのにですよ。果たしてこれでいいのか、なんて思っていますが、焦っても仕方がないですね。
 孤独とか空虚はそれほど感じませんでした。それは人の気持ちを温かく感じていたからかもしれません。会えない時間が長かったのに、SNSを通じて励まされてきました。歌い手として活動できる時間は少なかったのに、お客さんとの間の熱が冷めずにいられるものだと驚きでした。
 これから先、まだ先は見えませんが、不思議な事にあまり寂しいといった感情もないんです。

ー 長年にわたってどこにもに属さないフリーでやってこられて、去年は大阪の音楽事務所と提携をされました。

木下 1人でもがいても何もできない訳で、それは仲間と力を合わせて少しでも楽しい時間を過ごそうと思ったからです。最初は忘れられてしまったらどうしよう、歌えなくなったらどうしよう、と思っていたのに、お陰でそんな事は微塵の感じなくなりました。
 世の中は悲しくて辛い時なのに、こんなに笑っていていいのかな、と思うほどです。笑顔の多い、楽しい時間を過ごせています。

ー コロナ下でレコード会社を移籍されましたね。

木下 レコード会社を移籍して心機一転やり直すぞ、といったのに動けなくなりました。でも、動けるまでじっとしているのではなく、動けなくても何かを企画して、やりましょうと声をかけてもらったことによって、やる気を出させてもらいました。
 またメジャー歌手とプライベート盤歌手が区別なく、みんな歌いたいし、寂しく辛いという気持ちは同じで、それぞれに境目があるとは思えなくなりました。ベテランであっても新人でも、また音響・照明などイベントスタッフさんも、その気持ちは誰もが同じなんですね。コロナがあったればこそ、感じるようになったことかもしれません。またひとつ成長させてもらいました。

ー 還暦の年と、その次の年である+1年はコロナにしてやられた2年近くでしたが、なにか気持ちの変化はありましたか。

木下 コロナは多くのことを気づかせてくれました。例えば今までは車ばかりに乗って、歩くことはあまりしませんでしたが、健康のために歩くことを心がけるようになりました。地下鉄の2駅3駅を歩くことは何とも思わないようになりました。良いこともあったと思わないことには辛すぎますよね。仕事の回数は減り、会えないひとの数も多くなりましたものの、へこんだとか立ち直れないようになったことはなかったですね。

ー コロナ前まで定期開催されていたchu −chu−ライブは休止中ですが、復活させてほしいという声もあります。

木下 できるのであればすぐにでも再開したいですが、これまで会場として使わせてもらっていたカラオケ喫茶店などが営業できない状態にあります。お昼にでもと考えられるのですが、外出を控えているお客さんも多いので、現状では難しいですね。
 そのような中、chu −chu−ライブのパートナーである、ギタリストの井上善日居さんとYouTubeで配信するライブも始めています。インターネットラジオにも出演させてもらっていますが、以前よりもリスナーとのつながりが強くなった、と感じています。

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今秋からビッグライブが相次ぐ

ー 11月には東京ライブも行われるそうですね。

木下 毎年、東京でワンマンライブを開いてきましたが、去年は中止しました。今年は11月27日に開催を目指して準備を進めています。大阪でも9月26日にホリデージャパン主催のライブが淀川区十三のライブハウス、246ライブハウスGABU(ガブ)で行われます。
 40年を超えるキャリアのニックニューサ(田中収)さん、原田ヒロシさんと予定していますが、私が1番若手というベテラン3人によるライブです。すごく楽しみで、勉強の場にもなります。
 この時期、イベントを行うのは確かにリスクもありますが、やらなければ止まってしまいますから、やることの意義は大きいと思います。楽しみがあることは、自分の気が上がります。ええことあるかもしれん、と前を向かないといけませんね。

ー 今年出演された歌謡ショーでもそうですが、このところ「ウヰスキー」というオリジナル曲をよく歌われますね。

木下 新型コロナが流行り出してから、改めて心にズシンとくるようになった1曲です。私自身の中では大切な新曲と、誰もが知ってくれていて聴きたいと言ってくれる「ノラ」の次にくるような存在になっています。
 この歌は男と女を歌っていますが、いいことあるって思わなきゃ〜というフレーズが、今の世の中にあって、自分で歌いながら勇気づけられています。それを聴いてもらえる人たちにも伝わればいいな、と思っています。改めて、いい歌をもらった、と感謝しています。

ー 今年後半からの意気込みを聞かせてください。

木下 9月でデビュー38年目に入る歌手生活の中で、色んなことを乗り越えてきたのに、コロナで(歌手を)辞めますというのもアホらしい、と思います。こんなことで負けたくないです。

写真の無断使用はお断りします。


[木下結子 オフィシャルサイト]
http://nora-yuiko.jugem.jp/
[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html








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80歳の歌手シンジー、心の師は東海林太郎 [インタビュー]

◆歌手デビューは72歳の時であった。2013年に初めてのCD「夢列車」をホリデージャパンから出した。60歳で定年退職してから、今までお世話になった人や町、さらには老人施設を訪ねて歌う<ボランティア歌手>から挑戦し始めた歌への道であった。今年80歳になった歌手、シンジーは九州・福岡を中心に活動し、2020年8月には4枚目になる最新シングル「渡る世間に鬼はなし/母に捧げる歌」を日本クラウンから発売している。学生時代から5年余り続いた東海林太郎との交流が、師匠を持たない彼にとって歌のみならず、「優しさ」「正義感」「言行一致」といった、生き方を教えてくれたという。

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80歳で元気に歌う歌手シンジー

 シンジー、本名は麻生進(あそう・すすむ)という。進をシンと読ませ、72歳の爺(じい)ということから、それをもじって付けた。父は福岡出身、母は佐賀出身という生粋の九州っ子であるが、風貌はインド人のようで、あのインド独立の英雄ガンジーの名をもじったのかと想像させるほどである。

 シンジーの歌手への挑戦は69歳の時であった。2009年4月、秋元康主催の50歳以上を対象にした歌手コンテストに、物は試しとばかりに歌唱音源を送った。2500組の応募者の中から最終選考まで残って、審査員の前で「憧れのハワイ航路」を歌い、秋元の歌手認定証をもらった。

 これをきっかけに自ら名付けたボランティア歌手として、九州の老人施設などを巡り、得意な懐メロを聴いてもらっていた。歌うにつれオリジナル曲が欲しくなってきた。
 「1曲でいい。お世話になった人に届ける100枚だけでもプレスしたい」と、その頃、よく足を運んでいたテレビの歌番組の公開収録で親しくなった番組プロデューサーに相談した。それが72歳でのCDデビューにつながる。

 1枚でいいと思ったCDであったが、2016年からは2年おきに新曲を出している。「アリーパラオ・こんにちは!/パラオ恋しや」(2016年9月、日本クラウン)「ケヤキ・明日なろ・旭川/長崎シャンソン」(2018年4月、同)最新曲「渡る世間に鬼はなし/母に捧げる歌」(2020年8月、同)といった具合に、次々とリリースした。

 中でも「ケヤキ・明日なろ・旭川」は、東海林太郎の生誕120周年を記念したものであった。この年、東海林の生誕地である秋田市を訪問。生誕120周年記念イベントで、番外の歌唱出演をしている。
 シンジーと東海林太郎との交流は、彼がまだ福岡教育大学1回生の時まで遡る。当時から懐メロが好きだったことから、福岡市内の九州温泉センターで開かれていた東海林太郎の歌唱イベントに来ていた。1回目の公演が終わり、ロビーでポスターを見ていた彼に「若いのに僕の歌を聴きに来てくれたんですか」と、東海林が話しかけてきたという。

 2回目の公演までの休憩用に用意されていた旅館に誘われて、そこで1時間余りにわたって大学のこと両親のことなど、訊ねられるままにいろんな話を交わした。
 2度目は東海林から、博多・中洲のクラブで歌うので楽屋まで遊びに来ないか、という葉書をもらって、出かけている。やはりたくさんの会話を交わし、おまけにクラブ最前列の席を当てがってくれて、ショーをみせてくれたのである。

 会ったのはこの2回だったが、それから手紙のやり取りが5年余り続いたという。
 このように間近に接した東海林太郎について「正直で、誠意のある人でした。人を差別しない器の大きな人でもありました。思うようにならない人生でも、優しさを失わず、しかも歩みを止めない、そんな印象を持ちました。僕については、今の麻生さんのままでいいと思います」と話したという。

 そんな東海林の姿を自らの人生に生かし、歌手活を続けてきたシンジーは「まだ80歳です。まだまだ頑張ります」と張り切りを見せる。2021年11月12日には福岡市中央区天神のアクロス福岡円形ホールで、コンサート「シンジー絶唱!昭和はやり唄」を開く。
 オリジナル曲のほか「湖畔の宿」「雨に咲く花」「白虎隊」「バタやんのズンドコ節」「悲しき口笛」「シベリア・エレジー」「長崎の鐘」「渡る世間に鬼はなし」などの歌唱を予定している。








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人美(ひとみ) 亡くなった恋人に届けと歌って8年 「涙のカケラ」 [インタビュー]

◆岡山県津山市在住の歌手、人美が8年前にデビューしてから歌い続けているのが、実話に基づいて自身が作詞したバラード「涙のカケラ」(ウイングジャパン)。結婚も決めていた恋人が突然に交通事故死した悲しみを歌ったもので、「きみの朝」などのヒット曲で知られるシンガーソングライターの岸田智史が曲を書いている。CDはすでに完売しているが「永遠に歌い続けたい」と、今月17日にはサンテレビで放送される「プレミアム歌謡ショー」に出演して歌を披露する。

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「涙のカケラ」を歌う人美


 恋人の温もりがいつまでも消えないように、人美は歌い続ける。
 それでも涙のカケラは空には届かない・・・のか。
 5年も付き合ってきた男性との別れは突然にやってきた。23歳の時であった。結婚式の日取りも決まっていた。

 傷心の人美はしばらくして、歌が好きだったこともあって、津山市内でカラオケ喫茶店を開業する。悲しい時、人は詩人になる。人美も会いたくて会いたくて堪らない、でも叶えることができない。その切ない想いを一気に書き上げた。

 曲を付けて歌ってみたい衝動に駆られた。といっても作曲家の当てもなかったが、津山市の隣りの真庭市落合町の出身者にシンガーソングライターの岸田智史がいることを思い出した。
 彼の実家を知る知人から電話番号を聞き、作曲を依頼した。まさに徒手空拳での挑戦であった。恋人が空から助けの手を差し伸べてくれたのか、東京の事務所を教えてもらうことができ、マネージャーを通じて本人の快諾を得ることができた。

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「プレミアム歌謡ショー」(サンテレビ)の収録で

 岸田が生ギターで歌う「涙のカケラ」の音源が送られてきたのは、それから間もなくしての2013年のことであった。その年の7月3日、人美はウイングジャパンから歌手デビューをする。
 10年余も続けてきたカラオケ喫茶店は廃業した。歌手として「彼への想いを歌い続けていこう」と決めたからであった。今は岡山県を中心に活動しているが、「この楽曲がヒットするしないよりも、これに込めた想いをより多くの人と共有したいです」と、涙のカケラが空に届くまで歌い続ける。


写真の無断使用はお断りします。






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塩乃華織(日本クラウン) 好評「きのくに線」 7月には大阪で新曲発売記念ライブ [インタビュー]

◆日本クラウンの歌手、塩乃華織が三連の心地いいリズムに乗って歌う新曲「きのくに線」(作詞・内藤綾子、作曲・西つよし)が好評だ。西の作品は前作「七尾線」に次いで2作続く。「塩乃の声は西が書くメロディによく合う」といった声も聞かれるほどである。7月には大阪で新曲発売ライブも開く。このところ1作1作と存在感を高めている彼女にとって、「きのくに線」は大きなチャンスであることに間違いなさそうである。

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塩乃華織


 前作「七尾線」では、石川県の能登半島を縦断するJR七尾線を走る観光列車・花嫁のれん号を登場させるなど、今までの塩乃華織を大きく変えた歌唱は多くの演歌ファンを惹きつけた。その旅情演歌第2弾となる、今年5月に発売した「きのくに線」は舞台を和歌山に変え、軽快なリズムで前作にも増して多くの支持を得ている。

塩乃華織・きのくに線.jpg 前作から続く2作は<ソフト演歌>とも呼ばれている。今の演歌ファンに好まれているという。今まで声を張る傾向が強かった塩乃にとっては、新たな歌唱でもある。これがファンから思わぬ高い評価を得たようである。
 「練習量を含めて無理をし過ぎずに、自分にできる範囲でこなしています」と塩乃。

 新曲が発売される前の3月、よく晴れた暖かな日に塩乃は急に思い立ち、1人でJRきのくに線の電車に乗っている。曲の1番に出てくる無人駅の、古びた椅子があるだけの和深(わぶか)駅で降りてみたという。
 「次の列車まで2時間半もあったので、近辺を歩いてみたのですが、出会った地元の人からは何もない所だよ、と教えられ、ただボーッと海を眺めていました」

 「きのくに線」を含めて今まで歌ってきた作品は「自分が経験していないものばかり」(塩乃)なので、歌の舞台を訪ねるのは「主人公に近づける」のだという。


 塩乃華織としての歌手デビューは2009年の「失恋美人」(日本クラウン)からであるが、メジャーデビューは11年の「陽だまりの花」(日本クラウン)であった。
 歌を始めたのは。3歳の頃だという。祖母の影響が大きかった。歌手活動は大学生になってから、インディーズでスタートさせている。
 「メジャーになるまでには遠回りしたかもしれませんが、今につながっている多くの物を学べたと思います」

 今年3月で38歳になった彼女であるが、ひとつの悩みがある。
 これでいいのだろうか、どのように見られているのだろうか。ステージで笑顔を振りまく塩乃華織だが、いまひとつ自信が持てないでいるようである。
 「私って結構、心配性なんです。それはショーを楽しんでくれている人に伝わるので、これはこれからの塩乃華織が改善するところ なのです」
 存在感を高めつつある彼女がこれから大きくステップアップしていく課題なのかもしれない。

 7月12日には新曲「きのくに線」の発売記念ライブを大阪・堂山のライブハウス、umedaTRADで開く。当初は5月に予定していたが、新型コロナの影響を受けて延期になっていた。
 塩乃は2015年からワンマンライブを続けている。新曲発売記念ライブは番外編になるが、今までに25開催している。「自分のモチベーションを高めるのに繋がっており、チャレンジと勉強の場になっています」





【写真の無断使用はお断りします】


[塩乃華織 オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/shionokaori/
[塩乃華織 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/shiono/news?ima=0033








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水木ケイ(エイフォース) 本格復活へ向けて始動 新曲「魚市場のおんな」 [インタビュー]

◆高い歌唱力から将来が嘱望されながらも、8年前に活動を休止してしまった歌手、水木ケイが、2020年2月に7年ぶりの新曲「魚市場(いさば)のおんな / 港宿」(エイフォース・エンタテイメント)をリリース、21年6月5日に放送された「プレミアム歌謡ショー」でも元気な姿を見せて、「魚市場のおんな」を披露するなど、本格復活へ向けて動き始めている。

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復活第1弾の「魚市場のおんな」を歌う水木ケイ


 「魚市場のおんな」は、作詞がふくしゆうや、作曲は松宮有里。海難事故で夫を亡くし、姑と子供を養いながら魚市場で働く女の健気な姿を歌っている。
 水木ケイが偶然入った大阪市内のカラオケ喫茶店で、後に新曲を書くことになる作曲家の松宮と出会ったことが、再スタートのきっかけであった。

 09年に20歳の時、よしもとアール・アンド・シー(現・よしもとミュージックエンタテインメント)から「海椿」でデビューした彼女も今は32歳。2歳の男児の母になった。
 歌手活動を再スタートさせたのは、子供が1歳になるかならないかの頃であった。背中におぶってカラオケ喫茶店を訪ねて「歌わせて下さい」と頼んで歩いた。

 「あんた誰?と言って、冷たく門前払いをされたこともありましたし、子供なんか連れて来るな、と言われたこともありました」

 子供を背負って歌うこともあり、まるで自らが歌う新曲を地で行くような毎日であった。それでも最近では「歌でご飯を食べさせてくれてありがとう」などと、幼児とは思えない息子の言葉が、水木にとって生きる支えとなっているという。

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先頃放送されたプレミアム歌謡ショー
水木ケイ(中央)と司会の瀬戸つよし(左)三島ゆかり

 大阪・新世界のシアター朝日で今年開催された「なにわ繁盛娘歌謡ショー」には、メンバー4人の1人として参加。サンテレビで放送中の「プレミアム歌謡ショー」にも出演するなど、活動の幅を少しずつ広げている。

 水木が再スタートを切って1年が過ぎたが、「与えられた歌う現場を一生懸命に務めていきます」と意欲を見せて、デビュー当時の明るくて、元気一杯の笑顔を見せてくれた。


[水木ケイ オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/sei2828/








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葵かを里、 新曲「ひとり貴船川」 念願の京都・貴船 / 鞍馬でヒット目指す [インタビュー]

◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、葵かを里は去年デビュー15周年を迎えた。2021年5月5日に出した「ひとり貴船川」(作詞・麻こよみ、作曲・影山時則)は、16枚目のシングルになる。舞台の貴船川は京都市の北、鞍馬山の麓にある清流である。葵が京都を舞台に歌うのは、これが6作目。1作目は11年の「桂川」である。舞ながら歌う、彼女の歌唱スタイルを作った作品でもあった。今作では「原点に戻って歌う」といい、4回目というオリコン初登場1位は、代表作にするという意気込みの現れでもある。

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葵かを里


 「ひとり貴船川」は王道の艶歌で、発売直後から評判がいい。
 ♪ 逢いたくて 逢いたくて ひとり貴船川 〜 は、1番の歌いどころである。葵かを里は「切なく、はかなく、語りかけるように情感を入れて歌っています」と説明する。
 信じて待つ女は水占に願いを託す。

 原点に戻った今作は、ステージでは2番は舞って歌う。
 「無理なく歌えて歌いやすいです。今までの楽曲の中でも私の良さが出せていると思います」

葵かを里・ひとり貴船川.jpg 今回初めて現地、貴船川近くの貴船神社でミュージックビデオ(MV)の撮影をした。3月に京都に1泊して、まる1日を費やした。シーズンには少し早かったが、貴船川には川床料理を楽しむ桟敷がしつらえられていたなど、京都らしさがいっぱいであった。「雨が心配でしたが、私は晴れ女ですから大丈夫でした」

 「ひとり貴船川」の発売を記念してカラオケ大会を予定している。メイン曲とカップリングの「ほたる火」を課題曲に、歌唱音源(CD、テープ)を送って応募した者の中から10月上旬に合格者を発表。合格者による決勝大会で優勝者を決めることになっている。
 「できれば京都で決勝大会を開きたいですね」と、京都にこだわりをみせる。

 2番では勇壮な鞍馬の火祭りが登場する。当初は1、3番と同じように貴船が舞台になるはずであった。ところが葵が麻を説得して、かねてから歌いたかった鞍馬の地になった。
 それだけに「憧れの京都の地を歌わせてもらい、京都の良さを届けられるのは光栄です」と、大好きな京都の歌でヒットをねらう。



葵かを里「ひとり貴船川」PRメッセージ


[葵かを里 オフィシャルサイト]
http://wwwb.jnc.ne.jp/aoikawori/
[葵かを里 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/aoi_kawori.html








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石原詢子 新ジャンルに挑戦 「ただそばにいてくれて」 コロナだからこそ生まれたメッセージソング [インタビュー]

◆ソニー・ミュージックダイレクトの歌手、石原詢子が王道演歌からポップスに挑戦。衣装は洋服、ヘアスタイルもショートカットにした。44枚目のシングルにして初めて、イメージを大胆なまでに一新して、2021年5月19日に出した新曲は、シンガーソングライターの古内東子の作詞・作曲による「ただそばにいてくれて」。新型コロナ騒動の最中だからこそ、周りの人たちに「ありがとう」の気持ちを届けたいーと生まれた。「売れると思います」。石原は自信をみなぎらせている。

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新曲でありがとうの想いを届ける


石原詢子・ただそばにいてくれて.jpg 当初は 今作も王道演歌で出す企画もあったという。この方がCDの販売枚数など数字が読めるからである。しかし彼女の胸の内では、このところ「若い世代にも幅広くシンガー石原詢子を知ってもらいたい」といった想いが年々大きくなっていた。
 もちろん演歌は彼女の基本だが、それだけにこだわることなく、色んなジャンルの歌を歌っていきたいと思っていたのである。

 それに選んだのがシンガーソングライター、古内東子であった。書き下ろしを依頼。出来上がったのが「ただそばにいてくれて」であった。演歌ではなく、ポップスである。

 石原がCBSソニーからデビューしたのは1988年10月であった。演歌のアイドル「エンドル」として、デビュー曲「ホレました」をミニスカートで歌っていた。デビュー2作目までは衣装は洋服であったが、3作目以降から前作までは着物で、王道演歌の歌手で通してきた。

 それが今年、180度大きく転換して、今度は演歌からポップスへと変えた。
 新型コロナ騒動で「歌った日を数えた方が早い」というほどに、仕事もない日常が続いている。それだからこそ「今できることをやろう」と取り組んだのが今回の新曲だったのである。

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テレビ収録で新曲を披露する石原詢子

 石原が大好きな歌を数多く書いている古内東子に、迷いなく作詞作曲を依頼した。ラブソングの教祖とも言われるシンガーソングライターの古内は「女性が共感出来る歌を数多く書いている人です」と石原はいう。メロディーは違っても、歌詞は石原が歌ってきた演歌と通じるものがあるとも。

 石原は古内と去年の暮れに会った。混沌とした今だからこそ、届けたい「ありがとう」の気持ちをテーマにしたいーーなど、新曲への想いを話しあった。普段から古内の歌を数多く聴いていた石原にとっては、同じ年代の女性として、同じ目線で作ってもらえると意を強くした。

 作品は約束した1ヶ月で仕上がってきた。
 発売2日前にテレビ収録のために来阪して、新曲を披露した彼女に、自信の程を訊ねた。
 「売れると思います。今まで演歌に興味を持っていなかった人たちが、この歌をきっかけに石原詢子に関心を示してくれるとうれしいですね」

 新たなジャンルの楽曲へ挑戦するデビュー33年目の石原は、いつになく真剣な眼差しで強い自信を示していた。





[石原詢子 オフィシャルサイト]
https://junko-ishihara.com/
[石原詢子 ソニー・ミュージックダイレクト]
https://www.sonymusic.co.jp/artist/JunkoIshihara/








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野上こうじ(ホリデージャパン) カップリングからメインになった「天神橋」 元気になれる歌 [インタビュー]

◆ホリデージャパンの歌手、野上こうじが大阪・金沢・福岡にある、それぞれの天神橋をアップテンポに歌うニューシングル「天神橋」を2021年5月19日にリリースする。もともとは18年10月に発売した「白いストレリチア」のカップリングとして出したものだが、カラオケ好きの人たちなどから「元気になれる歌」などと、熱烈な声援に押されてメイン曲になった。5月10日、現地での初の発売前キャンペーンを大阪を皮切りにスタートさせた。

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野上こうじ


 「天神橋」のジャケットは黒。カップリングはそれまでのメイン曲「白いストレリチア」に入れ替えての新装版である。
 「天神橋って、良い局だね」「曲も歌詞も面白くていいよね」こんな声が東京を中心に、野上こうじの周りで耳に入ってくるようになったのは、「白いストレリチア」を2018年10月に出してすぐのことであった。
 東京・京王プラザホテルで開いた新曲発表会でも、「アンコールは『天神橋』だったんですよ」と野上。

 「初めて僕の歌を聴く人でも、これはいい。行く先々で歌って広めるよ、なんて言ってくれるほどなんです。今までにない盛り上がりを感じています」
 曲調がアップテンポであるし、理屈っぽくない歌詞が聴く人を惹きつけているようである。しかも、こんなに好評なのは38年間の歌手生活の中で初めてだという。

天神橋.jpg この歌は野上が民放のBSテレビで一緒に10年余に渡って司会をしている、同じ事務所で歌手の司洋人(ホリデージャパン)とのデュエット曲なのである。2人の掛け合いも面白い、と評判だという。
 「天神橋」はデュエットソングであるが、過去にも「せめて今夜は歌いましょ」(2014年)など3曲のデュエット曲があるが、男性と歌うのは今回が初めて。

 プロモーションビデオ(PV)では2人が、柴田恭兵と舘ひろしのコンビで人気を博したテレビドラマ「あぶない刑事(デカ)」のパロディ版のように、黒いスーツに拳銃(水鉄砲)を片手に駆け回る少々コミカルな姿がまた、見る人を笑わせるようである。

 「白いストレリチア」では派手なダンスパフォーマンスを交えながら歌う。中学までは器械体操していたといい、「足は目の高さまで上がるんです」と笑ってみせる。

■「初」尽くしの「天神橋」

 大阪の天神橋は歌の1番に登場する。キャンペーンで来阪した5月9日夜、早速、天神橋の上に立って「ヒットさせます」と誓った。「ライトアップされていて感動しました。写真も撮りました」

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大阪・天神橋に感動

 この野上にとって大阪は6、7年前に仕事で来て以来という。大阪の人たちにとっては馴染みが薄い存在だが、今年で歌手生活38年というベテランである。デビュー当時は星光二の名前で歌っていた。今の野上こうじに改名したのは、1988年に出した「望郷列車」からである。

 カップリング曲が好評でメイン曲に変更されるというのは、彼にとってはこれも初めてで、今作はとにかく「初」が付くことが多い。それだけに野上は「新型コロナで旅にも満足に出かけられませんが、せめてこの歌で楽しんでほしいです。大ヒットを意識しながら、歌に登場する3都市以外にも、全国の天神橋を訪ねて歌を広めていきたい」と、意欲を見せている。





[野上こうじ オフィシャルサイト]
http://www.asazuki.com/nogami.html
[野上こうじ ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_na4_nk.html







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川野夏美(日本クラウン) 新曲「勿忘草(わすれなぐさ)」で緊急事態宣言直前に関西キャンペーン [インタビュー]

◆温かくて爽やかな川野夏美のニューシングル「勿忘草」(作詞・もりちよこ、作曲・弦哲也)。鬱屈としたコロナ下の社会を明るくしてくれるーそんな希望を持たせてくれる楽曲である。昭和の青春歌謡のような、どこか懐かしい作品を求めていた彼女に応えたかのようである。2021年2月10日に発売され、ヒットチャートでも上位を維持している。関西では自身初のオンライン店頭キャンペーンも行い、待ち構えたファンからたくさんのメッセージが寄せられたという。

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川野夏美


 「心が沈みがちな今こそ、心が安らぐ一方で浮き立つような歌がいいな」
 川野は新曲の制作に際して、こんな希望を漏らしていた。
 出来上がった作品は、今まで自身の楽曲にはなかったような軽快なリズムで「とても新鮮な気持ちです」という。多くの聴く者を心地よくさせる。もともと勿忘草には「私を忘れないで」という悲しい恋の伝説が元になった花言葉があるが、歌はむしろ明るささえ感じさせてくれる。
 先頃の関西キャンペーンでは、1曲だけながらオンラインで歌を届けたし、サイン会の様子もインターネットを介して見せるなど、会期中にはファンからは数多くのメッセージが寄せられたという。

川野夏美 勿忘草.jpg 川野は去年から自身のYouTubeチャンネルを開設しており、月1回程度の更新をしている。3月には東京で行われたライブの模様の1部分を紹介するなど、「従来のように会えない人たちに元気を届ける」ために、コンテンツ作りに趣向を凝らす。
 オンラインキャンペーンは東京など関東地区で4度ほど行っているが、関西では初めて。約1時間のそれでは、事前にCDの予約をしていた人たちへのサインを書く様子をオンライン映像で伝えて、事前に寄せられていた質問に、主催者が代わって答えを返すシーンもあった。

 「ネットではという人もありましたが、事務所にはログインの方法を教えて、といった問い合わせもあって、何とかして楽しみたいという気持ちの人がいてくれたのは嬉しかったです。これからのキャンペーンの選択肢のひとつとして定着するかもしれませんね」

川野夏美 2.jpg

■LINEスタンプも発売

 川野夏美といえばイラストの腕前はプロ級で、漫画本も出版しているほか、歌手仲間の似顔絵なども数多くの描いていることでも知られている。その彼女が今度は「川野夏美ラインスタンプ」を始めている。
 スタンプは40種(120円)。日常会話やその時々の気持ちを自身をキャラクターにしたイラストで表している。可愛いと評判も良く、川野も「楽しく描きましたよ」と、笑顔を見せていた。
 第2弾も期待されている。


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川野夏美スタンプの1部

 ここ1年余り歌謡界はイベントの中止や延期が相次いでおり、新曲のキャンペーンですら満足にできない状態が続いている。
 こうした中で川野は「今できること、ネットなどを駆使しながら、楽しみながら取り組んでいきたい。新曲『勿忘草』が長く愛してもらえる歌になることを願っています」と、話していた。






[川野夏美 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/kawanoNatsumi/top.html
[川野夏美 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kawano/whats.html








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美貴じゅん子(テイチク) 25周年記念曲「土下座」で17年ぶりに古巣・テイチク復帰 [インタビュー]

◆♪ 生きることに必死だから ~ 。まるで自身を歌ったかのような歌詞の25周年記念曲「土下座」(作詞・柳田直史、作曲・岡千秋)を2021年4月21日に発売して、古巣のテイチク復帰を果たした美貴じゅん子。25年という長い時間を彼女は「決して歌手としての人生ではなく、新曲を出せないでアルバイトとレッスンに明け暮れた10年を含む、私の人生そのものの集大成の期間なのです」と、明るく言ってのける。8月23日から9月1日まで三重県桑名市の長島温泉湯あみの島では、初めてのワンマン歌謡ショーを開くことになっている。

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「土下座」で17年ぶりのテイチク復帰の美貴じゅん子


 17年ぶりのテイチクへの復帰だという。デビュー曲は1996(平成8)年、テイチクから出した「ほおずき」。23歳であった。ところが2002(同14)年の7枚目のシングル「姫折鶴」を最後に、パッタリと新曲のリリースが止まってしまった。

 「2012(同24)年に徳間ジャパンに移籍するまでの10年間は全く新曲を出せないでいました。日本料理屋さんでアルバイトで仲居さんを8年くらいしてました。この間、歌のレッスンは欠かしませんでしたが、今、コロナ下といった状況の中で、古巣のテイチクから新曲を出せたのは奇跡であり、感無量です」

 この歌手としての空白の10年間を美貴は、決して<休業>とはとらえていない。周りでは歌手を辞めたのとか、結婚したの、と言われてきたが、常に「このままでは終われない。新曲を出さなければと、スポーツクラブに通うなど体調管理と声出し、レッスンは続けていました」と、常にモチベーションを高めていた。

 歌にもある ♪ 挫けそうになっても 死にません 〜 の通りの10年だったのである。

■風変わりなタイトル

美貴じゅん子・土下座.jpg 「土下座」。変わった新曲のタイトルである。
 今回、作品を書いた岡千秋からは「土下座」を含む4曲のデモテープを受け取った美貴は迷わず、「これこそ自分の歌。絶対に歌いたい」と言ってのけた。歌詞に込められた想いが、自身の25年間の想いと一緒だったからである。

 ここでの土下座の意味は、相手に対する敬意や感謝の意味だという。
 「作詞の柳田直史先生に、その意味を教えてもらい、究極の愛の表現なのだと思ったんです。今までお世話になった恩師の聖川湧先生をはじめ、家族や多くの皆さんへの思いなんです」
 と頭を下げる。

 復帰を喜んでくれた1人でもある作曲家の聖川は「よく辞めずにやってきたね。執念だね」と、彼女に言葉を寄せている。

■縁が深い大阪

 実は美貴と大阪は縁が深い。
 デビュー翌年の1997(同9)年に、大阪広告協会が50周年記念のために制作したモニュメント、高さ2m20cmのキタノザウルスを、JR東西線の北新地駅に設置したのだが、その誕生記念ソングを彼女が歌ったのである。
 それはCD「キタノザウルス キ・タ・ノ」として、テイチクから同年7月に発売されている。北新地駅構内では華やかに除幕式が開かれ、歌も披露された。

 それは美貴にとっては忘れられないものとなった。それから24年を経て、今度はキタノザウルスならぬ、美貴自身が<ミキ ガ カエッテ キ・タ・ノ>になったのである。そこには彼女ならではの熱い想いがあったことは言うまでもないが、生まれ月がさそり座ということと関係しているのかもしれない。
 「さそり座生まれって、気難しい反面、とても熱いんですよ。これは、と思うと一途になれます」
ルーツは鹿児島・喜界島という美貴の体の中には、そんな熱情がふつふつと沸き上がっているようである。


[美貴じゅん子 オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/mikijunko/
[美貴じゅん子 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/miki/








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作詞家・伊東ひろしさん(兵庫・尼崎)、90歳を目前にますます盛んな創作意欲 [インタビュー]

◆総合商社日商岩井(現・双日)を56歳で退職後、75歳で演歌・歌謡曲の詞を書く作詞家の世界に入った伊東ひろしさんは、今までに60数曲の作品を在阪の歌手に提供しており、88歳になった今なお元気に詞を綴り続けている。

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作詞家・伊東ひろしさん


 広島県福山市出身の伊東さんは、高校を卒業してすぐに大阪の貿易商社、岩井産業に就職する。会社は1968(昭和43)年に、日商と合併して日商岩井に社名を変更しているが、ほぼ一貫して鉄鋼部門の営業を担当してきた。最終役職は当時、大阪に新たに置かれた関西支店の支店長であった。

 退職後に通い始めたのがカラオケ喫茶店であった。仲間と歌っていて、いつも不思議に感じていたのが「同じ言葉でも、歌の内容によっては文字を変えてもいいじゃないか、ということでした。たとえば<泣く>も、腹の底から泣き叫ぶ場合は<哭く>のほうがいいのではないか」といったことだった。

 そんなことを知り合った作曲家に話したところ、詞を書いてみないか、と勧められたのである。ひやかし半分で書いた詞が、ある日、認められて曲をつけてもらった。これが本格的に作詞の世界にのめり込むきっかけであった。

 「テーマが決まると、資料を調べて書きます」
 会社勤めの時からそうであるように、几帳面な性格から産み出された60数編の作品はどれも、丁寧に書かれたものばかりである。
 たとえば金沢藩の御用商人であった銭屋五兵衛を主人公にした作品「銭屋の三代目」は、北陸を旅した時に見聞きしたことを基に書いているし、「喧嘩祭り」はかつて日商岩井の姫路出張所所長を努めた、兵庫県姫路市で毎年10月に行われる灘のけんか祭りをモチーフに書いた。

 最近では、新型コロナの時代となった令和の世を歌った「令和なげき節」といったユニークな詞もある。

 書いた作品の多くは在阪のプライベート盤の歌手によって歌われているが、まだ曲も付かずに、書き溜めた詞が30編ほどある。伊東さんはそれを「自分が生きた証に世の中に出して残しておきたい」と、創作活動に意欲を見せている。

 その一方で、サラリーマン時代から今まで、62年間をずっと支えてくれている夫人は、現在、介護施設に入居しているが、伊東さんは「今までの自分の人生は何をとっても、周囲の人たちの協力のお陰でした。それにただ感謝しながら、残された日々を暮らせると幸せです」と、話している。








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湊空慶子(キングレコード) 「それが母の愛」が評判、去年にはカラオケ喫茶店をオープン [インタビュー]

◆キングレコードの歌手、湊空(そそら)慶子が歌う「それが母の愛」(作詞・田浦泰、作曲・増田空人)の評判がいい。2019年に出した「人生マイウェイ」(作詞・志賀大介、作曲・増田空人)の、2曲あるカップリング曲の1曲で、母の無償の愛を歌っている。サンテレビで放送中の番組「プレミアム歌謡ショー」に毎月出演して歌うなど、ファンを増やしている。

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プレミアム歌謡ショーで歌う湊空慶子


港空慶子・人生マイウェイ.jpg 湊空は5年前にインディーズレーベルで歌手デビュー。それまで大阪府内で主婦のかたわら、ソフトボールのクラブチームでボールを追いかけていた。ある日、カラオケ教室へ通うようになって、そこで作曲家の増田空人と出会ったのが歌手へのきっかけになった。
 68歳でのデビューであった。

 子供の頃、弘田三枝子の「バケーション」を聴いて歌手になりたい、と思うが、親からは相手にもされなかた。23歳で結婚して、京都から大阪へやって来たが、そんな夢は頭の片隅に追いやられていた。
 インディーズながら歌手デビューしてからは、主にカラオケ大会のゲストなどで歌っていた。しかしCD1枚ではオリジナル曲の数が少ないので「どうしても2枚目のCDが欲しくなり、増田先生にお願いしたんです」と湊空。

 それが生きた証を求めて前向きに自分らしく生きていこう、と歌った「人生マイウェイ」であった。まさに自分自身の生き方と同じ内容の歌であった。
 今度はメジャーレーベルで出したいと思っていたから、キングレコードを選んだ。
テレビ番組「プレミアム歌謡ショー」にも20年5月から出演している。このところ主に歌うのがカップリングの「それが母の愛」である。これの評判がいいのである。
 それまで「ただ恥ずかしいだけ」だった歌手活動が、「CDショップで自分のCDが売れるようになったし、名前もちょっと知られるようになりました」と、歌手としての自覚も芽生えてきたという。

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去年にはカラオケ喫茶店をオープンした

 去年4月にはカラオケ喫茶店「カラオケスタジオ湊空」を、大阪府大東市のJR駅前にオープンしている。大阪に新型コロナウイルスへの感染が拡大していることから、外出の自粛などを求める緊急事態宣言が出されたその日であった。
 「1年前から計画していた事でしたから」と、変更せずに予定通りに開店した。

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近所の歌手になりたい

 4月11日に大阪・太閤園で予定していた歌手デビュー5周年と開店1周年記念パーティーは中止したが、湊空は「これからの人生を、歌って、人と良いお付き合いをして、近所の歌手になれたらと思っています」と、欲張らずに好きな歌を人々に届けようと歌う。








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水森かおり(徳間ジャパンコミュニケーションズ)、コロナ下で始めたネット配信、新たなファン獲得に 大阪・新歌舞伎座7月座長公演PRで記者会見 [インタビュー]

◆ご当地ソングの女王とも呼ばれ、残すところ4県だけというほどに、全国各地を歌い続けている水森かおりが、2021年3月30日、7月5日から11 日まで大阪・上六の新歌舞伎座で行う芝居と歌の「水森かおり公演」のPRのために来阪。公演に向けての意気込みと、コロナ下で始めたネット配信などについて話した。

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7月の新歌舞伎座公演に意欲を見せる水森かおり


 水森かおりが新歌舞伎座で座長公演を行うのは、一昨年に次いで2度目。芝居では前回は警察官の役であったが、今回は記者を目指す財閥系企業経営者の令嬢という設定のドタバタ喜劇である。
 時代は大正ロマン華やかな頃。公演のフライヤーの写真では、記者らしくノートとペンを持つ一方で、お嬢さまらしくドレスの襟元にはカメオ、首にはネックレスといった具合に「お金持ちのお嬢さまを、ありったけの装身具で演出してみました」と笑わせていた。

 東京・下町の出身という水森だが、父親は自動車部品を商っていたというから、「規模は小さくても令嬢ではあるんですけどね」と笑っていた。しかし、芝居ではお嬢さま言葉を使いこなせるかが課題で、「演出の先生が初めて芝居をした時と同じ池田政之先生ですから、心強く安心していますが」と水森。

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6月には「鳴子峡」のタイプC、Dも出す

 彼女は今年1月に29枚目のシングル「鳴子峡」(タイプA、B)を出している。6月には同C、Dタイプのリリースも予定している。
 しかし去年1年間は新型コロナの影響で、思ったような活動もできず、今年も明るい兆しはみられない。そうした中で去年、新たに始めたのがオンラインコンサート・サイン会、YouTubeチャンネルの開設であった。

 「YouTubeチャンネルはコロナとは関係なく、25周年企画として話が持ち上がっていたものを、プライベート版として始めました」といい、自身のスマートフォンで撮影して、30分程度の番組にして配信している。
 「カバンの中を紹介したり、こんなものがと思う内容がたくさん再生されています。7月の新歌舞伎座公演では、舞台裏や大きなドレスをどのように運び入れているのかなどを動画で紹介していきたいです」

 このようにテレビでは不可能なことも、YouTubeでは出来るため「可能性は無限ですね」とも。また、今まで演歌とは無縁だった新しいファンも増えているようである。その一方で、今まではインターネットに縁がなかった人たちには「お教えできる機会があればいいのですが」と、優しさを見せる。

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 公演は2部構成で、1部が芝居<strong>「笑劇 大正浪漫 〜令嬢、難儀を引き受ける?〜」で、2部が「水森かおりコンサートin 新歌舞伎座」
 水森は「早く稽古をして、舞台に立ちたくてワクワクとしています。皆さんはお越しになるのも、コロナのために緊張感を持っておられるでしょうが、ご覧いただくことで心を軽くしてもらえると嬉しいです」と、意欲を見せていた。


[水森かおり オフィシャルサイト]
https://www.nagarapro.co.jp/top/artist/artist.php?id=5
[水森かおり 新歌舞伎座]
https://www.shinkabukiza.co.jp/perf_info/20210705.html








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松前ひろ子(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 約1年ぶりの新曲「春隣り」 4月7日リリース 今夏にはカラオケ大会も [インタビュー]

松前ひろ子が2021年4月7日に約1年ぶりの新曲「春隣り」を出す。歌手生活50周年記念曲第2弾で前作の「夫婦鶴」のアンサーソングとも言われる。作詞たかたかし、作曲弦哲也のコンビは、彼女にとって初めて。前作が妻の目線で歌ったが、今作では夫が主人公。同じ音楽の世界で生きて、2年前に亡くなった夫で作曲家の中村典正との人生とどこか重なる夫婦歌である。

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松前ひろ子


 弦哲也から届いた新曲のデモミュージックを聴いた、松前ひろ子の第一声は「なんて素敵!」だった。春がすぐそこまでやって来ている、そんなことを感じさせる明るい作品であったからである。新型コロナ騒動で鬱屈とした社会を明るくしてくれる、暖かなイメージの楽曲であった。

松前ひろ子・春隣り.jpg 発売前から評判も良いという。
 「去年はコロナの影響で仕事が減り、そのような中での新曲『春隣り』は、多くの人たちが待ち望んでいたようです」と松前。

 新たに動画投稿サイトのYouTubeを利用した「ミーガンチャンネル」を昨年開設している。これの目玉は、自ら運営するライブレストランを舞台に、インターネットのライブ中継でも視聴できる、リアルとオンラインによるハイブリッドなコンサートである。

 「コンサートを見た人の反応が即座に寄せられたり、今までになかった体験をしています」

 「春隣り」の発売を記念にして、今夏、カラオケ大会とグランプリ受賞者のレコーディング体験会も行う。
 「春隣り」とカップリング曲でワルツ調の演歌「一本道」を課題曲に、7月24日の第1回目から、8月21日の第2回、9月18日の第3回に分けて、東京・南青山のライブレストラン青山で実施。

 各回のグランプリ受賞者を対象に、10月下旬、東京都内のレコーディングスタジオでレコーディング体験会を行う。詳しくはCD「春隣り」に入っている応募要領を参照。





[松前ひろ子 オフィシャルサイト]
http://h-matsumae.migan.co.jp/
[松前ひろ子 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/matsumae.html








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麗珠(テイチクエンタテインメント)、全国へ届けと歌う「そして・・・Good by day / 希望の種子」 荒木とよひさプロデュース第2弾 [インタビュー]

◆生まれ育った台湾で歌手デビューして、20数年にわたって活動してきた麗珠が、日本での活動10年目の去年、メジャーデビュー2枚目のシングル「そして・・・Good by day / 希望の種子」を出している。荒木とよひさプロデュースで、作詞・作曲も荒木による、その楽曲はメイン曲が、堪らなく切ないラブソング。カップリングは4年前に九州北部を襲った豪雨災害から立ち上がる人たちとの出会いから生まれた作品。困難に立ち向かう人たちすべての応援歌である。

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麗珠


 台湾生まれの麗珠が九州で、謝宛君(シャ・ワンチュン)として歌手活動を始めたのは、2011年からであった。台湾時代、日本のイメージはサムライ、着物といった程度しか持っていなかった。それでも日本で歌うのは憧れであった。今のマネージャーからスカウトされたのがきっかけとなって、日本にやって来ることになった。

 「日本については全く何も知らなかったんです。でも来てみると台湾と一緒で、空気もおいしいし、ゴミもありません」
 しかも今では日本の着物は大好きで「品があって、物静かなのがいい」と、先輩歌手の着物姿を見て着付けを学び、ひとりで着ることもできるほどである。

 そんな中での歌手活動は、人との出会いが自身の運命をその都度好転させてきたという。「出会いがなければ、今頃は台湾に帰っていたでしょうね」と話す麗珠だが、今は「出会った人たちに早く恩返しをしたい」としている。

麗珠・そして・・・Good  by day.jpg 日本でのデビュー曲は「追分おんな節」(キングレコード)。次いで出したのが「ほの字酒」(徳間ジャパンコミュニケーションズ、2013年)で、いずれもプライベート盤であった。
 福岡県久留米市を拠点に、コミュニティFMへの出演や老人ホーム施設への歌の訪問など幅広い活動を繰り返して、数多くのファンを作ってきた。

 そんな中で3枚目のシングル作品を出す話が持ち上がった。
 「やはり大好きな演歌を歌いたかったし、心の中では尊敬する台湾の大先輩歌手、テレサ・テンさんへの想いもありました」
 そこでテレサ・テンの作詞に多く携わった作詞家の荒木とよひさに、楽曲の書下ろしを依頼することにした。
 「東京へ足を運び、先生の前で歌うことになったのですが、緊張して歌えないんですね。すると優しくもう一度と言ってもらい、心をほぐしてもらいました」

 この後に出来上がった作品が、荒木が作詞し、羽場仁志が作曲してメジャーデビュー曲となった「いのちの愛」(テイチクエンタテインメント、2019年)で、同時に荒木が名付けた麗珠に改名している。

 「荒木先生からは、自分の持ち味を出せばいいと言ってもらい、ボイストレーニングからすべてを手がけて頂いた。さらには、テレサが僕の生きてきた証しならば、レイジュはもうひとつの僕の未来の伝説である、などとメッセージをもらいました」
 このメッセージに麗珠は大感激して、「嬉しくてうれしくて、1週間ほど寝られませんでした」と洩らしているほど。




 そして2枚目のシングル「そして・・・Good by day」を去年7月にリリースした。タンゴのリズムにのせて歌うそれは、「まるでわたしの人生のような歌」と麗珠。1日でも長く一緒にいたいので、さよならは自分からは言わない、という女性の切ない気持ちが表現されたラブソングである。

 カップリング曲は「希望の種子」。やはり荒木が作詞・作曲をしている。
 福岡県朝倉市など九州北部に大きな被害をもたらした2017年7月の豪雨による被災者を励ます歌であるが、九州をはじめ全国の災害被災地にエールを送る内容である。
 今年9月には朝倉市で復興チャリティーコンサートを開く計画を進めている。全国の被災地をネットワークして、この歌を通して希望の花を咲かせてもらおうと歌う。


[麗珠 オフィシャルサイト]
http://rayju-official.tokyo/
[麗珠 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/rayju/profile/








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