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松前ひろ子(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 約1年ぶりの新曲「春隣り」 4月7日リリース 今夏にはカラオケ大会も [インタビュー]

松前ひろ子が2021年4月7日に約1年ぶりの新曲「春隣り」を出す。歌手生活50周年記念曲第2弾で前作の「夫婦鶴」のアンサーソングとも言われる。作詞たかたかし、作曲弦哲也のコンビは、彼女にとって初めて。前作が妻の目線で歌ったが、今作では夫が主人公。同じ音楽の世界で生きて、2年前に亡くなった夫で作曲家の中村典正との人生とどこか重なる夫婦歌である。

松前ひろ子.jpg
松前ひろ子


 弦哲也から届いた新曲のデモミュージックを聴いた、松前ひろ子の第一声は「なんて素敵!」だった。春がすぐそこまでやって来ている、そんなことを感じさせる明るい作品であったからである。新型コロナ騒動で鬱屈とした社会を明るくしてくれる、暖かなイメージの楽曲であった。

松前ひろ子・春隣り.jpg 発売前から評判も良いという。
 「去年はコロナの影響で仕事が減り、そのような中での新曲『春隣り』は、多くの人たちが待ち望んでいたようです」と松前。

 新たに動画投稿サイトのYouTubeを利用した「ミーガンチャンネル」を昨年開設している。これの目玉は、自ら運営するライブレストランを舞台に、インターネットのライブ中継でも視聴できる、リアルとオンラインによるハイブリッドなコンサートである。

 「コンサートを見た人の反応が即座に寄せられたり、今までになかった体験をしています」

 「春隣り」の発売を記念にして、今夏、カラオケ大会とグランプリ受賞者のレコーディング体験会も行う。
 「春隣り」とカップリング曲でワルツ調の演歌「一本道」を課題曲に、7月24日の第1回目から、8月21日の第2回、9月18日の第3回に分けて、東京・南青山のライブレストラン青山で実施。

 各回のグランプリ受賞者を対象に、10月下旬、東京都内のレコーディングスタジオでレコーディング体験会を行う。詳しくはCD「春隣り」に入っている応募要領を参照。





[松前ひろ子 オフィシャルサイト]
http://h-matsumae.migan.co.jp/
[松前ひろ子 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/matsumae.html








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麗珠(テイチクエンタテインメント)、全国へ届けと歌う「そして・・・Good by day / 希望の種子」 荒木とよひさプロデュース第2弾 [インタビュー]

◆生まれ育った台湾で歌手デビューして、20数年にわたって活動してきた麗珠が、日本での活動10年目の去年、メジャーデビュー2枚目のシングル「そして・・・Good by day / 希望の種子」を出している。荒木とよひさプロデュースで、作詞・作曲も荒木による、その楽曲はメイン曲が、堪らなく切ないラブソング。カップリングは4年前に九州北部を襲った豪雨災害から立ち上がる人たちとの出会いから生まれた作品。困難に立ち向かう人たちすべての応援歌である。

麗珠.jpg
麗珠


 台湾生まれの麗珠が九州で、謝宛君(シャ・ワンチュン)として歌手活動を始めたのは、2011年からであった。台湾時代、日本のイメージはサムライ、着物といった程度しか持っていなかった。それでも日本で歌うのは憧れであった。今のマネージャーからスカウトされたのがきっかけとなって、日本にやって来ることになった。

 「日本については全く何も知らなかったんです。でも来てみると台湾と一緒で、空気もおいしいし、ゴミもありません」
 しかも今では日本の着物は大好きで「品があって、物静かなのがいい」と、先輩歌手の着物姿を見て着付けを学び、ひとりで着ることもできるほどである。

 そんな中での歌手活動は、人との出会いが自身の運命をその都度好転させてきたという。「出会いがなければ、今頃は台湾に帰っていたでしょうね」と話す麗珠だが、今は「出会った人たちに早く恩返しをしたい」としている。

麗珠・そして・・・Good  by day.jpg 日本でのデビュー曲は「追分おんな節」(キングレコード)。次いで出したのが「ほの字酒」(徳間ジャパンコミュニケーションズ、2013年)で、いずれもプライベート盤であった。
 福岡県久留米市を拠点に、コミュニティFMへの出演や老人ホーム施設への歌の訪問など幅広い活動を繰り返して、数多くのファンを作ってきた。

 そんな中で3枚目のシングル作品を出す話が持ち上がった。
 「やはり大好きな演歌を歌いたかったし、心の中では尊敬する台湾の大先輩歌手、テレサ・テンさんへの想いもありました」
 そこでテレサ・テンの作詞に多く携わった作詞家の荒木とよひさに、楽曲の書下ろしを依頼することにした。
 「東京へ足を運び、先生の前で歌うことになったのですが、緊張して歌えないんですね。すると優しくもう一度と言ってもらい、心をほぐしてもらいました」

 この後に出来上がった作品が、荒木が作詞し、羽場仁志が作曲してメジャーデビュー曲となった「いのちの愛」(テイチクエンタテインメント、2019年)で、同時に荒木が名付けた麗珠に改名している。

 「荒木先生からは、自分の持ち味を出せばいいと言ってもらい、ボイストレーニングからすべてを手がけて頂いた。さらには、テレサが僕の生きてきた証しならば、レイジュはもうひとつの僕の未来の伝説である、などとメッセージをもらいました」
 このメッセージに麗珠は大感激して、「嬉しくてうれしくて、1週間ほど寝られませんでした」と洩らしているほど。




 そして2枚目のシングル「そして・・・Good by day」を去年7月にリリースした。タンゴのリズムにのせて歌うそれは、「まるでわたしの人生のような歌」と麗珠。1日でも長く一緒にいたいので、さよならは自分からは言わない、という女性の切ない気持ちが表現されたラブソングである。

 カップリング曲は「希望の種子」。やはり荒木が作詞・作曲をしている。
 福岡県朝倉市など九州北部に大きな被害をもたらした2017年7月の豪雨による被災者を励ます歌であるが、九州をはじめ全国の災害被災地にエールを送る内容である。
 今年9月には朝倉市で復興チャリティーコンサートを開く計画を進めている。全国の被災地をネットワークして、この歌を通して希望の花を咲かせてもらおうと歌う。


[麗珠 オフィシャルサイト]
http://rayju-official.tokyo/
[麗珠 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/rayju/profile/








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松浦ゆみ 、ライブでジャジーな歌謡曲「告白」を久々に披露 [インタビュー]

◆関西を中心に活動している歌手、松浦ゆみ(ウエブクウ)は、今年でデビュー22年目になるが、この間に「涙のラブ・バラード」「裏窓」など20曲をリリースしている。その数多くはラブソングである。2013年に出した「告白」(作詞・津田清治、作曲・奥村英夫)もその1曲で、女性の初心な恋心を歌っている。先ごろ大阪市内で行われたライブで久々に披露した。

松浦ゆみ 2.jpg
魅力たっぷりに「告白」を歌う松浦ゆみ


松浦ゆみ 「告白」.jpg 「告白」は、もう10年近く以前に発売された楽曲である。
 松浦の代表曲とされる「涙のラブ・バラード」(09年)や「裏窓」(07年)に隠れてしまいがちではあるが、「明るく陽気な彼女らしさを感じさせる可愛い歌」と、根強いファンも多い。

 この日のライブでも、そうしたファンのリクエストに応えて歌った。
 好きな男性から、君が好きだと告白された女性の心情を表す。
 ♪ 片想いだと思っていたのに うれしくてうれしくてうれしくて わたし泣き出した 〜 と、「うれしくて」を3度も重ねて歌は始まる。

「告白」(エイフォース・エンタテイメント)

 歌での告白の時間は、わずかに「3秒足らず」であったのであるが、想いが通じたことによるふるえるほどのうれしさと、その喜びを、松浦は体いっぱいに表現する。

 90年代、彼女は、バスガイドやOLの仕事の合間をぬって、ロックバンドのボーカルとしてオールディーズのアメリカンポップスを歌ってきた。歌唱力を買われて歌謡曲の世界に入ったのは2000年だった。

 「告白」はジャズ歌謡曲で、同じジャジーな「裏窓」「涙のラブ・バラード」以降の作品である。ラブソングで波に乗っている最中での発売であった。前の2曲が過ぎた恋を切なくふり返り、涙するのに対して、「告白」は正反対である。これから始まる恋への期待感をファルセットで魅力的に表している。


[松浦ゆみ ウェブクウ]
http://www.webkoo.co.jp/j-songs/ma/matsuura-yumi/






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黒川英二、2年半ぶりの新曲「一夜夢」リリースへ 3月3日発売 [インタビュー]

◆日本クラウンの歌手、黒川英二が2021年3月3日、2年半ぶりのニューシングル「一夜夢 / 命の限り」をリリースする。ギタリストで編曲を担当した斎藤功のギターが印象的。このところテレビドラマの出演がが多い黒川だが、久々の新曲に「足を運んでまずは聴いてもらい、曲を知ってもらうところから始めたい」と、デビュー18年のキャリアを感じさせない意欲をみせている。

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2年半ぶりに出す新曲に意欲をみせる黒川英二


 16枚目のシングルで初めての本格演歌。人生を振り返ってしみじみと歌うメイン曲の「一夜夢」は、「45歳の自分が歌うには、まだ若過ぎるのでは」と、新境地の作品にはやや緊張気味である。
 カップリングの「命の限り」とは、ほぼ同じ曲調 の連作のようで、「男の強さと優しさをじっくりと感じさせる楽曲です。男の哀愁が漂う哀しい歌ではありますが、男の応援歌でもある」と黒川。
 もう1曲の「陽だまりの女」と共に、3曲は作詞が伊藤美和、作曲は彼の師匠であるすがあきらである。

 2年半ぶりの新曲であるから、久しぶりに会った人からは「冗談半分にまだ歌手してたんや」なんて言葉も出てくる。それもそのはず、最近はすっかり俳優としての顔が定着している。
 NHKの大河ドラマ「功名が辻」で俳優デビューして15年のキャリアは、歌手としてのそれとほぼ並ぶ。

黒川英二・一夜夢.jpg

 デビュー3枚目のシングルとして出した「龍王岬」(2003年)では、カップリング曲に「しあわせ花(山内一豊物語)」を収録している。その3年後には、黒川自らが山内一豊の家臣役として出演したNHK大河ドラマ「功名が辻」が放送された。
 その後「水戸黄門」「木枯し紋次郎」などを経て、最近では北大路欣也主演のサスペンスドラマ「さすらい署長」シリーズや「佐武と市捕物控~冬夏の章」東山紀之主演の「大岡越前」などにレギュラー出演している。

 8年目に入った「大岡越前」では江戸・南町奉行所の同心、立花喬之助役が定着。しかし「監督をはじめプロデューサー、スタッフの皆さんに知ってもらうまでには10年かかりました」という。
 歌の世界同様に一朝一夕ではいかないようである。

黒川英二2.jpg
俳優としての存在感も大きい

 歌と俳優の2足の草鞋を履く黒川の夢は「歌とドラマの2つをリンクさせる」ことである。
 先日も歌の仕事で「あっ!喬之助や、テレビを見てますよ」と、ドラマの役名で声をかけられたという。歌を聴いてくれて、ドラマも見てくれる。両方がひとつになれば、宣伝効果抜群で、次はどんな歌?新しいドラマの役は?
 と言った具合に、人々は彼への関心ウィ次々と高めていく。そうした繋がりを求めてステージでは、必ずドラマの話題を投げかけている。

 新型コロナウイルスの影響でイベントやキャンペーンは満足に出来る状態にはないが、新曲は「とにかく皆さんに聴いてもらうことが大切。すでにラジオなどの仕事頂いていますが、出来るだけ色んなところへ足を運んで聴いてもらいます」と、意欲を燃やす。





[黒川英二 オフィシャルサイト]
https://ja-jp.facebook.com/kurokawaeiji.club/
[黒川英二 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/kurokawa/whats.html







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福島はじめ、今年デビュー25周年 デビューコンサートを振り返る [インタビュー]

◆日本クラウンの歌手、福島はじめが今年5月22日で、デビュー25年目を迎える。四半世紀を区切りにして、今までを振り返るとと共に、将来への飛躍を期した内容のデビュー25周年記念コンサートの開催を考えている。しかし新型コロナウイルスの影響で、先は見通せないなど、実施はまだ不透明だという。そうした中、福島にデビュー当時を振り返ってもらった。

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福島はじめのデビュー曲「女のかさね夢」


 福島は25年前、高田まさひろの芸名で歌手デビューした。それを記念したコンサートは、地元の福島県南相馬市のホールで開かれた。
 デビュー曲は「女のかさね夢」(日本クラウン)。作詞は師匠と呼ぶ清水峰湧。作曲は伊藤雪彦、編曲が京建輔であった。
 この日のゲストは、黄金の指を持つと言われた伝説のギタリスト木村好夫(1996年7月5日没)であった。福島は「新人の特別ゲストとしては全くの異例だった」と話す。

 コンサートに先立って師匠の清水は福島に「歌いたいものを書き出してみろ」と指示している。
 その時、まだ21歳だった福島は、木村の代表曲「おまえとふたり」を入れたという。すると清水は「木村好夫の歌を本人がいる前で歌うなんて、お前には10年早い!」と一喝され、渋々、別の楽曲に差し替えている。

 福島にとって初舞台であったデビュー記念コンサートでの衣装は、初々しくシンプルな紺のスーツで臨んだ。
 いざコンサートが始まってみると、「歌よりも最初の挨拶をしっかり話せるかが不安でした。師匠の挨拶に続いて僕が話す番でした。師匠が横で見ており、何を話したのかは全く覚えていません。それほどに、初舞台は最初から最後まで緊張の連続でした」と福島。

 地元という地の利もあって、450席ある会場は昼夜2回公演のどちらも立見が出るほどの満席であった。「素晴らしい第一歩を踏み出せましたが、このコンサートで経験したことは、今も大切にしています」

 コンサートの半年後、特別ゲストとして出演した木村好夫が亡くなった、という報せを福島は受け取った。
 これが福島の歌手生活のスタートの1年目であった。


[福島はじめ 北国終列車特設ページ]
https://fukushima-hajime.com/










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人生、何時でもやり直しが出来る 「ウヰスキー」「もう一度」 いま再び注目される2曲 [インタビュー]

◆新型コロナコロナウイルスが国内で蔓延するようになって約1年。大阪府では2度目の非常事態宣言が出され、人々の仕事や生活は大きく制約を受け、仕事を失うケースも少なくもない。耐えてきた人たちの中からも、今にも心が折れそう、といった声も聞かれる。そんな鬱屈とした中で勇気を与えてくれる歌が注目を集めている。


 ♪ 振り回されて きたけれど 〜 人生は やり直しが きくのよ 〜 いいこと あるって 思わなきゃ 〜
 ホリデージャパンの歌手、木下結子が2012年に日本クラウン移籍第1弾として出した「ウヰスキー」(作詞・高畠じゅん子、作曲・浜圭介)の一節である。

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「ウヰスキー」が自分を励まし続けるという木下結子

 木下は日本コロムビアから「放されて」でデビューし、その5年後に「ノラ」を出している。それは今なお、カラオケの人気曲として愛唱されている彼女の代表曲である。
 その後はヒット曲にも恵まれず、地元大阪に帰って8年間も新曲を出さずにいたが、そんな時に出したのが「ウヰスキー」なのである。

 木下にとってはまさに「人生のやり直し」であった。その後、日本クラウンから5枚のシングルを出すなど、再スタートを切るきっかけを掴んだ1枚であった。
 定期的に開くライブやディナーショーでも、「ウヰスキー」は必ず歌う曲として定着している。

 自らを励ます応援歌のように「人生はいつでもやり直しが効くとの思いで歌っています」といい、今なお多くの人に歌われ始めているなど、新たな代表曲にもなる気配である。


 「裏窓」(2007年)や「涙のラブバラード」(2010年)で知られる、関西を中心に活動する歌手、松浦ゆみ(ウェブクウ)。全国的には知名度は低いものの、その歌唱力の高さは高く評価され、多くのファンに支えられている。
 その彼女のデビュー曲「もう一度」(2000年)は、発売後20年が経つが、悲しみに打ちひしがれる人たちの応援歌として、依然として人気が高い。

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20年前のデビュー曲がたくさんの人に勇気を与えるという松浦ゆみ

 ♪ もう一度 もう一度 やってみましょう 大切なもの それは未来よ 失うものが多くても 〜 この詞は6代目桂文枝が、まだ桂三枝の時代に書いたものである。曲は奥村英夫が書いている。

 この楽曲は発売の 5年前、阪神淡路大震災で被災した人たちや、身近な人たちを亡くした人たちの心を支えることにもなった。今また、新型コロナウイルスの影響で倒産したり、解雇されたりして悲嘆にくれる人も少なくない中で、再起へ向けて立ち上がる人を勇気づける歌としても注目されているのである。


[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html
[松浦ゆみ ウェブクウ]
http://www.webkoo.co.jp/j-songs/ma/matsuura-yumi/








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三ツ屋亜美、「黄昏のカフェ」で昨夏デビュー 元陸上選手の頑張りで 、歌手を一生の仕事に [インタビュー]

◆大人のバラード曲「黄昏のカフェ」で去年7月に念願のメジャーデビューを果たした徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、三ツ屋亜美。ファッションモデルの山口小夜子や「DESIRE ー 情熱 ー」当時の中森明菜をイメージしたという、額に垂らした前髪を真っ直ぐに切りそろえた黒々としたロングヘアが印象的である。何物にも代えられない自分の想いを実現した彼女は今、歌手を一生の仕事にしていくと話す言葉は力強い。

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黄昏時の京都のカフェでの三ツ屋亜美


 身長164センチ。スラリと伸びた姿は、彼女を初めて見る人たちからは「まるでモデルのよう」といった声も聞かれるほどである。
 その恵まれた体を生かして、中学・高校時代は陸上部で100・400mハードル競技に打ち込み、全国高校総体や国体にも出場する活躍ぶりであった。

 高校卒業後の進路にはスポーツ選手という選択肢もあったが、芸能界の道を選んだ。グラビアモデルをしたりVシネマにも出演した。「プロレスのリングで水着姿になってバレリーナのようなY字バランスをやって見せたこともある」と三ツ屋。
 子どもの頃からピアノを弾いていたこともあり、音楽には興味を持っていた。「歌が好きだった祖母や母の影響もあった」(三ツ屋)のであろう、自然と歌が頭の中で存在感を強めていった。

 長崎県大村市で歯科医をしていた音綾(ペンネーム)との出会いが、それを決定付けた。心臓病を患い余命幾ばくもなかった音綾が三ツ屋に託したのが、かつて暮らしたことがある京都での妻との思い出を書いた「愛 火のように京都」であった。
 「これを足がかりに、いつかメジャーレーベルからCDを出しなさい」
 この音綾の一言を胸に秘めて彼女は、作品をインディーズレーベルでCD収録して、愛海の芸名で、安倍理津子の前歌を務めながら歌ってきた。

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今年はライブもしたいと意欲を見せる

 新型コロナ騒動真っ只中の2020年7月29日、徳間ジャパンコミュニケーションズから「黄昏のカフェ」(作詞・円香乃、作曲・大谷明裕、編曲・竹内弘一)を出して、その夢を実現することになる。すでに7年の歳月が経っていた。しかし音綾は、3年前にすでに亡くなっており、晴れ姿を見せることはかなわなかったのである。

 「精一杯、頑張って歌っていきます」
 三ツ屋は音綾に話しかけるように、行く先々で語っている。

 偶然に入った黄昏時のカフェで久しぶりに会った、かつて一緒に暮らしていた彼は、ブラックコーヒーと読みかけの本といった昔と同じ姿であった。そんなシーンから「黄昏のカフェ」は始まる。
 ほんの少しの間、会話を交わしている間に幸せだった頃のことを思い出してしまう。カフェでの束の間の出来事を歌った、悲しいラブソングである。

 彼女は今、東京・神保町の古書街にあるカフェなど、仕事で出かけた先々でカフェを訪ね歩いている。そこでコーヒーを飲みながら、静かな時間を過ごすのである。ただし、それだけでは済ませないのが三ツ屋流。動画で店の紹介し、それを編集してYouTube「みつあみチャンネル」で配信し続けている。

 こうしたカフェめぐりは、三ツ屋亜美の名前と顔、それに「黄昏のカフェ」の曲を知ってもらい、覚えてもらうためのもの。新人ならではの地道な活動はまだまだ続くが、今年春には東京か神奈川でライブを開きたい、と計画を練っている。





[三ツ屋亜美 オフィシャルサイト]
https://www.facebook.com/people/Ami-Mitsuya/100008549222707
[三ツ屋亜美 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_profile/Mitsuya-Ami.html








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木本勝治(ホリデージャパン) 情熱見せる3枚目のシングル「海の命花」  青森キャンペーンへ意欲 [インタビュー]

◆新型コロナで消えてしまったような2020年であったが、暮れも押し詰まった頃、3枚目のCD「海の命花」をホリデージャパンから出した木本勝治が、地元東大阪市内の神社で自身初のヒット祈願を行って、歌への強い情熱を見せた。新曲はマグロ漁に命をかける男の意気込みを自ら詞にした。作曲は同じレコード会社の宮路オサムが手がけた。

木本勝治.jpg
海をテーマにした新曲に意欲を見せる木本勝治


 歌と事業は掛け持ち出来ない、と経営していた会社を2013(平成25)年に長男に譲り、大好きな歌の世界に入ったのは8年前。71歳の時であった。
 デビュー曲は「ひとりよがり」(日本クラウン、2013年)であった。16年には「宝の海へ」をホリデージャパンから出している。今回初めて、東大阪市内の長田神社で、発売日の12月23日にヒット祈願を行った。近所のファンなど20人ほどが集まってくれたという。

 木本は「情熱」という言葉を座右の銘とするが、「今作では全国各地のカラオケ喫茶店を訪ねて、頑張ってCDをたくさん売っていきたい」と、今まで見せなかったような強い情熱を見せる。ヒット祈願は、それの意思表示でもあった。

木本勝治・海の命花.jpg 新曲はマグロ漁に夢を託す男たちの生き様を歌う。徳島県南部の美波町で生まれた木本の父もまた、マグロ追い求める漁師であった。彼も船乗りになるため、大阪の専門学校で無線通信士の資格を取る勉強をしていた。
 そんな時、台風による時化で兄や叔父が乗った船が三陸沖で沈没、22人が亡くなるという事故が、進路を変えた。

 時代は家電ブームでもあった。勤めを電器店に求めた木本は、ラジオやテレビなど電気製品の修理をする。そこで8年間勤めて、31歳で独立して、現在の高周波金属熱処理の会社を立ち上げることになる。1973(昭和48)年であった。
 この頃よく歌っていたのが沢田研二の「ヤマトより愛をこめて」(1978年)であった。

 堀内孝雄、谷村新司などの歌にも影響を受けていた木本のデビュー曲「ひとりよがり」は、アップテンポな歌謡曲であった。
 「元々は演歌は嫌いやったんです。デビュー曲を発売してからキャンペーンに歩くと、歳なんぼや演歌を歌え、と言われたんですわ」

 2作目の「宝の海へ」からは演歌に変更した。しかも自ら作詞を手がけ、かつて憧れた海をテーマに書いている。新曲「海の命花」では、自分の人生を変えることにもなった海難事故の経験から、♪ 妻子(つまこ)の祈り 無事に 無事に 無事に帰れよ 〜 と、航海の安全を祈るなど、心は今も海の男のようである。

 「今までは大阪だけのキャンペーンだったんですが、今作では東北、とりわけマグロ漁の基地でもある青森県・大間へは行ってみたい」
 新曲にかける想いは今まで以上に強い。





[木本勝治 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kimoto_katsuji.html








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一条貫太 、「いのちの花」 骨太な大人になったデビュー第4弾 [インタビュー]

◆威勢のいい歌声がセールスポイントだった、平成生まれの昭和なボイスの一条貫太(日本クラウン)。今までの3作のそんなイメージを少しばかり変えて、彼自身が「押し引きのしっかりとした歌」というのが、2020年11月4日に出した「いのちの花」(作詞・万城たかし、作曲・叶弦大)である。流れるような曲調でありながら、より骨太の大人になった一条貫太を感じさせている。

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一条貫太


 スーツにネクタイ姿。デビュー以来のジーンズにジャンパーといった衣装から、グッと大人っぽくなった一条貫太が歌う「いのち花」は、硬派な本格演歌である。発売直後の11月16日付けのオリコン演歌・歌謡曲チャートでは、デビュー3年目にして自身初の1位にランキングされている。
 発売前にCDショップを会場に、インターネットで行った予約会でもファンの反応は良く、1位でスタートしたことにも「今まで応援していて良かった」といった声援も聞かれたほどである。

一条貫太・いのちの花.jpg 新型コロナウイルスの感染拡大の影響を受けて、新曲キャンペーンも出来ずに、生歌を歌うこともままならない。
 そうした中であるが「第一興商の通信カラオケでもランキング入りするなど、皆さんにカラオケでも楽しんでもらっており、嬉しく思っています」と一条。

 カップリング曲の「大原はだか祭り」(作詞・万城たかし、作曲・叶弦大)は、房総半島の東、千葉県いすみ市で毎年9月23日、24日に行われる大原はだか祭りをモチーフに ♪ そらやー そらやー と掛け声とともに歌っている。
 裸の男性が神輿を担いで海に入っていき、喧嘩祭りとも呼ばれ少々乱暴な千葉を代表する祭りである。

 「祖父がいすみ市の出身でもあり、毎年のように見物に行っていました。町が一体となった賑やかな祭りです。それに相応しく、テクニックよりは威勢良く歌っています」

■今年もインターネットで

 年が改まっても相変わらず新型コロナウイルスの影響は影を潜めないないが、今年は「インターネットを使った活動を展開するなど、新しいファンを増やすとともに、テレビにも出られるように実績を残して行きたい」とする。
 1月14日から24日までは、去年に引き続いて東京・明治座での「新春 五木先生の歌う!SHOW学校 舞台版」に出演(予定)する。去年は会期中5日間の出演から、全日程のフル出演になった。

 大舞台にに向けて一条は「台本がなく、五木先生(五木ひろし)が出題する歌をうたうのですが、知らない歌だと替え歌をふざけます。あくまでも先生に失礼のないようにですがー」と、話している。





[一条貫太 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/ichijyoKanta/top.html
[一条貫太 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/ichijo/whats.html








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浅田あつこ、「米原の雪」  熱い想いの女性を歌う  予定していた40代最後のバースデーライブは延期 [インタビュー]

◆徳間ジャパンコミュニケーションズの歌手、浅田あつこの今作の「米原の雪」は、前々作「いさりび鉄道」から続いて鉄道演歌である。哀しさあふれる物語でも心躍るものであっても、昔から鉄道が登場する楽曲は多くの人を惹きつける力を持っている。「米原の雪」もまた、そうである。冷たい雪の簾をかき分けてでも、逢いに行くという熱い想いの女性を歌っている。恒例の年末のディナーショーは中止にしたが、2021年1月23日には、40代最後のバースデーライブを大阪市北区のホテルモントレで開き、もちろん「米原の雪」も披露する。【注:バースデーライブは開催延期になっています】

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浅田あつこ


 滋賀県米原市。石川県金沢市までを結ぶJR北陸本線の起点である。雪の多いことでも知られている。今までに演歌・歌謡曲の舞台になったことは、恐らくなかったであろう。浅田本人も「エッ〜 !」と驚いたほどである。しかも歌詞には、これもまたおよそ歌の舞台とは無縁と思われる愛知県三河安城市の名前も出てくる。極めてローカル色いっぱいなのである。

浅田あつこ・米原の雪.jpg 「今までになかったのは確かですが、でも逆にいいかなぁ、と思えてきたんです。それに早く逢いたいという、急かれる気持ちがよく現れた、いい作品なので、来年もしばらく歌い続けます」

 「米原の雪」は20年4月に発売された。「3月以降の仕事はほとんどなかった」という状態なので、これのキャンペーンも満足にできていない。イベントも延期か中止が相次いだ。
 そんな中で始めたのが、1回10人限定で、食事をしながらカラオケを楽しむ「あんちDEデート」であった。月2回程度続けている。貴重な新曲「米原の雪」をアピールする場となっている。


■SNSで配信する浅田食堂

 コロナで仕事が減る中、新たに始めたものの中に、インターネットを利用した配信がある。コンテンツは手作り料理の数々を紹介するもの。YouTubeで動画配信するのが、家にある食材を使ってパパッと出来る簡単なメニューの「浅田食堂」。今までに23品をアップしているという。
 一方、Instagramで写真中心にをアップしているのが、晩ごはんメニューである。

浅田あつこ.jpg
手料理をネット配信する「浅田食堂」も好評

 「料理は大好き」という彼女、とにかく炭水化物が好きというご飯党である。中でも朝食の卵かけご飯には目がない。
 よく立ち寄る道の駅では、食材を買うことが多い。先日は卵を買ってきて、早速、卵かけご飯を味わったという。

■1月からラジオ新番組

 浅田あつこがパーソナリティを務めるラジオの新番組「金曜19時の生歌(なまうた)」が、ラジオ大阪で2020年1月8日からスタートする。
 毎週金曜日午後7時から1時間の生番組で、毎回、ゲスト歌手を招いて生歌を聴かせる。

 彼女は歌手デビューする前からラジオ番組に出演していた。3年続けた、同じラジオ大阪での10分番組が最初であったという。
 ところがこの頃の浅田は、思うよに話すことが出来なかったという。
 「デビューしてしばらくはステージでもしゃべられへんかった」
 と、今の浅田からは想像も付かない姿であった。彼女も「今の自分からは信じられない日々でした」と、振り返っている。

 車での移動ではラジオを聴いて、話し方の勉強をしたといい、「この番組が縁でこの後、色んな番組から声がかかるようになった」と浅田。

 こうした努力家の彼女は、歌手になってからもその姿勢は変わりない。
 浅田の楽曲は「難しい」と、しばしばファンから言われるが、「難しくても簡単でも、与えられた作品を演じる者として、感情移入して自分のものにするようにして歌っています」と話す。
 これが歌の面白味だという。





[浅田あつこ オフィシャルサイト]
http://www.anchi.tv/top.html
[浅田あつこ 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/asada.html








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秋岡秀治(日本クラウン) 「命 道づれ」 燃え上がる恋の情熱を歌う秋岡演歌 [インタビュー]

◆新曲CDの真っ赤なジャケットが、日本クラウンの歌手、秋岡秀治の強い意気込みを表している。2020年12月2日に出した「命 道づれ」(作詞・麻こよみ、作曲・岡千秋)は、燃え上がるような恋の情熱を表して深紅。衣装も20年来の付き合いという和服卸会社を通じて同じ色の着物を取り寄せた。新型コロナ騒動の中、新曲キャンペーンも思うに任せないが、心のうちはジャケット・衣装と同じ、真っ赤に燃える。

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秋岡秀治


 秋岡はメイン曲、カップリング曲合わせて100曲近くを出しているという。その中でタイトルに「命」の文字が付くのは、この「命 道づれ」が初めてだという。
 この「命」という文字から真っ先にひらめいたのが、真赤な躍動感であったという。それを秋岡らしい力強い節回しの恋歌の中に詰め込んだ。

秋岡秀治・命道づれ.jpg それであるからこそ「命 道づれ」は、前作同様にファンの多くをうなづかせる。そのイメージをCDジャケットと衣装の着物の色に表したのである。深紅の色は燃える恋の熱い想いでなのであるが、現代の世相を表すものでもあるようだ。
 「今までは気づかなかったけれど、ふと周りを見ると、身近なところに大切な人がいたりします。震災や風水害、そして今の新型コロナなどには婚姻届けが増えているといいます。人は非常時には人との絆を求めるようになります」

 カップリング曲「雪寺」(作詞・原文彦、作曲・岡千秋)は、メイン曲の「命 道づれ」とは180度違う、男の気持ちに気づく女性の内面を描いた作品。秋岡自身に歌の幅を持たせて、ファン層を広げることに繋がっている。

 前作の「男の名刺」は去年12月に出した。今年になって、1、2月にキャンペーンをやったが、3月に新型コロナウイルスの影響で中断してしまった。2月には<男の名刺>と曲名の入った名刺も出来上がってきた。スタンプカードになったこの名刺に、CD購入やキャンペーン・イベントへの来場のたびに、スタンプを1個押し、10個貯めた人には歌唱レッスンCDをプレゼントする企画もスタートしていた。
 ところがこれも中断している。

 「このままでは一連の騒動はいつ収まるか分からない。それならば、と新曲『命 道づれ』を出す決断をしました」と秋岡。

 12月2日に発売したが、地元大阪では恒例の店頭イベントも中止であった。しかしテレビ・ラジオの番組出演は行い、新曲をアピールできて。
 九州は今年3月以降、4度も出向いている。東京から福岡まで自分で車を運転して、約17時間をかけての移動であった。その甲斐あって、新曲は「思ってた以上に良い楽曲で、感動しました。歌いたい」などと、好反響を得ている。

 今は秋岡のみならず、多くの歌手にとって逆風が吹く社会情勢であるが、彼は「生で歌い、声を聴いてもらい、姿を見てもらうと、直に感動を味わってもらえるはず」と、その思いはジャケット写真と同じく赤く燃やす。





[秋岡秀治 オフィシャルサイト]
https://akioka.exblog.jp/
[秋岡秀治 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/akioka/whats.html








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塩乃華織(日本クラウン) 今年も出演 「ももいろ歌合戦] 4回連続 [インタビュー]

◆日本クラウンの歌手、塩乃華織が大晦日の12月31日、東京都内のホテルで無観客で行われる「第4回ももいろ歌合戦~ニッポンの底力~」に出演する。出演は4回連続。塩乃は「普段よりも楽しいパフォーマンスを見てもらいたい」と意気込んでいる。

塩乃華織 2.jpg
塩乃華織


新曲「七尾線」は相変わらず好評である。それだけに本番ではこれを歌いたいところだが「まだ歌唱曲は決まっていない」という。どんな選曲になろうとも、「緊張感を味わいながら歌いたい」とする。

4年前に彼女が初出演したのには、ちょっとしたエピソードがある。
今から4年前になる。塩乃は静岡・伊東市にあるホテル、サンハトヤで1ヶ月公演を行っていた。観客の中に、ももいろクローバーZのプロデューサーが、彼女のステージを見ていたのである。

「CDも買って頂き、後日、初めて行う『ももいろ歌合戦』への出演依頼の電話があって、そこからの縁が今も続いています」

どこで誰が見ているか分からない。どんなステージでも疎かに出来ない証のような話であった。去年はオリジナル1曲と「赤いスイトピー」などアイドルメドレーを歌っている。

ももいろ歌合戦への出演は、新しい若いファン層の拡大にもつながっているようである。
今年は「パネルクイズアタック25」(テレビ朝日系)にも出演しているが、それを見た1人が「ももいろーの常連が出演している」とSNSに書き込んで、拡散してくれたというのである。

[新月]?「七尾線」にもさらに意欲

塩乃華織・七尾線.jpg 全国への露出が増える一方で、塩乃は地道なキャンペーンなどの活動にも力を入れている。
その背景には「好評な『七尾線』をこのままで終わらせるのは悔しくて」という彼女の強い想いがある。
「七尾線」は、発売してすぐに演歌・歌謡曲チャートでも上位にランキングされるなど、今までにない売れ行きを見せていた。

ところが降って沸いたような新型コロナ騒動である。あらゆるイベントやキャンペンはことごとく中止になり、身動きが取れない状態に陥ったからである。

このままではせっかくの作品が死んでしまう。
彼女にはそんな危惧を抱いていた。
「10月頃から少しずつキャンペーンかを受け入れてもらえるようになり、積極的に動き始めました」
12月にはワンマンライブも実施した。これは「会場側に万全の感染防止態勢で行うから」と、背中を押してもらって踏み切っている。

「イベントがあると思うと、自分の意識か高まるんです。皆さんに逢えるという楽しみもありますね」

こうした意識の高まりが原動力となって、ファンの塩乃への熱い想いをさらに高めていこうとしている。

第4回 ももいろ歌合戦~ニッポンの底力~」
12月31日午後6時から7時間にわたってABEMA SPECIAL2チャンネルで生配信されるほか、BS日テレとニッポン放送でも放送される。


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朝花美穂(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 台詞が入った「特別盤 演歌魂」 ファン待望の1曲 カバー曲「他人船」も収録 [インタビュー]

◆21歳ながら大衆演劇が大好きという徳間ジャパンの歌手、朝花美穂が、2020年3月にデビュー第3弾シングルとして出した「演歌魂」に、得意の台詞を入れた「特別盤 演歌魂」を10月に発売している。今作ではカップリング曲を、オリジナル新曲の「流し春秋」に入れ替え、さらに新録音のカバー曲「他人船」を収録するなど、朝花演歌の魅力をたっぷりと収めている。

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台詞入りの「特別盤 演歌魂」で本領を発揮する朝花美穂


 子供の頃から見てきた大衆演劇が、朝花が歌う演歌に大きな影響を与えている。それを如実に感じさせるのが、台詞入り演歌である。デビュー前後から彼女の歌を聴いてきたファンたちにとっては尚のことで、その魅力を是非ともCDに、といった願いはずっとあった。

朝花美穂・演歌魂台詞入り.jpg それがようやくこの「演歌魂 台詞入り特別盤」で実現した。
 「今まで3作は台詞がなかったんです。ファンの皆さんからは、力強くなる台詞入りの歌が欲しい、といった声も寄せられていました」
 というから、念願かなって聴く人たちを笑顔にし、元気にしてくれる、そんな楽曲になったようである。
 それだけに朝花も「歌にさらに力が入ります」と、笑顔をみせる。

 今作の台詞入り「演歌魂」には、「他人船」をカバー収録した。今までにも多くの歌手がカバーしてきた、三船和子が歌ったヒット曲である。
 「21歳の私が歌うのは早いのではないかと思いますが、好きな歌でありこれまでにも良く歌っていました。黒髪、指、ホクロまで全身で愛している、といったところには自然と力が入ります」
 三船のオリジナル曲から漂う哀しく、切ない雰囲気を大切に生かした歌を目指しているという。

 歌謡界では今、新型コロナウイルスの影響で、歌手も歌うことさえままならない状態が長く続いている。こうした中で朝花は「早く元に戻って、歌を皆さんに届けたい」と話していた。





[朝花美穂 オフィシャルサイト]
https://asakamiho.jp/
[朝花美穂 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/asaka.html








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おおい大輔、「あゝ染みるぜ」 郷愁を誘う 55歳の自分にぴったりな楽曲 [インタビュー]

◆自分に染みるように歌っていますー。2020年10月にニューシングル「あゝ染みるぜ」(作詞・池田充男、作曲・徳久広司)を出したテイチクエンタテインメントの歌手、おおい大輔が歌の1番の歌いどころである、ラストの染みるぜ・・のリフレイン部分をこのように説明する。

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王道演歌と80年代歌謡曲を歌う


 ギターで歌うデモを聴いたおおい大輔は、「これはすごい演歌だ。僕に歌いこなせるのかーと不安になった」という。ところがいざ、歌ってみると「55歳の自分に、これほどの旬な楽曲はない。以前の僕ではこうは感じなかったでしょう」と、作品へのイメージを180度変えていた。

おおい大輔・あゝ沁みるぜ.jpg これを作曲したのは徳久広司である。おおいは、天童よしみのスタッフを14年間務めて、1999年に「風にまかせて」でデビューしている。「あゝ染みるぜ」で14作目になる。
 これらの作品群の中で、最も多く作曲を手掛けてきたのは徳久であり、特に今回、徳久は「今までで最高のものが出来たよ」とおおいに告げたほどである。

 作詞家の池田充男は、石原裕次郎の「二人の世界」や大月みやこの「白い海峡」鶴岡雅義と東京ロマンチカの「小樽のひとよ」など、数々の名曲で知られている。おおいも「歌っていて、歌のドラマの場面が浮かんでくる詞なんです」といい、今作では特に3番で居酒屋の情景が映像を見ているかのようだという。だから「歌が覚えやすいんですよ」とも。

 ジャケットやポスターなどのタイトル文字は21歳になる、おおいの息子が書いた。白地のジャケットに黒いタイトル文字、「斬新でしょ」と相好を崩す。

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カップリングは自ら作曲

 ところで、染みるぜーと聞いて、2019年10月に亡くなった歌手坂井一郎さん(享年57)のメジャーデビュー曲であった「しみるね-」(2006年、徳間ジャパンコミュニケーションズ)を思い出してしまった。

 おおいと坂井はバイク仲間だった。
 おおいが愛用している米国製のオートバイ、ハーレーダビットソンがきっかけで、坂井とはツーリングを共にするようになったという。「彼は癌を患ったのを境に、死ぬまでは好きな事をすると、バイクにはまり込んでいたようです」と、おおい。

 カップリング曲「おーい!しあわせよ」は、おおいが初めて作曲した作品である。作詞はタブレット純。彼とは5年前にテイチクのイベントで出会ったのがきっかけであった。
 その頃、タブレットはすでに詞を書いて「出来上がった詞があるが、誰かに曲を付けて欲しい」と紹介を依頼されている。今作はおおいが先に作曲して、タブレットが詞をつけた。
 「4、50代の人たちに歌ってもらえたらいいかな」
 演歌の「あゝ染みるぜ」同様に、郷愁を誘う楽曲であるが、こちらは80年代の歌謡曲に仕上がっているという。





[おおい大輔 オフィシャルサイト]
http://www.daisuke-ohi.com/
[おおい大輔 テイチクエンタテインメント]
http://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/ohi/








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北沢麻衣(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 「あの人の好きなうた」の好調な要因は? [インタビュー]

◆歌手北沢麻衣が今までにない活発な動きを見せている。その契機となったのが、2020年1月に出した「あの人の好きなうた」(作詞・朝比奈京仔、作曲・杉本眞人)であった。発売後10ヶ月経った今、再びオリコンチャート80以内にランクインするなど、確実に実績となって現れている。その要因はどこにあるのか。

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新曲が好調な北沢麻衣

 「どちらかと言うと、今までは私自身、消極的だったのですが、今までに関係を作ってきたり、SNSで応援してもらってきたカラオケ喫茶店などへ積極的に電話して、キャンペーンのお願いをし、ファン作りを進めました」
 その甲斐あって各地でファンが増え、先ごろ奈良市内で行ったライブでは「麻衣ちゃんを一目見たい、生歌を聴きたい」といった人たちが、関西はもとより中四国や関東からもやって来ている。

 もともと人見知りする性格だけに、歌うのは好きでもファンを増やすことは苦手としていた。ところが「あの人の好きなうた」を発売してすぐに新型コロナ騒動。これが逆に今までの性格を変えることになった。それが後押しして「コロナ前よりは逆に仕事が増えることになりました」と北沢。

 ところで北沢が歌う作品は「 どれも素晴らしいものですが、中でも今作は際立った楽曲だと思っています。その作品力が大きく、助けてくれています」と、今作がヒットに結びつくことに強い自信を見せている。

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積極的にファンとの触れ合いを強める

 彼女が今まで歌ってきた楽曲の大半は、デビュー曲の「私の胸をかじる人」以来、杉本眞人が書いてきた。それらすべてが北沢のオーダーメイドであり、それだけに彼女の独特の世界を描かれたものばかりである。

 北沢はそうし世界を「とにかく明るく楽しく歌って演じていきます」と、今の勢いをさらに盛り上げていこうと笑顔で応えていた。


[北沢麻衣 オフィシャルサイト]
http://uta-utai.com
[北沢麻衣 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/kitazawa-mai.html








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千葉一夫(キングレコード) 鈍行列車で40年の歌手人生  記念曲第2弾「かすみ草」 [インタビュー]

◆特急でも快速でもなく、鈍行列車でここまでやってきたー。デビュー40周年のキングレコードの歌手、千葉一夫が今までの歩みを振り返って話した。高校卒業後は国鉄(現・JR)で鉄道員。歌が大好きで歌うポッポ屋と呼ばれていたほど。25歳で上京して、作曲家弦哲也の1番弟子に。念願の歌手デビューは1980(昭和55)年、キングレコードから出した「君に逢いたい」からであった。2020年1月には40周年記念曲第2弾「かすみ草」を出しているが、来春には新曲の話もある。

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ゆっくくりと一歩一歩を歩んできた千葉一夫


 「かすみ草」は、歌に登場する激しく可憐な女性を、決して目立たず、そっと寄り添うように支えてくれる、小さな花のかすみ草と重ねて千葉一夫は唄う。
 これを「心の青春歌」という彼は、♪ かすみ草 かすみ草 〜 と優しく歌うことで、そのイメージをぐっと膨らませることが出来るという。

千葉一夫・かすみ草.jpg 鈍行列車で走ってきた千葉と、どこか共通する花のようでもある。デビューした昭和55年には、同期デビューの松田聖子、近藤真彦といった人気若手歌手が華々しくマスコミを賑わせていた。その影に隠れるように地味なスタートであった。
 ゆっくりとゆっくりと、誠実に歩んできたからこそ「出会えた人たちもいる」と、2011年に出した、永年共に生きる夫婦の絆を歌った「絆酒」を大切に唄い続けるのも彼らしい一面である。


 歌手になるために故郷の千葉県銚子市から上京して、もう45年になる。その銚子市のふるさと大使を務めているが、この町には赤字経営で知られたローカル鉄道会社、銚子電鉄がある。電鉄収入よりもそれ以外の売り上げの方が多いともいわれるほどである。
 でも元鉄道員の千葉にとっては、愛おしい存在であり、キャンペーン先では忘れずにアピールして、ふるさと大使ぶりを発揮している。

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人生の応援歌を歌い続ける

 一連のコロナ騒動によって、40周年記念関連のイベントはもちろん、新曲のキャンペーンも満足に出来ずに、千葉一夫の今年も終わろうとしている。
 先日、神戸市内で行われたKOBE流行歌ライブに出演した彼は、ラストソングに前作で40周年記念曲第1弾の「この世にひとつ愛の花」(2019年)のカップリング曲「明日に一歩また一歩」を選んだ。

 「生きる勇気が湧いてくる人生の応援歌です」
 地震や風水害、そして新型コロナウイルスと世の中を暗くする話題を吹き飛ばし、自らの歌手人生をも力付ける歌なのである。


[千葉一夫 オフィシャルサイト]
http://www.a8k.jp/chiba_fc/








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北川裕二(キングレコード) 好調「大阪なさけ川」 好きゃねん大衆演歌 ファンの笑顔から元気もらう [インタビュー]

北川裕二.jpg◆歌手は歌って拍手をもらってこそ、その存在価値があるーと、話すキングレコードの歌手、北川裕二。コロナ禍でキャンペーンも出来ずに「今まで辛い想いをしてきた」という彼が唄う大衆演歌が、本拠地の大阪に戻ってきた。2020年10月には神戸市内でKOBE流行歌ライブに出演し、11月には大阪府内でCDショップなどでの新曲「大阪なさけ川」(作詞・かず翼、作曲・弦哲也)の歌唱キャンペーンを行った。体調も良く、「目一杯に頑張って、ヒットに結びつけたい」と話していた。12月には大阪市内でテレビ収録にも出演する。









北川裕二・大阪なさけ川.jpg もう1度、大阪を舞台にした大衆演歌を唄って、演歌を盛り上げてー。
 こんな声に押されるかのように、北川裕二は2020年9月9日に大衆演歌「大阪なさけ川」を出した。
 唄い出しが ♪ 橋の上から溜め息つけば 〜 と暗い詞で始まる。でも北川は「明るくニコニコして唄います」と、まるで鬱屈した今の世情を吹き飛ばすかのように笑顔を見せる。

 「体臭(大衆)は臭く、唄うのがいい」
 大好きな駄洒落で観客を笑わせる。
 「最初の3行は抑え気味に。少し甘ったれた感じで唄うといいですね」
 キャンペーンでは、こんな会話を挟みながら進めていく。

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CDショップでの歌唱キャンペーン

 4年前には「泣いて大阪」(2016年4月)を出し、これが起爆剤となって、北川裕二の演歌は多くの人たちから支持されるようになった。そして今の基盤になっているという。
 この時、北川は大阪市内にウイークリーマンションを借り、半月間に渡って、大阪をはじめ関西各地でキャンペーンをして歩いている。

 「これによってお客さんに親しみやすくなった。大阪弁は優しさと温かさがある。大阪の人たちは唄っていると、一緒に唄ってくれるなど反応が良くて、気持ちがいい」

 そんな彼が大衆演歌と呼ぶ歌を唄い始めたのは、デビュー30周年の2013年に出した「女のみれん」からであった。キングレコードのディレクター、中田信也さんの提案であった。弦哲也が曲を書いた。
 正直、それまでは、作曲家弦哲也の2番弟子(1番は千葉一夫)としてデビューしながら、泣かず飛ばずと言っても良いくらい、売れない時代が続いていた。
 ところが、気持ちいいほどにこぶしを回して唄う大衆演歌は、演歌ファンを惹きつけた。取り分け大阪での人気は急上昇した。

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KOBE流行歌ライブで「大阪なさけ川」を歌う

 その新曲である「大阪なさけ川」は当初、6月の発売予定であった。曲が仕上がった3月には体調を崩して入院をしていた。退院して直ぐに覚えて唄ったが、新型コロナウイルスの影響で、全てが延期になった。
 ようやく9月に発売となると、ファンは待っていたかのように飛びついた。売れ行きの指標ともなるオリコンのチャートでは、今まで最高位だった3位を上回る、初登場2位にランキングされた。


 大衆演歌が戻ってきた。体調も元に戻り、北川は「お客の笑顔から元気をもらっている。唄えることがうれしい」と、笑顔を見せていた。





[北川裕二 オフィシャルサイト]
http://www.kitagawa-yuji.com/
[北川裕二 キングレコード]
https://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=10436








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知里(日本クラウン) 4年前の「虹のかなたに」が今、話題に 銚子電鉄製作の映画のエンディングテーマソングに採用 [インタビュー]

◆日本クラウンの歌手、知里が4年前に出した「虹のかなたに」(作詞・小山田里奈、作曲・小田純平、2016年)が、2020年8月から全国で公開されている映画「電車を止めるな! 呪いの6.4km 」のエンディングテーマソングに採用されたのをきっかけに、再び話題なっている。

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4年前の「虹のかなたに」が再注目された知里


 映画は、赤字経営が続いている銚子電鉄(千葉県銚子市)が、台風で被害を受けた送電所の修理費を捻出するために始めたクラウドファンディングがきっかけであった。集めた資金を活用して映画を製作することで、その収益を修理に充てようと、2段階の計画が進められた。
 集まった金額は約500万円。もちろん映画の製作費用には到底足らない。そこで電鉄会社の竹本勝紀社長が、個人で追加資金を提供したという。

電車を止めるな!.jpg

 原作は同名の小説(PHP文芸文庫)で、神社の祠の石を動かしたことで悪霊が蘇ってしまった。それを元に戻すといったホラー作品。
 8月末に千葉・稲毛海岸のカーシアターで行われた、映画の完成上映イベントには、知里も参加して、エンディングソングとなった「虹のかなたに」を披露している。この時に映画を見た知里は「超C級作品です(笑)が、楽しんで見ることができます」と、感想を話していた。

 銚子電鉄と言えば、1日の鉄道の売り上げが「4、5千円という日もある」という弱小電鉄会社。年間売上のうち鉄道以外が8割を占めるといわれ、その代表商品として「ぬれ煎餅」やスナック菓子「まずい棒」などが知られている。最近では倒産防止をもじって「おとうさんのぼうし」という菓子も売り出しているという。今回の映画も本業の電鉄事業を支援するためのものでもある。

知里・虹のかなたに.jpg 知里「虹のかなたに」は、熊本地震があった年にリリースされている。壮大なスケールな歌で、明日を信じて前を向いて生きていこう、という、被災した人たちをも励ますメッセージ性ある爽やかな楽曲であった。
 ところが「全然売れなかった」と彼女。それが映画をきっかけに、一気に注目されるようになった。

 これには本人はもちろん、日本クラウンも寝耳に水だったという。
 しかも4年前の作品だけに、すでにCDの売れ行きも止まっていた。が、問い合わせが日々、増えてきたこともあって、メーカーでは急きょ増販体制を敷いたし、ネット販売のアマゾンでは品切れするほどの人気であるという。

 「虹のかなたに」は、混沌とした今の社会にあって、諦めずに頑張ろうと励ましてくれる、まさにこの時代にピッタリな1曲で、それが多くの人の心を打つのであろう。

 知里も、この好機を逃さずに今後は「駅にCDを置いてもらって、映画と一緒に盛り上げてもらえるとうれしいです」と、楽曲のアピールに力を入れる。





[知里 オフィシャルサイト]
https://office-kaneko.co.jp/
[知里 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/chisato/whats.html








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モングン(日本クラウン) デビュー15周年記念曲「昔のひと」 記念コンサートは来年に [インタビュー]

モングン.jpg◆日本クラウンの歌手、モングンがデビュー15周年を迎えている。それを記念する1曲が、ロマンをテーマにした「昔のひと」(作師・朝比奈京仔、作曲・徳久広司)。辛い過去の恋の相手と再会した女性の心のうちを描いた作品である。今までの楽曲の力強い男らしい楽曲からイメージを一新させており、何と今作は悲劇的なロマンに満ちた内容なのである。それが好調な売れ行きにつなげているのである。











 「振り返ると、あっという間の15年でした。この間にやってきた事の上に、自分が作られていることを感じている。全国のファンの人たちと良い巡り合いが出来るたびに、モングンの名前が成長していきました」
 と、ファン1人ひとりの応援に真摯に頭を下げる。

モングン・昔のひと.jpg 2006(平成18)年に「じょんがら夫婦節」で、徳間ジャパンから日本デビューしている。2011年には日本クラウンに移籍して、第1弾シングル「生きてる限り」を出し、「昔のひと」で9作目になる。
 韓国出身の彼は来日前には韓国民謡や演歌を歌っていた。今作のような歌謡バラードは、今まで苦手にしていたという。

 ところが、作曲家の徳久広司から「沢山のものを持つより、良いところをひとつ出した方が売れる。バラードは心模様を表現するもので、それにはエネルギーがいるが、どれだけ息を引き、吐くかでそれは変わる。泣かずに淡々と歌いなさい」とアドバイスを受けて、今では「バラードは自分の新たな一面だと発見しました。歌謡バラードは気持ちがいい」というまでになっている。

 コロナ禍の中でのレコーディングは、約1時間で終わった。
 それまでレッスンも出来なかったという。そんな状態を解消するために車の中で歌って練習していたが、「正直言って、不安な気持ちでいっぱいだった」とモングン。
 スタジオでは徳久たち作家たちが来る前に練習を済ませ、本番では「これまで歌えなかった気持ちを、一気にマイクにぶつけた」ことで、いつもと違った新しいモングンを創り出すことが出来たようである。

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 デビュー月は自らの誕生月と同じ9月であった。記念シングルはそれに合わせて発売したが、同時にプレミアムアルバム「サラン ノレ 〜愛の歌〜 」も出している。
 愛の曲を届けたいと、前々作の「北海じゃんじゃん節」までオリジナル8曲と、ステージでも歌ったことのないという「千年の古都」(都はるみ)などカバー曲を合わせて16曲を収録した。

 15周年の節目を飾るイベントとして、今秋、 記念コンサートを大阪市内で開催を予定していた。ところが新型コロナの影響を受けて、来年に延期している。
 何としても今年開催したかったモングンではあるが、「節目ということもあり、規模を縮小してでも実施したかったが、今の状況では来年にせざるを得なかった」と、来年の仕切り直しにかける。





[モングン オフィシャルサイト]
http://www.mongun.net/
[モングン 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/mongun/whats.html








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竹村こずえ(日本クラウン)  三拍子の明るい夫婦演歌  デビューに合わせて母が用意した衣装の着物で歌う [インタビュー]

竹村こずえ.jpg◆日本クラウンの歌手、竹村こずえが2020年11月4日、新曲「小手毬草」(作詞・伊藤美和/作曲・西 つよし)を出した。8枚目のシングルで、今までのイメージをガラリと変えて、三拍子の明るいメロディで優しい雰囲気の夫婦演歌になっている。今年、父親を亡くしている。享年75であった。1月に出した女の内面の弱さを歌った前作では「ステージに立つと父と重なって涙が止まらなかった」といい、それならと大きく路線を替えて明るい楽曲を作ろう、と今作につながった。










 「小手毬草」のジャケット写真やポスターなどに見られる竹村こずえの衣装の着物は、彼女が母親から2014年のデビューに合わせて作ってもらったという一着である。デビュー曲「能登の海鳴り」は、女心をダイナミックに歌うパンチの効いた力強い作品やブルース調の楽曲であっただけに、衣装はドレスになった。以来、その着物は長くタンスに仕舞われたままなっていた。

竹村こずえ 小手毬草.jpg 今回ようやく、その衣装が日の目を見たわけであるが、ピンク地の可愛らしい柄の着物は、優しさあふれる夫婦演歌に相応しく、歌を一層華やかにしてくれている。
 この晴れ姿を目にした母親は「いつ着てくれるのかと気を揉んでいたようですが、今はすごく喜んでくれています」というから、まさに楽曲に合わせたかのようなエピソードである。

 前作の「おんなの仮面」は、今年1月に発売された。しかし間も無くしての新型コロナウイルス騒動である。あらゆる活動の自粛が求められ、新曲を出したけど歌えない、といった状態が今に至るまで続いている。
 「ステージの仕事もすべてキャンセルで、どうやって新曲を皆んなに知ってもらえば良いのか」と悩むばかりだったという。

 そんな中での新曲「小手毬草」のリリース。
 「家に居ながらにしてして、(歌を)楽しんでもらえる方法を考えていますが、他の人と同じことはしたくないし、色々と模索しています」
 ファンクラブの会員も多くは70代。インターネットを使いこなせるのもごくわずかというから、たくさんの歌手が始めているネット配信も始められずにいる。

■トリマーの資格取得

 竹村は<資格好き>である。今までにも大型自動車免許、船舶免許、美容師、エステ・ネイルと次々と取得していった。6つ目として、今年5月にトリマーの資格を取っている。芸は身を助けると言われるが、まさか新型コロナの影響でトリマーに転職でもあるまいが、これには少々訳があったようである。

竹村こずえ2.jpg

 彼女は2匹のペットの犬を飼っているが、そのうちの1匹が急性胃腸炎に罹ってしまった。原因はがまた厄介で、人見知りをする性格の犬なのである。他人に触られることを極度に嫌い、トリミングサロンでも大騒ぎな状態であったからだ。
 「それなら私がトリマーの資格を取って、私がシャンプーから、ブロー、カット、爪切り、耳掃除など、すべてをしてやろう、となったんです」

 竹村は集中力が人一倍高い。
 「これをやろうと思うと、それしか見えないんです」
 歌手になろうと思った時もそうであった。
 「歌を猛勉強し、デビューが決まるまでレッスンも受けることもなく、とにかく目標を目指して頑張りました。やり遂げないと気が済まない性格なんです」

 「小手毬草」をたくさんの人に届けたい。その強い想いが、発売直後のオリコン11月16日付け演歌・歌謡曲チャートでは、初登場6位にランキングされる、といった結果になって現れている。
 こんなところにも強い集中力と見られる。





[竹村こずえ オフィシャルサイト]
http://www.tree-top.jp/
[竹村こずえ 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/takemura/whats.html








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