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戸川よし乃(日本クラウン) 新曲「松前半島」  歌謡曲タッチの新シリーズに挑戦  来年はラッキーイヤー [インタビュー]

戸川よし乃4.jpg◆日本クラウンの歌手、戸川よし乃が2017年9月に出した新曲「松前半島」はデビー7作目、編曲家伊戸のりお・作詞家円香乃の下で修業して7年、そして来年はデビー7年目。彼女にとって来年は「7」が3つ揃う縁起のいいラッキーイヤーになる。「新曲へのファンの人たちの感触も良く、来年は私にとって節目になると感じています。新しいことにも挑戦していきたい」と話す戸川の表情には強い決意が感じられた。


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 「デビュー曲のCDを手にした時は本当に嬉しかった」。今もそう言って笑顔を見せる戸川よし乃は、そのデビュー曲「すずめは雀」(2012年)以来、1年に1作ずつ新曲を出してきた。すずめちゃんの愛称までもらったすずめシリーズを3作、続いて前作の「十勝の春 〜ふるさとに春の雪 〜 」まで十勝3部作を歌ってきた。
 今作の舞台は北海道だが、十勝からは約8時間もかかる道南の町。その名を取った松前漬けで知られている。「これから半島シリーズの楽曲になるのか分かりませんが、今まで歌ってきた演歌から、今作は歌謡曲タッチの新しい歌になりました。たくさんの人に歌ってもらえるように気合いを入れて歌っていきます」と戸川。

戸川よし乃1.jpg 戸川は今まで何ひとつ注文することなく、ディレクターをはじめ制作スタッフの言う通りに歌ってきた。ところがデビュー6年目の今回は初めて、レコーディングで自分の想いをぶつけた。それは「ドラムを強めに、ベースの音はもう少し出して下さい」などといった、デビュー曲以来ずっと演奏に携わってきた仲間への注文だった。

 「今までは自分が歌うことで精一杯でしたが、今回はゆとりが出来たというか、1年間歌う大切な楽曲なので、燃え上がるような自分の気持ちを表現したかったんです」

 ドラム、ベース、ギターの3人の演奏スタッフはいずれも、戸川がデビューする前、まだ師匠の伊戸のりおに付いて楽器を運んでいた修業時代からの彼女の応援団で、今はファンクラブのメンバーというほどの親密さ。そんなこともあって、注文も快く聞き入れてくれたようだ。


 もうひとつ戸川は制作陣に想いを投げかけている。「松前半島」では、ファルセットを使って歌っているところがある。当初、キーを半音下げて地声で歌うか、半音上げてファルセットにするか、で迷った。戸川は「ファルセットにすることで壮大なスケール感を演出し、女性の切ない想いを出せるのでは」と伊戸・円、ディレクターに提案した。それは採用されて、6年目の新シリーズへかける想いの強さを表している。

 これが彼女が言う「新たな挑戦」でもある。

■逢えない切なさ

 戸川は「松前半島」が発売される直前の9月中旬に、北海道松前町の石山英雄町長を表敬訪問している。東京からの2日間の旅は「まだ見たことがない松前半島を五感で感じ取ることで、歌により説得力が出る」(戸川)ことをねらっものだった。

 函館空港から車で2時間半もかかるそこは「叫んでも声がかき消されるような、風の強い所でした。津軽海峡の向こうに本州が見えるんです。そんな距離なのに、逢うことすらできない、そんな切なさが伝わってきた」最果ての地だった。
 海のない十勝に生まれ育った戸川にとっては、ひと際感慨深かったようである。

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 4月に出している3枚目のアルバム「十二色 〜青〜 」には、「松前半島」のカップリングに収録した「愛はコバルトブルー」も入っている。「アルバムを買った人から、いい曲だからシングルカットして、とリクエストがたくさん寄せられたんです。これもディレクターにお願いしたら、OKが出たんですよ」

 アルバムに収録された12曲には書き下ろし曲が3曲入っている。「愛は ー」はその1曲である。

 戸川は「『松前半島』はアレンジが華やかで、歌っていても心地いい歌です。私の歌は難しいとよく言われますが、歌ってみると決してそんなことはなく、みなさんに歌ってもらえるようお勧めしたいです」と、話していた。





[戸川よし乃 オフィシャルサイト]
http://www.nijiirosha.co.jp/togawa/
[戸川よし乃 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/togawa/whats.html






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水城なつみ(キングレコード)  好評「帰って来やれ」  デビュー5年目  心に寄り添える歌を [インタビュー]

水城なつみ.jpg◆デビュー5年目を迎えているキングレコードの歌手、水城なつみが、2017年8月に出した6枚目のシングル「帰って来やれ」(作詞・万城たかし、作曲・宮下健治、編曲・前田俊明)が好評だ。本人も今年はキングレコード歌謡選手権で、全国決勝大会を含む全12会場中6会場でゲスト出演したほか、キングレコード歌謡文化アカデミー(KBA)の指導者歌唱講習会では、3会場すべてでミニライブを開いて模範歌唱している。新人から中堅へ向けて、意欲的に動き始めたようだ。









 「帰って来やれ」を作曲した宮下健治が、初めて水城なつみに会ったのは、彼女がまだ中学2年の時だった。歌を勉強したいと茨城県からやって来た、まだあどけなさが残る彼女の歌を聴いた宮下は「この娘は将来、キングの代表選手になる有望株であると感じた」と振り返る。

 キングレコード歌謡文化アカデミーのキングレコード歌謡選手権に小学6年から7回連続出場している水城は、中学2年で作曲家宮下健治の指導を仰ぎ始める。2012年には晴れてグランドチャンピオンの座を獲得して、翌年「泣いてひとり旅」でキングレコードからデビューしている。

水城なつみ・帰って来やれ.jpg デビュー曲は岡千秋が書いたが、4作目の「筑波の嵐」(2016年)「逢ってみたい人」(同)そして今作の「帰って来やれ」と3作続けて宮下が手がけている。
 その「帰って来やれ」は津軽を舞台に、3年も帰ってこない父親を想って、♪ ひと目津軽にヨー 帰って来やれ 〜 と、宮下の教えの通り「優しさ、思いやり、温かさ」を込めて歌っている。

 彼女のふる里は、先ごろテレビで人気を博したドラマの舞台にもなった、同じ茨城県である。しかし都道府県別魅力度ランキングでは「ここ10年ほどは最下位で人気がありません。新曲『帰って来やれ』を通して、身近に感じてもらえるとうれしいです」と、水城。

 小6からKBAの地区大会に挑戦し続けた水城は、高3でようやくグランプリを獲得する。「毎年、なにくそ、と思って挑戦していました」といった彼女の言葉通り、負けん気の強さはなかなかのものであるようだ。

 「帰って来やれ」は、オリコンの演歌チャートTOP50でも、発売以来上位にランキングされている。水城は「まだ23歳の小娘ですが、みなさんの心に寄り添える歌を届けて行けるように頑張りたい」と、5年目の抱負を話してくれた。


[水城なつみ オフィシャルサイト]
http://www.mizuki-natumi.com/
[水城なつみ キングレコード]
http://www.kingrecords.co.jp/cs/artist/artist.aspx?artist=44259






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安倍里葎子(テイチクエンタテインメント) 10/20 神戸・チキンジョージでライブ [ライブ]

◆デビュー47枚目のシングル「恋人気分で」で関西キャンペーンに力を入れる安倍里葎子が、2017年10月20日、神戸市中央区のライブハウス・チキンジョージでライブ「恋人気分で」を開く。

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安倍里葎子のデビュー曲「愛のきずな」と長大版のジャケット写真

 新曲「恋人気分で」とカップリングの「狸小路の夜は更けて」「感じるままに私を抱いて」や、デビュー曲の「愛のきずな」などオリジナル曲を中心に歌う。

 開場は午後6時30分、開演は同7時30分。入場料は前売りが8000円、当日は8500円。自由席。いずれも飲食代として別途1000円が必要。


[チキンジョージ]
http://www.chicken-george.co.jp/schedule/2017/10/20/1930






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演歌師・田浦高志  浪花最後の流しが「流しうたライブ」  演歌オンリーの全27曲  大阪・谷六で [ライブ]

田浦高志2.jpg◆若い客たちで賑わう派手な看板を掲げた串カツ屋が軒を並べる大阪・新世界。村田英雄が歌った「王将」の歌にも登場する通天閣の町としても知られている。大衆演劇や演歌ショーの小屋もあるなど、町全体のあちこちからは演歌な匂いがぷんぷんと漂ってくる。ここから隣町の飛田、さらに天王寺、あべのへと歓楽街をギターを抱えて歩いていたのが、浪花最後の流しと言われた演歌師・田浦高志(57歳)である。その田浦のライブが大阪・谷六の書斎かふぇ じょうじあんである、と誘われて出かけた。田浦は「流しは歌が上手いだけではいけない」と、エンターティナーの真髄を存分に見せてくれた。







 田浦高志というこの男、とにかく客を楽しませることに徹している。これぞライブとでもいうのか、3時間になろうかという持ち時間、誰ひとりとして飽きさせることなく、途中少しの休憩を挟んだものの、ギターを弾きながらマイクも使わずに、1人で27曲も歌ってしゃべったのである。
 彼が歌声は離れた人にもちゃんと届くし、かと言って近くにいる人には決してうるさくはない。狭い居酒屋で身に着けた流しのコツである。

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 浪曲師の父と曲師の母を持つ田浦が、流しの世界に飛び込んだのは16歳の時だった。最初は先輩について歩くのだが、歌うのは毎日同じ3曲ばかりだったという。この日のライブのオープニングは、その修業時代に歌っていた「逢いたかったぜ」「おまえとふたり」「男の涙」だった。

 「子供の頃から浪花節を唸っていたし、舞台に上がってもマイクは使いませんでした。客席から投げ銭が飛んでくるんですが、歌い終わってそれを拾うのが恥ずかしくて嫌で仕方なかった」(田浦)

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田浦高志のオリジナル曲「北で逢った女」(1999年)

 「歌わなくても稼いでいた流しもいた」(田浦)ように、入った店では客とのコミュニケーションが大切だった。「喜ばせるためには、客の顔を見てどんな歌が好きかな、と想像して歌うんです。そうすると、よう知ってるなぁ~と言って祝儀を頂けます」(同)
 中でも人気があったのは北島三郎の歌で、「風雪ながれ旅」「歩」「加賀の女」「終着駅は始発駅」は定番だった。

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 大阪・ミナミの歓楽街である飛田では、職人がエリート層だったし、ニッカポッカ姿の客もたくさんいた。そんな彼らからは「484のブルース」「河内遊侠伝」「釜ヶ崎人情」「恋あざみ」などなども好まれたし、田端義夫の「別れ船」「ふるさとの灯台」を歌いながら涙を流していた。店のママからは「他人船」も人気だったという。

 そんな歌に酔いしれた客は祝儀を渡してくれる。手で受け取るのは流しにとっては失礼極まりないことだ、と田浦は教えられた。そんな時、ギターの胴体に入れてもらうのだが「中には百円玉をいっぱいほり込む客もいて、事務所に帰ってから取り出すのが大変でした」といったエピソードも。

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ゲスト出演したちんどん通信社の林幸治郎

 流しの値段は3曲で1000円が相場とも言われていたが、決して決まっていたわけではない。田浦は「次の店はないと思って、入った店でいかに客を楽しませ、気に入られ稼ぐかが勝負であった」と話す。そんな真剣勝負で毎日歌ってきた彼は、今はもう流しはやらないという。「だってAKB48なんてリクエストされても歌えないしね」と笑わせるのであった。


[田浦高志 オフィシャルサイト]
https://www.facebook.com/people/%E7%94%B0%E6%B5%A6%E9%AB%98%E5%BF%97/100015383438293






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水森かおり(徳間ジャパンコミュニケーションズ) 山口県PRイベント「幕末維新やまぐちデスティネーションキャンペーン」でミニライブ  「早鞆ノ瀬戸」など歌う [イベント]

◆かおりちゃ〜ん !日曜日の午後、たくさんの人たちで賑わうJR大阪駅5階の時空(とき)の広場では、オッチャンたちの太い声が響き渡っていた。

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山口をPRする水森かおり


水森かおり・早鞆ノ瀬戸.jpg 今年、15回目のNHK紅白歌合戦への出場をねらう水森かおりが、9月に20ヶ所目の観光大使「山口ふるさと大使」に任命され、10月1日、JR大阪駅で開かれた山口県PRイベント「幕末維新やまぐちデスティネーションキャンペーン」で、「5月に出した新曲『早鞆ノ瀬戸』を通じて、山口県の素晴らしさを伝え、山口へ行ってみたいと思ってもらえるとうれしいです」と山口をPRした。

 物産展会場も視察して、山口の特産品を手に「美味しいものがいっぱい詰まった県なので、旅行へ行ってもらえると大使として嬉しいです」と、集まった人たちに呼びかけていた。

 特設ステージで開いたミニライブでは、新曲の「早鞆ノ瀬戸」と8月2日発売のしものせき海響大使就任記念盤に収録された「角島大橋」「山口旅愁」、そして紅白初出場曲「鳥取砂丘」を歌った。

 早鞆ノ瀬戸は関門海峡にある潮流が最も強い所。歌も実際の激しい潮の流れと同じようにスケール感も大きく、山口県知事や下関市長も水森を応援をしているという。それに応えるためにも「大きな舞台で歌えるように、1曲1曲一生懸命に歌いたい」とと水森。

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今年も大舞台で歌えるように一生懸命歌う話すという水森かおり

 紅白への出場も気になるが、当日着る巨大衣装もファンの関心事でもある。ただしそれについては「出場が決まっていませんから、まだ決めていません」という。

 ご当地ソングの女王と呼ばれる水森は、今までに歌ってきたのは全国44都道府県になる。あと千葉と徳島、福岡、宮崎の4県を残すだけである。
 11月4日には、早鞆ノ瀬戸のおひざ元である下関市で開かれる下関海響マラソン2017のおもてなし前夜祭で「早鞆ノ瀬戸」を歌う。


[水森かおり オフィシャルサイト]
http://www.nagarapro.co.jp/top/artist/artist.php?id=5
[水森かおり 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
http://www.tkma.co.jp/enka_top/mizumori.html






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ジャズシンガー 綾戸智恵、ちゃんと60歳でありたい NHK番組で還暦を語った

◆これまで積み重ねた60年の歳月が新たなエネルギーを生み出す ー 。
大阪出身のジャズシンガー 綾戸智恵が2017年9月23日、NHKのインタビュー番組「ここから」で、還暦を迎えて新たな意気込みを話した。後進の人たちにに向けては「私を見なさい、と言える人になりたい」と胸を張った。

綾戸智恵.JPG
綾戸智恵


 綾戸智恵がジャズシンガーとしてデビューしたのは40歳だった。2017年7月には、東京国際フォーラムでデビュー20周年記念コンサートを開いている。デビュー5年で開いた大阪城ホール単独ライブを満席にした時と同じように、会場を沸かせたという。


 3歳の頃からピアノに親しんでいた綾戸がジャズの道を進むきっかけとなったのは、中学の時、大阪・北御堂でのピアノ発表会に出演したことだった。その前日には尾崎紀世彦が大ヒット曲「また逢う日まで」で、日本レコード大賞の大賞を受賞して大歓声と拍手を浴びていた。

 「発表会では『エリーゼのために』を弾き始めたんですが、一向に拍手が起こらない。そこで片手を振り上げて、拍手が来るまで5分ほどイントロを弾き続けたんです。そうすると先生から、ジャズでもないのに煽ったらあかん、と注意されたんです」

 ならば、と決めたのがジャズの道だった。高校生になると母親同伴でジャズクラブに出入りするようになっている。

 こうした綾戸の物怖じしない性格はすでに小学時代にも見られる。
 自宅近くのあべの近鉄百貨店6階にあった楽器売り場でピアノを試し弾きをしていた時だった。それを聴いていた男性が「上手いやんか」と言って、小遣いをくれたのである。そこで次からは、ピアノの側にブランデーグラスを置いて弾くことにした。
 「すると売り場の人が来て、お嬢ちゃんここで商売したらあかん、って怒られたんですわ」

 大阪万博が開催されると2日も開けずに会場へ通い詰めた。アメリカの映画や音楽が好きで、憧れていたアメリカ人と触れ合いたいからだった。そしていよいよ高校3年の時には、アメリカへ1人で渡っている。
 こうした無鉄砲とも思えるチャレンジ精神は「先延ばしにしたらあかん」と言っていた母親の影響だったという。

 彼女はアメリカで結婚して33歳で出産して離婚する。日本に帰ってからは子育て、さらには母親の介護を経験を通して「人間の力って見えへんところから湧いてくんねんな。体重計にのっても<やりたい気>は出てこうへん」と、言わせる。

 60歳になって「(これからは)ゆっくりと下り坂を降りたい」という綾戸に、番組はこれからの生き方を訊いている。
 それに答えて彼女は「遠回りしながら、大きなやる気を持ちながら、ちゃんと60歳でありたい」と、強いバイタリティをみせていた。


[綾戸智恵 オフィシャルサイト]
https://www.chie-ayado.com/






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