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二見颯一(日本クラウン) きょう「哀愁峠」で歌手デビュー 20歳大学2回生 目標は三橋美智也 [インタビュー]

二見颯一1.jpg◆指導を受けていたボイストレーニングの先生が、本人に内緒で応募した新人歌手のオーディションでグランプリを取ってしまった。2017年に行われた日本クラウンの演歌・歌謡曲新人歌手オーディションで、最終選考に残った20人の中から選ばれ、2019年3月6日、「哀愁峠」(作詞・たきのえいじ、作曲・水森英夫、編曲・石倉重信)でデビューした二見颯一(ふたみ そういち)である。三橋美智也が大好きで5歳から民謡を、中学に入ってからは演歌を習ってきた。東京の大学に進学して、将来は「地元の県庁に勤めたい」と考えていたが、まさかのプロ歌手の道への転身である。


二見颯一・哀愁峠.jpg









 宮崎県国富町生まれの二見颯一は、幼い頃からゴーヤやニラなどを作る両親の畑仕事を手伝いながら、ラジオから流れてくる民謡や演歌・歌謡曲を聴いて育った。5歳から習い始めた民謡では、中学1年で民謡民舞少年少女全国大会中学生の部で優勝、高校2年になると正調刈干切唄全国大会男性の部でも優勝するなど、徐々に力を付けていった。

 高校を卒業して18歳で上京した時には、取り立てて歌手になろうとは思いもしなかった。合格した日本大学で法律の勉強をして、卒業後は地元宮崎に帰り「県庁に勤めて定年後は後は民謡・歌謡教室を」と、ごくごく平凡な人生設計をなんとなく描いていた。
 それがボイストレーニングの先生によって一変してしまった。

 自分の知らないところでオーディションの1次審査を通過してしまったからである。大学1回生の時であった。それを知らされた二見は、迷うことなく出場することを承諾している。両親も彼が子供の頃から「歌手としてデビューさせたかった」というほど、息子の歌には自信を持っていたようだ。
 それでも彼自身、グランプリをもらった時には「ただただビックリでした」と、信じられなかったようである。

■1文字1文字を大切に歌う

二見颯一2.jpg デビュー曲「哀愁峠」は、♪ 帰りたい帰りたい 〜 から最後の2行が、歌っていてとても感情が入るところ。所謂<サビ>と言われる部分である。二見の特徴とされる高音を存分に表したところなのだ。
水森英夫は彼に、前半は民謡の歌い方を、♪ 日向 〜 から歌いじりまでは反対に出来るだけ演歌っぽく、と指導している。
 「その歌い方によって、非常にメリハリが付いて、歌いやすくなっています」と二見。

 二見を水森に紹介したのは、オーディションを受けさせた、水森とも親交があり、宮崎でボイストレーニングを指導した人物であった。

 上京し師事した作曲家、水森の元で三橋美智也、三波春夫や民謡の大先輩である成世昌平など幾人もの歌の勉強を重ねた。
 水森からは「この文字はこのように歌う、といった具合に、歌詞1文字1文字を大切にした歌い方を教わりました」と二見。
 民謡という彼の持ち味を生かしてつくられたというデビュー曲では、低音から高音まで音域が広いため「力を抜いて歌うように」といった水森の教えを守る。

 三橋美智也を思わせような高音の響き渡る声は、かつて民謡の先生から「やまびこが返ってくるように歌いなさい」と教えられた通りに、畑仕事を手伝うかたわら、広い畑で歌って鍛えたもの。レコード会社が名付けた彼のキャッチフレーズも、そのものズバリ〈やまびこボイス〉

 目指す歌手はもちろん三橋美智也である。
 「民謡はもちろん演歌やCMソング、テレビドラマの主題歌などと色んな分野で歌い、沢山の人に愛された三橋さんのように、さまざまなジャンルを歌っていきたい」

二見颯一・絵.jpg
子供の頃から大好きだった絵を描くことは今も続けている

 その二見は「歌手になることは出来ましたが、これからは沢山の人に知ってもらうことが大切で、頑張ります」と意欲を見せる。
 デビュー日には大阪市内で開かれた歌謡ショーに出演した。中学・高校時代にNHKホールや国技館で開かれた民謡全国大会で歌った経験もあり、度胸は座っている。
 本名は二見颯。芸名は(二見)颯一。1番になるように、といった思いが込められているかのようである。





[二見颯一 オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/futamisoichi1026/
[二見颯一 日本クラウン]
http://www.crownrecord.co.jp/artist/futami/whats.html








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