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石原詢子、10年間の封印を解いたしあわせ演歌「五島椿」 五島の島々の風を感じるデビュー35周年記念曲 大ヒットへと意欲 [インタビュー]

◆歌手石原詢子(ソニーミュージック)が初めて作詞・作曲して2023年5月24日に発売した歌手デビュー35周年記念シングル「五島椿」(作詞 / 作曲・いとう冨士子、編曲・若草恵)が話題である。石原自らが、いとう冨士子のペンネームで、思い入れのある長崎県五島を舞台に詞と曲を書いた。10年の封印を解いたしあわせ演歌というのも人々の興味をそそる。

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写真・明るいしあわせ演歌「五島椿」が話題の石原詢子


 去年暮にレコード会社のプロデューサーから「歌を書いてみませんか」と、話をもらったのがきっかけだった。
 詞や曲を書くのが好きで日頃から書き溜めていた石原であったが、約1ヶ月半をかけて新たな作品4作をレコード会社へ提出した。もし採用されるなら、明るくゆったりと流れるメロディーの「五島椿」だろうと思っていたというが、その予想は見事に的中。メイン曲になった。
 カップリング曲に採用された「流れる雲に」(同)も、同時に作った作品で、一途な恋心を歌っている。ファンも待ってましたとばかりに、発売直後のオリコンチャートでは5位と好スタートを切った。

■希望の花、五島椿

 35周年記念曲の舞台に五島を選んだ理由はー。最も気になった点であった。まず、そこから聞いてみた。
 石原と五島の関わりは、なんと20年前に遡るという。
 かつて仕事で訪ねた五島の島々には「コバルトブルーの海、緑に包まれた島の景色、異国情緒いっぱいの教会、そしてゆっくりと流れる島時間があった」と、石原はその魅力にいっぺんに惹かれてしまった。

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 時は流れて去年、デビュー35周年記念曲の話をもらった石原は、ひと時も記憶から消えたことがなかったあの美しい島を舞台にして書いてみたい、と迷わずに心に決めた。
 ところが頭の中にある島のイメージはすべて20年前のものである。それだけで書くのは「嘘っぽくなる」と、すぐに飛行機のチケットを手配して五島へ飛んだ。今の五島を見て感じるためであった。

 島ではたくさんの人に会って、島に関するあらゆる話を聞いた。するとなぜか島の印象は、今までの美しいだけのものとは全く違っていたのである。
 五島は島のあちこちに咲く椿が有名である。美しいその花は島の象徴でもあるが、現実にはただ美しいだけではなかった。

 「椿で様々なものが生産されており、想像以上に生活に密着していました。たとえば椿油や化粧品などは勿論のこと、人々の夢も紡いでいたんです。さらに椿は〈強葉木〉とも書きますが、これは文字通り風にも強く防風林として島民の生活を守ってくれていることからも、その意味は分かります」
 
 厳しい自然の中に生きる人々、それを支えるのが五島椿なのである。それは島民の夢を叶えてくれる力を持っていた。
 これを詞に盛り込まなければ、真に五島の歌にはならない。取材で彼女はそう感じている。
 さらに島のもうひとつの象徴でもあるのが、福江島の最西端にある大瀬埼灯台である。この白い灯台を抜きにしても、今回の歌は書けない、と考えた。
 1番の歌詞の冒頭には椿ではなく、この「白い灯台」を入れた。それに続けて「島の風」として、五島を表したのである。

■10年ぶりのしあわせ演歌

 「五島椿」は聴く人たちや歌う人々に幸せを運んでくれるーそんな歌である。
 石原詢子と言えば、酒にすがる悲しい女心を歌った「みれん酒」(1999)以降、悲しさを背負う女性ばかりを歌ってきた。まるで自身の代名詞かのように、しあわせ演歌を封印してきた。
 ところが今作は「今までのコロナ騒動で、ストレスも溜まりがちであった人たちが、優しい気持ちになれるように作った」(石原)といい、35周年を祝うのにも相応しい、明るく幸せ感いっぱいの演歌に仕上げた。

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■10年ぶりに封印を解いたしあわせ演歌が好調

 「ここらで幸せな気分になれる演歌を歌ってみたかったんです。ですから柔らかくて、ふわぁ〜とした感じの作品にしました。自分の声質にも合っているんでしょうか」
 これを聴いた人たちの反応も良い。五島の人たちの間でも「いっぱい宣伝しますよ、と新曲の発売を喜んでもらっています」と、歓迎ムードで盛り上がっている。

 これを受けて新曲を発売して間もない5月のある日、長崎県五島市の「五島市ふるさと大使」と、上五島町の「新上五島町観光物産大使」への就任が決まった。6月13日には五島市役所で五島市ふるさと大使の委嘱式も行われ、石原はそれに出席した。
 委嘱式に出るための五島への今回の旅は2泊3日であった。ところが「1週間もいたように思えるような楽しくて充実した内容でした」と、3度目の島への旅を満喫した。

 「8月にもまた2泊3日の五島の旅を予定していますが、来年、椿の花が咲く頃には島でコンサートを開きたいです」
 石原の「五島椿」にかける夢はどんどんとふくらんでいるようである。

■果てしないチャレンジ

 35周年を迎えた今年、石原が目指すところはなんなのであろうか。40周年に向けてのステップの年である事には違いないが、取り分け「新しい楽曲をはじめ、今までにやった事のないものへとチャレンジしていきたい」と意欲をみせる。

 今作「五島椿」のシングルにはカップリング曲に2曲を収録しているが、そのうちの1曲「予感」(作詞・岡田冨美子、作曲 / 編曲・川口真)は去年、自身初の配信シングルとしてリリースしたもので、このところ増えている若い年代のファン層に支持を増やしている。
 これも新しい取り組みのひとつである。

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写真・大ヒットの1曲にと期待を膨らませる

 このところ低迷が続く演歌界ではあるが、こうしたチャレンジの中から大ヒットへとつながる可能性は少なくはない。石原は「それが演歌の活性化になるでしょうし、その大ヒットが私であったらいいなぁ、と思っています」と、35周年にかける夢を語った。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[石原詢子 オフィシャルサイト]
https://junko-ishihara.com/
[石原詢子 ソニーミュージック]
https://www.sonymusic.co.jp/artist/JunkoIshihara/








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北山たけし、デビュー20周年記念曲「さすらいの街」 新たな自分のカラーへ [インタビュー]

◆ネット配信やグッズ制作など、いろんな新しい事にも挑戦していきたいですー。先頃、北島音楽事務所から独立した歌手デビュー20周年を迎えている北山たけし(テイチクエンタテインメント)は、新たな取組みへの意欲を語った。2月に出した記念シングル「さすらいの街」は、今までの男臭い演歌から、哀愁漂うムード演歌になっている。「しっかりと自分のカラーとして定着させていきたい」と話している。

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写真・新たな哀愁演歌に挑戦する北山たけし


 20周年記念曲「さすらいの街」(作詞・伊藤美和、作曲・弦哲也、編曲・猪股義周)は、男の切ない気持ちを表現した哀愁演歌である。当初は20周年に相応しいスケール感の大きな楽曲を、といった提案もあったというが、「自分の新しいカラーにしたい」という思いから、作曲家の弦哲也に「北の旅人のような作品を」と依頼した。

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 元々、北島三郎が歌う演歌が大好きでこの世界に入った北山であるが、5〜6年前から「低音に魅力を感じる。ムード演歌・歌謡曲を歌うといいよ」といったアドバイスをもらうようになり、少しずつそれに応えていた。

 そしてデビュー24枚目のシングルとなった今作で思い切って、それを形にしたのが「さすらいの街」であった。
 カップリング曲は「春は来るだろう」(同)。再スタートに相応しい明るく希望を感じさせる楽曲である。

 20年の間には「悩んだ事もあったけれど、概ね楽しかった。しかも節目節目の年は、より充実していました」と北山。
 20周年は今まで以上に大きな節目である。それだけに「チャレンジの年にしたいし、20年目だからこそ出来る企画を考えたい」と、意欲満々である。

 たとえば各地での北島兄弟やファミリーのコンサートもそうだが、YouTubeなどSNSを使ったネット配信も手掛けていきたいとする。得意のデザインを活かしたグッズ制作も考えている。すでにファンクラブ向けハッピも自らデザインをして制作を進めているという。

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 今春、北山と共に原田悠里、山口ひろみ、大江裕も一緒に独立している。今まで北島三郎という大きな船に乗り、外からの風にも大きな壁が防いでくれていた。
 それがなくなった今は「不安がないと言えば嘘です。師匠に背中を押されて、小さな船で漕ぎ出した訳ですが、〈頑張っているな〉と言ってもらえるようになりたい」と、目を輝かせていた。

 また北山は「独立してこれからが本当の勝負です。低音の響きを生かした哀愁演歌をしっかりと歌って、新しい自分のカラーを作っていきたいです」と話していた。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[北山たけし オフィシャルサイト]
https://kitayama-music.co.jp/
[北山たけし テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/kitayama/








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羽山みずき、新曲「ひとつ花」 感情をストレートに表す主人公に新たな自分自身を見せる [インタビュー]

◆東京での生活も7年になるという歌手の羽山みずき(日本クラウン)。山形・鶴岡市出身で、「庄内弁の〈英才教育〉はみっちりと受けてきました」と笑ってみせる。そうはいうものの、標準語もかなり板についてきたようである。庄内人は多くを喋らず、以心伝心の文化が根付いているという。2023年3月に発売したシングル「ひとつ花」(作詞・峰崎林二郎、作曲・聖川湧、編曲・南郷達也)では、♫ 私一人を愛してください 〜 と感情をストレートに表現する女性を歌っている。羽山には驚きの、初めて演じる世界である。周りからは新しい羽山みずきを見るようだ、と云った声も聞かれる。

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写真・新たな歌世界に挑戦する羽山みずき


 「ひとつ花」の作詞は峰崎林二郎である。羽山にとっては初めて一緒に仕事をする作詞家である。作曲の聖川湧は羽山の師匠で、デビューから彼女の作品を手掛けている。

 作詞の峰崎は星野哲郎が主宰した作詞塾「桜澄舎」の門下生である。広告代理店でCM制作をしていた時に、ここに加わって作詞の勉強を始めたのが第1歩だったという。
 デビュー12年目の1988(昭和63)年には、坂本冬美の「ひとりの夏祭り」で第20回日本作詩大賞新人賞を受賞している。
 今も「歌の詩はこころの薬」という星野の言葉を大切に、詩を書き続けているという。

 「今作の歌詞が短いのに驚きました。わずか5行しかないのです。最近の演歌・歌謡曲では短いですよね。感情の波をどこへ持って行けばいいのか、とても難しかったんです」と羽山。
 多くを語らない庄内人と言えども、今までの作品との違い、この初体験の短さにはためらったようである。

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写真・年々表情も柔らかくなる羽山みずき

 感情の入れ所を迷った羽山が見つけたそれは、最後の5行目にある ♫ 私一人を愛してください 〜 であった。
 しかし彼女が今まで歌ってきた作品の多くは、主人公がはっきりと意思表示をせずに「淡い恋心をふわぁ〜と表現していたのに対して、今作は私一人を〜と、ストレートに主張しています。こんな主人公はいなかった」と戸惑いを隠せなかった。

 ところがファンからは「今までと違う一面を見ることが出来て良かった」とか、「カラオケで歌いやすい」などと、概ね好意的な声が聞かれる。
 しかも羽山自身も「短い歌詞は逆に聴いている人に伝わりやすい」と、今では前向きにとらえるほど。

 羽山は友人や年配者に「私一人を愛して、と言われたらどう思うか、とリサーチしました」と明かす。
 そんな事を言われると記者は、重たく感じて距離を置きたくなるのではーといった回答を想像した。ところが、なんとあらゆる層から「そのように伝えられると嬉しい」といった声が多く返ってきたというのである。

 確かに近くにそんな女性がいたら舞い上がってしまうかもしれない。
 でもこの主人公は好きになった人の何気ない様子や態度が不安で仕方がない、恋の始まりなのである。そんな気持ちを庄内人の羽山が表現すると、切なくもあるが甘酸っぱい青春歌謡のような恋歌になる。


動画

 その羽山が去年春から文化放送で初めてのラジオパーソナリティを始めている。毎月第3土曜日の午前3時から5時までの番組「ヴァイナル・ミュージック〜for.EK〜 #大人の歌謡クラブ」 がそれ。
 「毎日の生活の中から話のネタを集めてメモを取るようにしています。ゲストさんにはどうすれば話をしてもらえるかをいつも考えています」

 番組ではほぼ2時間を1人で話し続ける。寡黙でなかなか言葉で表さないという庄内人にとっては、またとない話すレッスンの場なのかもしれない。
 
※写真・記事の無断使用はお断りします。


[羽山みずき オフィシャルサイト]
https://www.sunmusic-gp.co.jp/talent/hayama_mizuki/
[羽山みずき 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/hayama/news?ima=5229








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ハン・ジナ、好調な「天窓〜愛という孤独〜」 ライバルは自身のロングヒット曲「窓」 [インタビュー]

◆歌手ハン・ジナ(日本クラウン)が2023年3月に発売した新曲「天窓〜愛という孤独〜」が好調である。愛する事も愛されることにも疲れたわ、だからしばらく1人にしておいて・・・。そんな物憂げな女性の呟きが聞こえてきそうな歌である。オリコン初登場は5位で、4月24日付のチャートでは29位にランキングされている。歌唱は今までの彼女のカラーを拭い去って、声をはっきりと前に出すように心がけて「クセを直した」という。

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「天窓〜愛という孤独〜」は自身のヒット曲「窓」を超える勢い


 自身の作品でロングヒットを続けている「窓」を上回る勢いを感じるという「天窓〜愛という孤独〜」
「歌いやすい」と評判だという。
作詞は 田久保真見、作曲は徳久広司。2人による作品は6年ぶりである。編曲は矢田部正が担当している。
 レッスンでは「言葉が前に出るように、はっきりと発音する」とアドバイスを受けたという。

2012年11月にシングルリリースされ、後に自身の押しも押されぬ 代表曲となる「窓」は、翌々年に日本クラウンのシングルヒット賞を受賞している。その後5年間連続して5作品でヒット賞を獲得して、「窓」は17年に日本作曲家協会音楽祭・2016でロングヒット賞を受賞した。
 ここ数年はヒット賞からも遠のいているが、新曲「天窓〜愛という孤独〜」は「久しぶりにヒット賞を」(ハン・ジナ)狙える感触をつかむまでになっでいる。

 長引いたコロナ騒動もようやく一段落して、今回の約1週間に及んだ関西キャンペーンは、実に4年ぶりであったという。去年は東京・原宿のライブレストランラドンナで3年ぶりにバースデーライブを再開している。
 まさに本格稼働である。九州など各地のカラオケ発表会からゲストに、といった声もたくさんかかる。こんな時は「人気の新曲を生で聴いてもらえるいい機会」と、彼女は楽しみに出かける。休んでいる韓国ツアーも再開させたいとも。

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 久々の関西キャンペーンでは、仕事の合間をぬって京都・円山公園で桜の花も見る事ができた。大阪では必ず食べるというお好み焼きとたこ焼きも味わった。
 韓国から来日して26年になるという彼女、「母国の韓国よりも日本での生活が長くなろうとしています。落ち着いた文化、秩序ある国民性など、そんな日本が大好きです」

 彼女が語りかけるように歌う「天窓〜愛という孤独〜」。♬ だからごめんなさい 〜 だから愛さないで 〜 最も歌の主人公になりきれるところだという。
 ハン・ジナは「新曲は代表曲の『窓』に天が付いたタイトルだから、それを越す楽曲になる」と自信を強めている。




※ 写真・記事の無断使用はお断りします。


[ハンジナ オフィシャルサイト]
http://www.b-han.jp/
[ハンジナ 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/han-jina/news








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葵かを里、新曲「吉野 千本桜」 静御前の悲恋物語をモチーフに 20周年に向けての大きな足跡に [インタビュー]

◆舞いながら歌う歌手、葵かを里(徳間ジャパンコミュニケーションズ)が来年、デビュー20周年を迎える。それに先駆けて2023年3月1日に発売した「吉野 千本桜」(作詞・麻こよみ、作曲・影山時則、編曲・竹内弘一)は、舞台となっている奈良・吉野が、踊りの名手で源義経との悲恋の物語で知られる白拍子の静御前ゆかりの地であることから、「彼女にあやかって、吉野をぜひ歌にしたい」(葵)と、7年前から構想を練っていた作品。先ごろ吉野町観光大使にも任命されており、一目千本として有名な、世界遺産でもある吉野町にある吉水神社で歌の奉納も行っている。

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写真・葵かを里


 葵かを里が吉水神社で歌い舞ったのは、約8百年前の静御前に次いで2人目だという。吉水神社でそう聞かされた葵は、天にも舞い上がるような気持ちであった。何しろ日舞では芙蓉流の名取りというから、静御前は歴史上の人物ながら、踊りの先達として尊敬して止まない存在なのである。

 静御前は源義経と武蔵坊弁慶らの一行と、源頼朝から追われてほんの数日間、吉水神社に身を潜めていたと言われている。その境内からは、一目千本と言われる〈中千本〉と〈上千本〉の桜がよく見える。
 そこで葵は今年1月にミュージック・ビデオ(MV)を撮影してしているし、3月にはまた、観光大使の任命式で義経と静の2人が暮らした居間の窓からよく見える庭に桜の苗木の植樹も行っている。

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写真・観光大使任命式で舞って歌う葵

 葵かを里の桜の木と書かれた札が吊り下げられた〈葵桜〉がそれである。その成長を見るためにも「毎年、吉野へ通わなければいけませんね。桜が成長するのに合わせて、私も歌手として大きくならなければ」と葵。

 「吉野 千本桜」は、吉野での義経と静御前の涙の別れを、現代にも置き換えられるような悲恋のストーリーを麻こよみが書いている。7年前、後援会の人たちに連れられて初めて目にした〈奥千本〉の桜の見事さに心を奪われた葵は「いつかはこれを歌にして歌いたい。と決心したんです」と話す。

 CDはタイプAタイプBの2種類を同時発売している。
 タイプAはメイン曲の「吉野千本桜」のほか「明日への虹」「夢さくら」(2016年発売バージョン)「二月堂」(14年)の3曲も収録している。
 タイプB「吉野千本桜」「明日への虹」の2曲と「吉野 千本桜」のミュージック・ビデオ、同舞踊映像、同字幕入りカラオケも収録している。
 ジャケット写真の着物はいずれも桜柄。タイプBの黒色地の着物は徳間ジャパンの先輩歌手、松前ひろ子からプレゼントされたものだという。

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写真・「吉野 千本桜」タイプA(左)と同B

 葵が歴史上の人物を歌うのは初めてのこと。「実は私は歴史が苦手なんですよ」と明かしたが、吉野の山をみていると「千年近い時代を超えたスケールの大きな恋物語を味わうことが出来ます」と、歴史の壮大さに浸っていた。

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写真・吉野杉で作ったストラップ

 彼女は今までにも作品にちなんだグッズを作ってきている。今回は吉野町の名産品である吉野杉を使ったストラップを手作りしているし、併せてロングタオルも用意しているという。



 3月1日の発売から好調なスタートを切っており、歌謡教室の中には早速、課題曲に選んでいるところもあるほど。葵は「毎日、仕事のスケジュールを頂いており、1日も休む暇がありません」と、来年の20周年に向けて一気に盛り上げていく構えである。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[葵かを里 オフィシャルサイト]
http://wwwb.jnc.ne.jp/aoikawori/
[葵かを里 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/aoi_kawori.html








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レイジュ、徳間移籍第2弾は大人のラブバラード「大阪なみだ雨」 悲しみの涙なんかじゃないよ [インタビュー]

◆歌手レイジュ(徳間ジャパンコミュニケーションズ)は来日して約20年になる。永く九州・久留米市を拠点に、本名の謝宛君(しゃ・わんちゅう)として活動をしてきた。2019年に荒木とよひさ作詞の「いのちの愛」(作曲・羽場仁志、編曲・竹内弘一)でテイチクから、芸名も麗珠(れいじゅ)に変えてメジャーデビューしている。これを機に全国に活動の場を広げ、22年には徳間ジャパンに移籍。今度は今のレイジュに改名しての再スタートであった。その第2弾となる大人のラブバラード「大阪なみだ雨」(作詞・髙畠じゅん子、作曲・田尾将実、編曲・竹内弘一)を去年10月に出している。

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写真・徳間ジャパン移籍第2弾の「大阪なみだ雨」が好評


 去年から活動の中心を東京に移している。九州へ帰るのは月に1度くらいになった。それでも今も九州では「わんちゅう」で親しまれている。
 日本での歌手デビューはキングレコードから出した「追分おんな節」(2011年)で、着物で歌う演歌であった。14年には来日2枚目のシングル「ほの字酒」を徳間ジャパンから出している。記者はこの頃、久留米で歌う彼女を取材している。

 「大阪なみだ雨」はメジャーデビューして4枚目のシングルである。「初めて歌う、わたし好みの、ゆったりとしたリズムの楽曲です。しかも感情を入れやすいロマンチックな歌です」とレイジュ。

 忘れられない人との終わった恋だけど、この涙は決して未練で流すのではない。「夢を見た幸せなひと時を胸に抱いて、明日へと歩み出すために流しているんです」
 この詞とメロディーが彼女の声と重なって歌の魅力は増してくる。だからであろうか、カラオケで歌う人も増えているという。

■初めてのKOBE流行歌ライブ出演

 3月9日、神戸市内で開かれたKOBE流行歌ライブに初出演して、新曲「大阪なみだ雨」の生歌を初めて関西の人たちに披露した。
 会場は港に近い神戸ハーバーホールであった。実は神戸には忘れられない思い出がある。日本でデビューして間もない頃、神戸にやって来た事があるという。
 「大阪で新曲のキャンペーをするために1人で車に乗って九州からやって来て、港の近くにあった神戸のホテルに宿泊したんです。キャンペーン先から衣装の着物のままで車を運転してホテルに入りました」

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写真・関西で「大阪なこだ雨」を初披露するレイジュ

 それから何度か大阪でキャンペーンを重ねて、馴染になった人たちも少なくはない。今回、大阪を舞台にした新曲を歌うことで、大阪・神戸がより身近な存在となったようでもある。
 さらにその懐かしい神戸で、自身の30分のステージを務める事が出来て感慨無量であったようで、その晩に飲んだお酒は格別だったようで、終始満面の笑みを見せていた。

■ワンマンライブで新たなファン作り

 去年10月から東京・五反田でワンマンライブを開催している。今までに3回行っており、2ヶ月に1度の開催を目指して、次回は6月に予定している。
 約40人を収容できる会場では毎回、生バンドを入れて、休憩をはさんで約90分のステージで、オリジナル曲のほか懐かしい昭和歌謡を選んで18曲ほどを歌っている。

 「昭和の名曲は毎回、選曲を変えています。その都度、歌を覚えなければいけないし、バンドとの息の合わせ方やお腹から声を出して歌うことなど、色々と勉強になります」

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写真・昭和歌謡の名曲を揃えた定期ライブ東京・五反田で開いている

 そんな彼女が好きな昭和歌謡は「骨まで愛して」「小指の想い出」「星影のワルツ」など、レパートリーは少しずつ増えてきた。観客からのリクエストもある。毎回新しい歌を覚えて歌うのは苦労も伴うが「ライブの固定ファンも徐々に増えているのも励みになっている」というから、楽しいことでもある。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[レイジュ オフィシャルサイト]
https://twitter.com/rayju55010
[レイジュ 徳間ジャパンコミュニケーションズ]
https://www.tkma.co.jp/enka_top/rayju.html








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舞乃空(まのあ)、現役高校生 「うたかた」で2月8日デビュー 地元大阪でお披露目キャンペーン [インタビュー]

◆大阪・藤井寺市出身で高校3年生の舞乃空(まのあ)が2023年2月8日、80年代アイドル・ニューミュージックを思い起こさせる初恋ソング「うたかた」で日本クラウンから歌手デビューする。この日午後4時からは、同八尾市のショッピングモール、アリオ八尾でデビューシングルのジャケット写真と同じセーラー服姿でデビュー曲を披露する。

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写真・まだあどけなさが残る高校3年生歌手の舞乃空


 身長153センチと小柄ではあるが、所属事務所のサンミュージックプロダクションが「今年、イチ推し」と太鼓判を押す、期待の新人である。
 小学3年からテレビの歌番組に出演するほか、カラオケコンテストやNHKのど自慢に出場してチャンピオンの座を獲得してきた。中学2年で出場したのど自慢ではグランドチャンピオン大会にも進出して、祖父が好きだった石川さゆりの「能登半島」を歌ったのがきっかけで日本クラウンからスカウトされた。

 「大会終了後にNHKの方から呼び出されたのですが、何か失敗をやらかしたのかなと思って、ドキドキしていたんです。するとクラウンさんから電話があったと知らされました。迷いはなく、すぐにOKしました」

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写真・デビュー曲の「うたかた」

 舞乃空が仕事として歌手を意識するようになったのは中学1年になってからであった。「小学生の時から歌っていましたが、仕事にしたいと思うようになったのは中学生になってからで、奈良市内までレッスンに通うようになりました」

 中学を卒業すると母親と一緒に上京し、堀越高校の芸能科に入学する。すぐにデビューする予定であったが、新型コロナの蔓延で延期になっていた。しかしこの間、月に1度大阪の実家に戻って、レッスンを受け続けることで、「歌手デビューへの自信がつきました」という。

 歌うことが大好きで、普段は音楽スタジオや自宅の風呂などで声を出している。同時に鏡に姿を映して表情を研究したり、YouTubeで女性シンガーのライブ映像を見ることで、マイクを持たない方の手の動きなどを真似るといった勉強も怠らない。

 ところで芸名の舞乃空は本名である。その由来は、両親が結婚式を挙げたハワイ・オアフ島ホノルル地区にある地名「マノア(Mānoa)」から取ったもので、意味はハワイ語で「広い」という。

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写真・2月16日には卒業式を迎える。それ以降は歌手に専念するという

 デビュー曲の「うたかた」(作詞・金子麻友美、作曲・金子麻友美、編曲・SHIKI)は、青春の思い出を懐かしく思い起こさせてくれる初恋ソング。80年代に流行った歌を連想させるようなメロディーは、年代を超えて共感を得られそうである。
 カップリング曲の「春凪(はるなぎ)」(作詞・重永亮介、作曲・重永亮介、編曲・重永亮介)は、春に旅立つ若者、それを送り出す親の気持ちを歌にしている。まさに自らを表現したかのような作品である。
 「歌詞を読んでびっくりしました。まるで自分のことを歌っているようでもあったからです。母を思って歌っています」と、想いを込める。

 大橋純子の「たそがれマイ・ラブ」が好きで良く歌っていたが、演歌・歌謡曲、JPOPとジャンルを問わずに歌いこなす。
 これからは「歌詞を伝えられるように、言葉を大切に歌って、聴いてくれる人たちが気持ちを高めたり、幸せを届けられるような歌を歌いたい」と夢を膨らませる。
 尊敬する歌手、玉置浩二もまた「歌うというよりも語っているような、言葉を届けているところが好きです。玉置さんのような歌手になりたい」とも。

 彼女にはもうひとつの夢がある。身寄りのない犬・猫をはじめ動物たちのシェルターを作って保護活動をしたいというのである。動物との触れ合いが大好きで、乗馬技能認定5級も持つほど。歌手にならなければ、そんな専門学校へ行っていたかもしれない。



 きょう2月8日はデビュー日キャンペーンである。人前で歌うのは、のど自慢グランドチャンピオン大会以来。両親や中学時代の同級生たちも応援に来てくれるという。
 デビュー前日にはラジオ放送にも出演したが、本番前は「子鹿のように体が震えるんです」と言うが、1度マイクに向かうと「アドレナリンが湧き出て楽しくなります」と、実に頼もしい。

 2月9日には神戸市中央区の神戸ハーバーホールで開かれる第207回KOBE流行歌ライブにも出演する。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[舞乃空 オフィシャルサイト]
https://www.sunmusic-gp.co.jp/talent/manoa/
[舞乃空 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/manoa/news?ima=2120&ct=ryuko










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津吹みゆ、嵯峨野路に女の情念を燃やす  デビュー8年目の「おんなの嵯峨野路」 [インタビュー]

◆若いカップルや女性たちの人気が高い京都の西、嵯峨野。ここに生きる女が想い人への胸の内を届けてとばかりに心の声を響かせる。そんな恋物語「おんなの嵯峨野路」を日本クラウンの津吹みゆが歌っている。「等身大から少しお姉さんになりました」と、作品を通して成長している。

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「おんなの嵯峨野路」は津吹にとって11枚目のシングルになる


 津吹みゆは2022年9月に京都・嵯峨野でプライベート旅行を楽しんでいる。10月に発売する「おんなの嵯峨野路」のイメージを膨らませためのものであった。15年2月に18歳で日本クラウンから「会津・山の神」でデビューした彼女にとって、大好きな宝塚歌劇などがある関西は馴染みのある地である。

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デビュー8年目で初めて歌の舞台でイメージ作りに挑戦もした

 とりわけ京都は前作「壇ノ浦恋歌」(22年3月)が、滅亡した平家一門と女の熱い恋心を重ねて歌ったものであり、「おんなの嵯峨野路」に登場する祇王寺は、平清盛の寵愛を受けた祇王が清盛の心変わりで出家した尼寺である事であることからも、津吹はそこに今作の縁を見ている。

 この作品は津吹にとっては平家物語で繋がった女の情念シリーズの第2弾であったのである。
 「嵯峨野路を実際に歩くと景色が目に飛び込んできますが、それに伴って頭の中では自分の中で描いた物語の主人公が浮かんできました」

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 こうして歌の舞台になる土地を歩いたのはデビュー8年目で初めての事であった。
 津吹は「仕事で関西に何度も足を運んでいても、こうして現地へ行くことは難しかった。実際に自分の目でゆっくりと見る事で歌のイメージ作りをして、表現に役立てる事は出来ません」と話している。

 こうして歌う「おんなの嵯峨野路」は好調に推移している。発売1ヶ月後の11月29日にはNHK総合テレビで放送された「うたコン」に、ソロでは初の番組出演を果たしている。
 ♫ 指折り2年の歳月(としつき)は〜 で始まる「おんなのー」の冒頭の2行は歌う際に神経を使う箇所だという。
 「ここは所謂、語りの部分で、棒読みにならないようにボリュームを下げて歌っています。抑揚を付けて表現が求められるのてますが、胸にキューンと来て苦しくなるところでもあります」

 歌の3番のラストで祇王寺が登場する。そしてそこへつなげる歌詞が ♫ 風があなたの声になる 〜 である。
 「ここまて想いを燃やす相手がいるのは女性にとっては憧れでもありますね」
 津吹も嵯峨野の竹の道でそんな声を聞いたのかもしれない。


 記者は業界関係者たちと歌の舞台を訪ね歩くウォーキング会「歌を歩く」を主宰しているが、2023年1月にはこの「おんなの嵯峨野路」を取り上げ、祇王寺などを訪ね歩くことにしている。
 この時の模様は「Music news jp」でレポートすることになっている。



※写真・記事の無断使用はお断りします。


[津吹みゆ オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/tsubukiMiyu/top.html
[津吹みゆき 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/tsubuki/news








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仲良し歌手3人 北川紀恵・あずみ万里子・沢富美子 皆さんに覚えてもらえるように歌いたい 道頓堀歌謡ONステージ [インタビュー]

◆歌手林健二主宰の道頓堀歌謡ONステージの2023年新春公演が1月9日、大阪・道頓堀の道頓堀ZAZAで開かれた。これに出演したあずみ万里子は3度目の出演で、横浜を中心に活動している。同ステージでは常連の北川紀恵の友人であり、テレビのカラオケ番組で共演したのが出演のきっかけに。その北川のもう1人の友人、沢富美子はこの日、2人の応援にやって来た大阪・枚方市在住の2011年デビューの歌手である。3人は今では一緒に旅行をするほどの仲良し。あずみが今年5月に横浜・中華街のホテルで開催を予定しているデビュー15周年記念パーティーには、北川も応援に駆けつけるという。

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写真・左から沢富美子、あずみ万里子(中央後)北川紀恵


 新春公演には2回の公演に分かれて、15人の歌手・舞踊家が出演した。北川紀恵あずみ万里子は2回目の公演で最新曲などを歌った。
 「北の桟橋」「恋して神戸」といった1昨年発売のオリジナル曲を聴かせた北川は、「発売2年目の『北の桟橋』を皆さんにさらに歌ってもらえるようにアピールしていきたいです」と、話す。

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写真・北川紀恵

 北川は以前、KBS京都テレビ(京都市)で放送するカラオケ番組で司会をしていたが、その相棒があずみ万里子であった。
 あずみは3年前に、歌手活動を支援してくれていた主人を亡くして落ち込んでいた時に、「ノラ」などで知られる歌手木下結子の「ウヰスキー」を聴いて、元気付けられたという。

 「♫ 人生はやり直しがきくのよ いいことあるって思わなくちゃ〜 」の歌詞が心に響いたといい、以来、同じ歌手でありながら木下の追っかけをするほどの熱いファンになった。
 同ステージで歌う彼女の応援に木下本人も駆けつけるといったサプライズもあったほど。

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写真・あづみ万里子

 あずみは今年5月でデビュー15年を迎える。この間にに出したCDはデビュー曲の「今も神田川」「愛が消えないように」のシングルが2枚と少ないが、15年を機に新曲の発売も計画する。「リリース枚数を競うのではなく、ロングセラーを目指しています」と話す。
 新曲は北川大介、木下結子、まつざき幸介らをゲストに招くデビュー15周年記念パーティーで披露される予定である。

 北川は去年、大阪市内のホテルでデビュー10周年を記念したパーティーを開いている。それが終わってあずみたち数人と淡路島観光を楽しんでいる。
 その中に沢富美子もいた。09年に主人を亡くし、翌々年に「約束」で歌手デビューした彼女は今年、5枚目のシングル「幸せ運ぶ枚方の街」をリリースする予定である。沢たちは「枚方市民は誰もが喜びそうな、明るい歌です」と期待を寄せる。

 生後8ヶ月で40度の高熱に襲われて、それが原因で視神経に障害が生じて、今は極度の弱視に。それでも耳は研ぎ澄まされており、好きな音楽の分野で花を咲かせたわけである。

 鍼灸マッサージ師の資格を持ち、枚方市内で鍼灸院も開業している。院内では「常に音楽が鳴りっぱなしだという。「島倉千代子さんや石川さゆりさん、香西かおりさん、神野美伽さんなどの演歌が好きですね。美空ひばりさんの『悲しい酒』も大好きです」と沢。

 3人は「皆さんに自分たちの歌を覚えてもらえるように歌っていきたい」と、口をそろえていた。

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北川紀恵、テレビ・ラジオに活動を広げる  来年からはジョイントコンサートも [インタビュー]

◆歌が上手くなりたいー。そんな軽い気持ちから、自分が歌った歌を録音したテープを、歌唱審査などを行う団体に毎月、7年間に渡って送り続けて指導を受けていたのが、北川紀恵(メロディーレコーズ)が歌手デビューするきっかけであった。2022年10月にはデビュー10周年記念パーティーを開いている。21年には新曲4曲をリリース。ステージをはじめテレビにラジオにと活動を広げているところである。。

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写真・北川紀恵


 北川紀恵は滋賀県長浜市の出身。歌を歌う事が大好きで、同じ滋賀県出身の作曲・編曲家の蘭一二三が代表を務める日本音楽振興会(東京都港区)の指導を受け続けていた。歌唱テープを送っているうちに、少しずつ段位が上がっていくのが歌う励みになったという。

 「頑張って長年続けてきたご褒美だったのでしょう、蘭先生から楽曲を頂き、CDデビューすることになりました」
 2009年のことであった。「お母さん」「大阪めぐり逢い」の2曲をランレコードから出した。2人の子育てから手が離れた事もあって、翌年から歌手として活動を始めた。11年には「恋の大阪」もリリースしている。

 振興会では毎年、年末にクリスマス大会が開かれていた。北川も東京・渋谷のけやきホール(古賀政男音楽博物館)で行われた大会に出演して、たくさんの会員を前に「お母さん」と「大阪めぐり逢い」を歌っている。
 「無我夢中で何を歌ったか分からなかった」ほど緊張した、デビューまもない頃のステージであった。

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写真・毎週土曜日にサンテレビで放送中のプレミアム歌謡ショーにも出演

 17年になって今度はメロディーレコーズから「祇園すずめ」(作詞・作曲・編曲:蘭一二三)を発売した。カップリングは「じょんから峠」(作詞・金谷怜
沙、作曲・編曲:蘭一二三)であった。
 自分のCDがCDショップで買ってもらえるようになったのである。

 そんな喜びの反面「素人時代と違って、歌を聴いてくれる人たちの厳しい目を感じるようになりました。カラオケコンテストで優勝したキャリアもなければ、華々しいものは何もないので、劣等感ばかりの毎日でした」という。

 歌手としての自信が持てるようになったのは、歌う実績も積み重ねたデビューして10年が経った頃だという。
 「それまでは歌うたびにドキドキして、歌を表現するどころではありませんでしたが、ようやく表現することができるようになったかな、と思うようになりました」

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 そして21年には、たきのえいじ作詞の「北の桟橋」「恋して神戸」「上を向いて歩こうじゃないか」「夫婦ごよみ」の4曲をリリースしている。目下、これのキャンペーンを続けている。

 テレビの歌番組にも出演する。「見たわよ」「良かったよ」と言ったLINEメールをもらうたびに、北川は「その1つひとつがエネルギーとなって、今まで歌う事が出来ました。自分の歳を考えると、どこまで歌っていけるか分かりませんが、皆さんの応援を支えにこれからも歌います」と、意欲を見せている。

 12月からはまた、コミュニティFM、FM845(京都・伏見)の毎週木曜日正午から放送している新番組「ただいまHAPPY~ブレイクちゅ~」の第2木曜日のメインパーソナリティを任されている。アシスタントは京都で活動する歌手速水桔平が担当する。
 来年はこの速水と「ジョイントコンサートを年2回は行っていきたいです」と、大きな計画を立てている。




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入山アキ子、新たな主人公演じる15周年記念曲「一泊二日」 チーム制導入で効率化も [インタビュー]

◆歌手入山アキ子(テイチクレコード)がデビュー15周年を迎えている。1作1作と実績を積み上げている姿は逞しくも映る。この周年を記念した新曲の「一泊二日」(作詞・久仁京介、作曲・四方彰人)で、 ♬ 宿に着くまでは他人です ~ と唄うそれは、主人公に成り切って演じるように、道ならぬ恋を唄っている。歌のストーリーは昔からの王道演歌である。それを入山が自らの声でどのように表現するか、歌手としての大きな試金石でもある。12月18日には大阪・西心斎橋のホテルでライブを開催して、それを披露する。

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入山アキ子


 所属するワクイ音楽事務所(増田峰夫社長)のスタッフやテイチクのディレクターなどからなるチーム入山のメンバーは、今回の新曲のタイトルを今までにない「一泊二日」にした。
 妻子ある男性と一泊二日の旅をするという歌詞の内容といい、そのものずばりに表現したタイトルは、入山にとっては大きな冒険であったことは確かだ。
 デビュー当時から彼女を見ている業界人は、どうしてこんな歌を歌うのかーと、反対したという。それほど入山のイメージとはほど遠い作品だったのである。

 道ならぬ恋、許されぬ恋を歌った今回の作品は、入山がこれまでから女性ファンが多かった事もあったのか、「あまり色気を出さない歌を歌ってきた」ことも彼女のイメージを固定化してきた。
 それを今作では硬い鎧を脱ぎ捨てて、女性の純粋な気持ちを演じるドラマの主人公になり切っている。

 久仁京介の作品を歌うのは初めてである。20代の頃に出場したカラオケ大会は久仁の名前を冠にしたイベントだった程度で、今回の制作に際してまず電話で話したのが最初だった。
 「入山のアルバムを聴いてもらって、作品のイメージ作りの参考にしてもらった」

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 「艶歌は難しいですね。もとは農家の娘ですから、何もかも初めての事が多く、出された課題にその都度挑戦してきた15年でした。今回、作曲をして頂いた四方彰人先生のギターに合わせてレッスンしてもらってOKをもらいましたが、永遠に挑戦で(歌手として)終わりのない旅を続けていきます」

◆チーム制を導入

 入山は前作の「人生七曲り」からチーム制を採り入れた。プロモートの計画など、今まで入山が全て1人で関わってきたが、それをチーム入山のスタッフが分担し協議して決めるようになっている。
 これによって歌う事に専念出来るようになった。1人で何もかもをこなすには限界がある。例えば今までならば、依頼があったポスターを発送など細かな仕事まで、全て自分でやらなくてはいけなかったという。
 それが色んな場面でサポートしてもらえるようになり、「やっと他の歌手の方たちと同じような活動が取れるようになりました」と話す。

 ちなみに社長の増田峰夫は、ナベプロ大卒1期生で、昨年3月に急逝した前社長の和久井保とは同期である。86歳で社長を引き継いだ。

 カップリング曲の「わたしのふる里」(作曲・作詞 水谷公生)もまた、入山のイメージを変える作品である。田植えから刈り取りや秋祭りまで、農作業に勤しむ夫婦の姿をコミカルに歌ったものである。

◆続ける努力

 入山はデビュー当初から精力的に各地を走り回っている。歌い終わると最近では毎晩、映像・音声配信を欠かさない。毎日続ける「つれづれ日記」は、先ごろ1000回を突破している。
 どんなに忙しくても欠かさずに、その日の出来事やイベント予定などの情報を伝えている。〈親戚〉と呼ぶファンの人たちなどとのコミュニケーションを欠かさないためである。
 継続することは能力の1部である、とも言われるが、まさにこの人の性格そのものを表しているようである。
 日記ではその日にSNSなどにコメントやメッセージを寄せた人の名前も欠かさず読み上げているのも、彼女ならではであろう。



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[入山アキ子 オフィシャルサイト]
https://xn--cckwa042wikihmb.jp/
[入山アキ子 テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/iriyama/








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KANA(テイチクレコード)、来年はデビュー25年 存在感を高めたい [インタビュー]

◆先ごろコンサートツアーのファイナル公演を大阪で終えたばかりの歌手のKANAにインタビューした。来年は50歳という区切りの年、女性デュオとしてデビューして25年になるという。「そろそろ存在を示したい」と意欲をみせた。

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25周年に向けて意欲をみせるKANA


 熱気に満ちたファイナル公演は沢山の観客に満足と興奮を与えた。その主役を務めたKANAの感想は「延期延期で宙に浮いていただけに、終わってホッとしました」と、意外と淡々としていた。
 それでも「大好きな大阪の地で締めたかった」だけに、それを叶えることが出来た安堵感は大きいようだ。

 観客の多くが女性で占められていた。どうしてこうも女性から強い支持を得られるのだろうか。
 「学生時代からそうだったんですが、性格がサバサバとしていて裏表もなく、男っぽいから共感してくれる人が多いのでは」
 そんなKANAは同年代の女性にとっては、強い憧れと共に親近感を抱かせるようである。

 コンサートは歌って、語るというシンプルな形であった。
 「飾り気を削り取って、分かりやすさを1番にしました」

 2年前と今年のボーカルコンテストの優勝者との約束である、コンサートのステージで歌ってもらう事もコンサートでは実現できた。
 コンテストの入賞者は30人いたが、「私の歌は取り分けメロディーに詞をのせて歌うリズム感が重要になります。皆さん感覚の良い人が多かったです」と、難しい歌への挑戦を讃えていた。

 KANAの芸名でデビューしたのは2009年であった。数々の感動曲を送り出してきたが、2022年11月16日にリリースした新曲「午前0時のリフレイン」も好評だという。
 70年代後半から80年代にかけて流行ったシティポップのメロディーにのせた都会派サウンドが支持されている。
 「今、シティポップがブームなんですが、そこには今まで聴いて育ってきた音楽のテイストがあります」

 ファイナル公演で今年の区切りを付けた形だが、今年は彼女にとって自分を振り返る年だった、と述懐する。
 「これからどうすれば良いのか、改めて自分と向き合った1年でした。やりたい事が出来ない今まででしたが、とにかく前を向いて動き出すしかありません」
 しかも来年は50歳という節目の歳だし、音楽業界で活動を始めて25周年になる。
 それだけに「年齢的にも今まで身につけていた鎧が取れて、より自然になれる。業界での私の存在も、そろそろ業界で知れ渡ってもいいのではないか、と考えています」とも。

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[KANA オフィシャルサイト]
http://pre-pro.co.jp/talent/kana/
[KANA テイチクエンタテインメント]
https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/kana/








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みちごえゆう(テイチクレコード) 「花は、花 / ただいま大阪」でメジャーデビュー 夢はデッカく日本の歌姫 [インタビュー]

◆地元の門真で知られていなくて、どうして東京なの。寂しいやんー。そんな言葉を同級生や応援してくれている人たちからもらって、CDデビューして上京し10年が経った6年前に、みちごえゆうは生まれ故郷の大阪府門真市に戻った。それから関西を中心に活動を続けてきたが、2022年10月19日に「花は、花」をテイチクレコードからリリースして念願のメジャーデビューを果たした。夢は門真の歌姫から日本の歌姫へ。そして25年の大阪万博の歌を歌いたいーと限りなくデッカいのである。

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みちごえゆう


 みちごえゆうは、関西から多くの歌手を輩出した関西歌謡大賞(現・にっぽんうたまつり)に21歳で初めて出場している。この時の審査委員長の作詞家もず唱平からは「変わった声をしているが特徴ある声だから、それを生かして頑張るように」と評価され、奨励賞を受賞している。

 これがきっかけとなって本格的に歌手を目指すようになり、23歳の時にCDデビューして上京している。ライブハウスで歌手としてスタートを切るが、知人も少ない東京ではチケット販売のノルマをこなす事が出来なくなって、出演もかなわなくなってしまった。

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 そこから始めたのが道の駅や旅館などのほか、色んなイベント会場で歌う事だった。そんな活動を7年間続けていたが、ある日夏祭りのイベントで大阪に帰ってきた時であった。その時、知人からかけられた言葉が「帰ってきて、地元の歌姫になれば」というものであった。

 彼女にとって歌手は東京にいなければいけない、という固定観念があって「帰りづらい」気持ちがいっぱいだった。でも周りの古い友人や応援をしてくれている人たちは「そんな考えは古いよ」と言って。帰ってくることを勧めた。

 その言葉に背中を押されて10年ぶりに故郷に帰り、地元での活動を始める。もちろん地元でも無名であるから、まずはポスターを持って美容院、飲食店やカラオケ喫茶店などを手当たり次第に回っていった。
 「東京では他人に声をかける事は出来なかったのですが、門真に戻って6年、物怖じしないまでに鍛えられました」と、みちごえ。

 すると老人福センターから声がかかったり、夏祭りで歌ってほしいなどと少しずつ歌える場所が増えていった。コミュニティFM局からは番組のパーソナリティーにといったオファーも寄せられるようになってきた。

 そうした地道な活動を続ける中で、紹介してくれる人がいてテイチクからCDを出す話をもらった。念願のメジャーレーベルである。
 審査の結果が出るまでには3ヶ月ほどかかったという。「まるでオーディションの結果を待つような心境でした」と、心の内を打ち明けてくれた。
 
 ここに至るまでの苦しかった時の気持ちを歌ったのが、♫ 浪花の風はあたたかい 次の春はきっときっと咲く 〜 と歌うメジャーデビューシングルの「花は、花」(作詞・北爪葵、作曲・桧原さとし、編曲・宮崎慎二)である。カップリング曲の「ただいま大阪」(同)では ♫ ええねん ええねん 泣いてもええねん 〜 と自らを励ます。

 いずれも気持ちが温かくなる、人生の応援歌とも言える2曲を、みちごえは今、大阪の空の下で歌い続けている。いずれは「大阪から全国へ飛び回る」ことを夢見て。



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[みちごえゆう オフィシャルサイト]
https://www.youmichigoe.com/
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https://www.teichiku.co.jp/teichiku/artist/michigoe/








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真咲よう子(日本クラウン) 63枚目シングル 新曲「雨のアカシア」 アカシアの花を濡らす夜雨が切なさを誘う [インタビュー]

◆歌手真咲よう子「片恋川」から約2年半ぶりとなる新曲「雨のアカシヤ」(作詞・大久保與志雄、作曲・桂木潤、編曲・椿拓也)を2022年7月27日にリリースしている。63枚目のシングルである。今日10月30日には名古屋市内で新曲発表会を開く。「雨のアカシヤ」は、2年もひとり、小さな店の止まり木で男性を待ち続ける切ない女性が主人公。夜雨に濡れるアカシヤの花が詩情を盛り上げる。

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いつも笑顔が素敵な真咲よう子


 アカシヤの花が咲くのは3月から5月にかけてと言われている。歌のサビでもある ♫ 雨よ降れ 〜 を「メリハリを付けて歌う事で、ここが決まると全体が落ち着く」と真咲。
 舞台は小料理屋。毎晩暖簾を出して、ひとり止まり木で好きな酒を飲み、夜中に化粧を落とす。そんな生活を繰り返し、もう2年がたつという。

 真咲よう子が歌い続ける切ない女の世界である。いつもなら女性ファンが好んでカラオケを歌う彼女の作品であるが、今回は男性が歌うケースが多く見られる。
 少し様子が異なる新曲について真咲は「歌詞は女心を書いているのですが、メロディーラインが男性向きなのでしょうか。男性が歌いやすいようです」と開設している。

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63枚目のシングル「雨のアカシヤ」

 カップリングの「祝いの盃」(作詞・水木れいじ、作曲・長浜千寿、編曲・丸山雅仁)は、2000年7月に出した「淡雪の花」のカップリングとしてリリースしているが「今までカラオケに入っていなかったので、今回、新たに収録してカラオケにも入りました」という。

 新曲を出すたびに毎回、出身地名古屋で開いている新曲発表会は、今回はきょう10月30日、名古屋市栄の「札幌かに本家栄中央店」で、昼夜の2回公演を予定している。当初、8月の開催を予定していたが、コロナによって開催が延びていた。
 「新曲にちなんで、雨にかかわる歌を歌う」ことになっている。

 休む事なく毎月1回行なっているライブ「よう子の部屋へようこそ」は、11月7日で83回目になる。真咲は「毎回楽しいライブに向けて大きな声で歌の練習をするので、充実した月日を過ごしています」と笑っている。

 趣味のマンホールの蓋の写真を撮り続けて、インスタグラムにアップするプチひとり旅も続けている。仕事、趣味とやる事はいっぱいで、来年6月16日からは子供の頃から出演しているという、三重県桑名市の長島温泉で行われている「長島温泉 歌謡ショウ」で10日間の公演が決まっている。



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[真咲よう子 オフィシャルサイト]
http://www.okubo-m.com/artist/masaki.html
[真咲よう子 日本クラウン]
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れいか(日本クラウン)、23年1月新曲発売へ  不思議な縁続きの杉本眞人作品第3弾 [インタビュー]

◆歌手れいかのデビューは2001年で、この年から08年の間にインディーズレーベルから2枚のCDを発売している。当時の芸名は水野れいか。それから22年になる来年1月には、日本クラウンから出す3枚目のシングルをリリースする。作曲は前作から続いて杉本眞人である。中学生の頃、親戚の集まりで歌ってと求められて、沢山の人の前で初めて歌ったのが、同じ杉本の作品の「お久しぶりね」(小柳ルミ子)だった。その時から不思議な縁は続いている。

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パワフルに活動を続けるれいか


 「お前、歌下手だね」
 れいかが日本クラウンから初めて、2018年にリリースしたシングル「優しい嘘をください」(作詞・高田ひろお、作曲・杉本眞人)のレコーディングで会った憧れの杉本眞人から、遠慮会釈もなく指摘されたのである。
 自分でも決して上手いとも思ってもいなかったが、こうもストレートに言われてただ笑っているしかなかったという。

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最新曲はそのユニークなタイトルも話題になった

 4年前、れいかがメジャーレーベルの日本クラウンからのリリースが決まり、担当のディレクターからは作曲家の候補が示された。
 その中に昔から憧れていた杉本の名前があったのである。迷わず「杉本先生がいいです」と言い切ったれいかは、早速、曲を書いてほしいという熱い依頼の手紙を毛筆で書いた。
 彼女は事あるごとに手紙を書いており、仕事でお世話になった人などへは礼状を出すことを欠かしていなかった。だからこの時も迷わずに送ったのである。「心で思っているだけでは、気持ちは相手に伝わらないから」
 そうした彼女の想いはちゃんと杉本に伝わったようで、「いいよ書くよ」と言って、作曲は杉本眞人に決まった。

 「歌が下手なのにどうして、曲を書いてくれたのだろう」
 杉本と食事をしたの際に彼女は尋ねてみた。疑問に思うことはストレートに訊き、自分の意に反することにははっきりとNOと意思表示する。彼女にグレーゾーンはないのである。
 「手紙が嬉しかったんだよ。手紙の最後に押してあったスタンプが可愛いかった」
 杉本はそう言って喜んでくれたという。

 高校を卒業後、5年間のOL生活を経て地元で開かれたカラオケ大会に出たのが歌手になるきっかけであった。地元ローカルテレビ局の歌番組への出演を勧められ、CDも出すことになった。ところがお金は振り込んだものの、レコード会社には届いておらず、騙されたことが分かった。

 その後、会社も辞めてこの時に作った1000枚のCDを車に積んで売り歩く事になるのだが、カラオケにも収録されていないインディーズCDは、訪問先での反応は冷たいものだった。
 しかし血液型B型の特性だろうか、「人とコミュニケーションを作り、カラオケ店を回っているといつかは売れる」と信じて、あてもない希望だけは持ち続けていた。

 その頃からの頑張りは今も続く。コロナ前には年間280ヶ所ほどのカラオケ喫茶店、スナックなどを回り続けた。親しくなったカラオケ喫茶店での定期ライブも開いている。
 「1度もアルバイトをすることもなく、歌手業1本で頑張ってます。最近では自分でアクセサリーを作って、ライブ会場などで販売しています」

 インディーズCDの後、作曲家の故奥村英夫との出会いもあって、3枚目のシングル「歌舞伎町のノラ」を発売するなど、その後は2年おきに新曲を出し続けている。

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来年の新曲に意欲をみせる

 来年1月25日に出す予定の新曲も、今作「貯金の好きな女」から2年を経過してのリリースになる。
 「新曲では今まで自分で思っていた持ち味の音域よりもキーを下げて歌う事にしました。それによって悪いクセが取れて、良い声になった、と初めて杉本先生にほめてもらいました」

 新曲に向けてパワフルに活動を続けるれいかだが、これからの夢を聞くと「今の定期ライブを続けながら、大きなステージに立って、1人でも多くの人たちに私の歌を聴いてもらいたい。そしていつかはテレビの主題歌を歌いたい」と話している。
 
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[れいか オフィシャルサイト]
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[れいか 日本クラウン]
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木下結子、移籍第2弾シングル「百滝桜」 皆さんに育ててもらってもう一度咲く 自分に重ねて歌う [インタビュー]

◆デビュー40年を来年に控えた歌手木下結子が2022年9月21日、ホリデージャパン移籍第2弾となる「百滝桜(ももたきざくら)」(作詞・髙畠じゅん子、作曲・都志見隆、編曲・猪股義周)をリリースした。花が散っても、嵐を受けても、また美しく花を咲かせる、そんな老桜の生き様を自らの歌手人生と重ねて歌う。

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桜に自分を重ねて歌う木下結子

 「放されて」で日本コロムビアから歌手デビューした木下結子は、5年後に「ノラ」を発売した。それは今なおカラオケで歌われ続けるロングヒットである。その後、大阪へ戻ってしまう。東京での活動はわずか8年であった。

 大阪ではCDも出さずにライブと年に1回のディナーショーなどに限られた活動を続けていたが、代表曲の「ノラ」「放されて」があったから、「仕事は潤沢にあった」という。そんな時に作詞家髙畠じゅん子との出会いが木下結子を生き返らせた。
 彼女が詞を書き浜圭介が曲を書いた「ウヰスキー」で、日本クラウンから復活を果たすことになるのである。 ♫ 人生は やり直しが きくのよ 〜 と、やはり木下の人生をなぞったような応援歌であった。

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 新曲「百滝桜」もまた、髙畠が木下に贈るエールなのである。
 それは大阪府和泉市の民家の庭で毎年花を咲かせている若樫の百滝桜が、歌のモチーフになっている。

 この桜のように歌は、しっかりと土地に根ざして、たくさんの人に育ててもらったからこそ、毎年美しい花を咲かせる。その桜木の強さを主題にしている。
 髙畠はその理由を「気を負わずに、しかもしっかりと再生するところに感動しました」と説明している。

 木下もまた、僅かながらも東京での体験が「大阪に戻って1人で活動する際に大いに役立ちました。今、それをつくづく思います。沢山の人に動いてもらわないと、1人では何も出来ないですから」と、桜と自分を重ねるのである。

 「百滝桜」は今まで木下が歌ってきた作品にはなかった〈演歌調〉の仕上がりになっている。それに興味を示した彼女はレコーディング前に、実家近くにある百滝桜を見るのだが、「コロナ下にあって、このまま何も出来ずに終わらせたくない」と、新たな挑戦への意慾を燃やすことになる。
 しかもその支えとなったのは「歌詞が意味する、支えられ、育てられて千年、二千年愛されてきた」というフレーズであった。

 自らの歌手人生を桜に重ねて歌う「百滝桜」のドラマは人一倍説得力がある。

 「百滝桜」のカップリング曲は「アカマンマ」 (作詞・髙畠じゅん子、作曲・都志見隆、編曲・猪股義周)。やはり高畠が作詞を担当しており、娘に向ける母親の愛を歌う。
 スペシャルトラックとして、「ステージではしばしば歌ってきた」(木下)という、やしきたかじんの「東京」をアレンジを変えてカバー収録して、よりスマートになった。

 木下は今、新曲キャンペーンで東奔西走の忙しさである。10月21日には木下人気の高い兵庫県姫路市にあるカラオケスナック「鴻」で百滝桜キャンペーンライブを開く。
「新曲発売時はいつもこんなもんです」と謙遜するが、前作を上回る勢いであることは間違いないようだ。

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[木下結子 オフィシャルサイト]
https://ameblo.jp/kinoshitayuiko/
[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html








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大和を歌う川井聖子 奈良の魅力を全国へ [インタビュー]

◆奈良市で生まれて奈良市で暮らす歌手の川井聖子が、歌で奈良の魅力を広く伝えようと活動を繰り広げている。

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川井聖子

 最新曲「大和恋歌」(作詞・荒木とよひさ、作曲・羽場仁志)では千年の都、奈良を舞台に悲しい恋歌を歌い続けている。カップリング曲も奈良が舞台の「万葉の旅人」(同、同)で、♫ 奈良の都へ 明日来ませんか 〜 と呼びかけるのである。

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「大和恋歌」

 2022年9月30日で42歳になった。歌手デビューは21歳であった。まだ大学生だったという。デビュー曲は奈良をテーマにした「絹の道」でカップリングも「あなたとなら大和路」と奈良を歌った。
 12年に奈良市観光大使を拝命したのに続き、16年には奈良県立美術館広報大使に、そして今年4月からは天理市PR大使とやまとこおりやま観光PR大使にも任命されて、歌を通じて全国への奈良の広報活動にひと役買っている。

 コロナ騒動で音楽活動も長く制約を受けていたが、デビュー21年目の今年は「地元奈良から、コツコツと心通う活動を広げていきたい」と、話している。

 その手始めに21年12月にはデビュー曲から「つゆ草」(16年)まで、新録音を含めたオリジナル曲16曲を収録したアルバム「ここから」をリリースしている。
 今月31日午後9時15分から放送予定の「福島はじめのハピネス歌謡曲」(ラジオ関西)でも奈良をPR。川井はパーソナリティーの福島はじめからは、「地元の福島県でのコンサートに来年は呼びたい」と、誘われていた。

※写真・記事の無断使用はお断りします。

[川井聖子 オフィシャルサイト]
https://holy-children.com/








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一条貫太、フォークタッチな「でっかい東京」 新たなタイプへのチャレンジ [インタビュー]

◆数多い若手歌手の中でも歌唱力の高さが、ひと際評価されているデビュー5年目の一条貫太(日本クラウン)。今まで演歌・歌謡曲を多く歌ってきたが、2022年7月に出した新曲「でっかい東京」では、「グループサウンズのようなノリのある作品で、テンポ感・メロディーともに今までのモノと全然違っています」というほど、彼にとっては全く新たなタイプの歌であった。

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新たなフォークタッチの歌に挑戦する一条貫太


 新曲「でっかい東京」のキャンペーンで大阪を訪れた一条貫太は、大阪府内でインストアライブなどを丹念にこなした。来阪は今年1月に前作を発売した時以来だったという。10月に開かれた大阪発流行歌ライブでは、前回と同様に新曲を聴かせた。
 「大勢の方に歌を聴いてもらい嬉しかったです」と、感想を話していた。

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 「でっかい東京」はフォークタッチの作品である。ギターの弾き語りという、彼にとっては初めてのスタイルにも挑戦している。
 元々、中学時代からバンドマンであった父親と、一条のギターとピアノやベースとのセッションを家庭で楽しんでいたし、デビュー後のコンサートではギターの弾き語りを見せたこともあった。

 「フォークソングは昔から歌っていましたが、デビューしてからは演歌ばかりで、今度の新曲は全く新しいタイプの歌ですし、どのように歌ったらいいのか、迷いもありました。ディレクターや宮下健治先生からは大きく歌ってと言われました」

 8月に東京で、9月には埼玉でソロコンサートを開いているが、今までのオリジナル曲を歌う中に、「でっかい東京」を組み入れることで、「コンサートにメリハリがつくようになりました」といい、衣装も白いジャケットに替えて清々しいイメージを強調している。
 大阪でのコンサート・ライブの開催にも意欲を見せていた。

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大阪発流行歌ライブで歌う一条

 コロナ下にあって、時間ができた事もあるが、勉強を兼ねて野口五郎、沢田研二、玉置浩二をはじめ、多くのコンサートを観に行くことが増えたという。10月に開かれた大阪発流行歌ライブでも、先輩歌手の半田浩二のステージを舞台袖から真剣なまなざしで見つめていた。
 「半田さんの息子さんと僕は同級生らしいですが、先輩のステージを見ることで、歌はもちろんですが、ステージングの押し引きをはじめ多くのことを勉強することが出来ます」

 新曲「でっかい東京」と同時発売しているのが、デビュー曲「ふたりの始発駅」から前作の「旅路の先に」まで、表題曲とカップリング曲の全て14曲を収めたアルバム「一条貫太 シングルコレクション」。ファンにとって垂涎の1枚であることに違いない。



 デビューして大半はコロナの時代であったが、常に一条貫太は「出来ることを一つひとつをやって行く事を大切にしてきました。先輩歌手や自分よりも若い人たちも多い中、自分の色を出して行きたいです」と、前を見続けている。
 彼にとっての自分らしさとは何かを訊いてみた。
 「古き良き昭和の懐かしい歌を、飾る事なく素直な気持ちで発信していくこと」
 と言い切った。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[一条貫太 オフィシャルサイト]
http://www.crownmusic.co.jp/artist/ichijyoKanta/top.html
[一条貫太 日本クラウン]
https://www.crownrecord.co.jp/s/c01/artist/ichijo/news?ima=4152&ct=ryuko








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木下結子、9月21日新曲「百滝桜」を発売  作詞家髙畠じゅん子対談 最終回 [インタビュー]

◆歌手の木下結子が移籍第2弾シングル「百滝(ももたき)桜」をホリデージャパンから今月リリースする。その日は、奇しくも38回目のデビュー記念日の9月21日なのである。彼女は来年9月21日までを「サンキューの年」と位置付けて、今まで以上に「皆さんに感謝の気持ちを示したい」と話している。作詞は髙畠じゅん子。木下作品では、「おはじき」(2018年7月)以来、4年ぶりである。対談の最終回である今回は、新曲「百滝桜」について話し合ってもらった。

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桜を木下結子にたとえた9月21日発売の新曲「百滝桜」


木下 今回はいよいよ9月21日に迫りました新曲「百滝桜」(作詞・髙畠じゅん子、作曲・都志見隆、編曲・猪股義周)の話を中心に進めさせて頂きたいと思います。
髙畠 39年目のデビュー記念日ですって。
木下 当初発売日は10月になる予定だったんです。レコーディングが早く終わった事もあって、1ヶ月発売を早めます、と言われたんです。それが何と、デビュー記念日の9月21日だったんです。
髙畠 偶然の出来事なんですから、これは素敵な事ですよね。
木下 39年目で、サンキューです。来年9月21日までを39年にちなんで「サンキュー」の感謝の1年にしたい、と思っています。
 先生の作品では、今作は2018年に出した「おはじき」以来、4年ぶりになります。
髙畠 今回はホリデージャパンの亜樹広俊社長から「演歌寄りの作品でいきたいんだけど」と注文を頂きました。そこで桜、しかも一本桜を題材に考えました。盛岡の石割桜、奈良の又兵衛桜があります。
 大阪にいい桜がないかを探してみると、大阪府和泉市に若樫の百滝桜がありました。大阪府の指定天然記念物の桜でもありました。これは良いなぁーと、ひらめいて歌の題材に決めました。

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木下 若樫の百滝桜の樹の枝はまるで滝のように垂れ下がっているんですよ。それがとても綺麗んです。
髙畠 まさにそこに惹かれました。
木下 曲を頂いて詞にある百滝桜を調べてみたんです。実家の近くにあって、早速、見に行ってきました。桜の花の季節には少し早くて、花もない樹を唯呆然と見上げていました。
髙畠 貴女が60歳という節目を迎えて、またまた魅せる時が来たように思うの。百滝桜は木下結子なのですよ。「私が桜よ」といった想いで詞を書きました。
これまで色んな人たちに育ててもらって、今があります。桜は老木になったけれど、しっかりと土に根ざしている。だからこそ、気負わずにもう一度咲いてみたい。そんな桜の樹と木下結子とを重ねたの。
木下 コロナで活動が制限されていますが、このままで終わらせたくないんです。やはり先生に書いて頂いた「ウヰスキー」も、人生はやり直しが効くーがテーマでした。実際には簡単ではないけれど、このフレーズを歌うたびに勇気付けられたことは確かですね。
 今度の「百滝桜」は人に支えられて育てられてきたーが心に沁みるところですね。

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散って、また花をつける そんな桜のように逞しく咲いてほしい

髙畠 コロナに負けてなるものか。しっかりと咲いていかなければいけない。これは桜も木下結子も同じなんです。
木下 また来年も咲きたい。咲かせて下さい、ですよね。
髙畠 そう、そこが今回の歌の主題なんです。百滝桜を大事に大事に育てていきたい。来年も再来年も咲いてくれる。そこを書きました。
木下 今から5、6年前に大阪を大きな台風が襲ったんです。それによって百滝桜は痛み、弱々しい樹になってしまいました。それに手を加える事で、今年もしっかりと咲いていました。夏は葉桜が綺麗ですよ。

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髙畠 散ってまた、花をつける。花のない時には咲く準備をしているし、循環なんです。
木下 もうすぐ新曲の発売ですが、来春にはまた花を咲かせます。
髙畠 木下結子の「百滝桜」、1人でも多くの人に聴いていただきたいですね。
木下 今年12月11日には先生が詞を提供されているチェウニさん、レイジュさんと私の3人で、「スリーダイヤモンズ Xmas コンサート」を東京・麹町のホテルルポール麹町で開きます。それも楽しみにしていて下さい。



【プロフィール】
髙畠じゅん子(作詞家)
静岡県静岡市出身。石井好子主催のシャンソンコンクール作詞部門で優勝し、それをきっかけに作詞家への道を歩きはじめる。作詞家デビュー曲は「さようなら幸せに」(作曲・中川博之、歌・森雄二とサザンクロス、1975年)夫は作曲家の故中川博之。2人で数多くのムード歌謡曲を手がけてきている。
日本作詩大賞入賞4回。日本作詩家協会事。

木下結子(歌手)
大阪府泉佐野市出身。
OL生活やCMソングなどを歌う活動を経て、レコード会社に送ったデモテープがきっかけで、1984年「放されて」(日本コロムビア)でデビュー。89年には「ノラ」を発売。2012年に出した「ウヰスキー」(日本クラウン)から髙畠じゅん子作品を歌い始める。18年には「おはじき」(同)が日本作詩大賞にノミネートされた。

※写真・記事の無断使用はお断りします。


[木下結子 オフィシャルサイト]
https://xn--ameblo-hp7i091gvuxvd3c.jp/kinoshitayuiko/entrylist.html
[木下結子 ホリデージャパン]
http://www.holiday-japan.co.jp/artist_kinoshita_yuiko.html













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木下結子と作詞家髙畠じゅん子との出会い  木下結子・髙畠じゅん子 YouTube対談 Vol.2 [インタビュー]

◆歌手の木下結子が作詞家髙畠じゅん子にインタビューする第2回目は、歌手としてのあり方、歌の演じ方といった核心に迫る内容になってきた。多くの歌好きの人たちを魅了する彼女だが、実は表現することへの悩みも多い事も分かってきた。2人の話は木下と髙畠の出会いから、様々な作品への想いに及ぶ。

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2人の出会いから歌の表現まで話は広がった
木下結子(左)と髙畠じゅん子


木下 私が髙畠先生と最初にお会いさせて頂いたのは、もう14、5年前になりますね。
髙畠 そんなになりますかね。確か私の知人に紹介されたのが最初でしたね。
木下 その時、私が何を歌っているのかご存知でしたか。
髙畠 「ノラ」を歌われた人だなぁ、と思いました。

木下 この曲には色々とエピソードがありまして、最初は「野良」という漢字でタイトルを書いていたんですね。でも、イントロがオシャレなピアノの音で始まることから、カタカナの方がいいという事になったんです。
しかも私が着物よりも洋服が似合う顔立ちだった事や、作品がニュー演歌といった位置付けだったこともカタカナになった大きな要因だったようです。

■「ウヰスキー」について

木下 先生に最初に書いてもらったのは「ウヰスキー」でした。人生ってやり直しが効くのよ、といった新しく出直しの曲だと思いました。
髙畠 あなたが大阪へ帰って何年も経っていた頃で、CDも何年も出していなかったですね。
木下 あの頃、先生からまだCDを出す気はありますか、と訊かれました。やる気はありますが、「経済的にはしんどいです」と答えたことを覚えています。
髙畠 経済面よりまずはやる気があるか、が肝心でした。そこをあの時、確認させてもらったんですよ。

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人生いつでも出直しが効くをモットーに歌い続ける木下結子

木下 その後、「いとしいあんちくしょう」私の作品では初めてご当地をタイトルに入れた「盛岡ロマンス」を書いてもらいました。
 東日本大震災の後、先生は義援金を手渡しに行かれた際に立ち寄ったという盛岡の町を見て、あまりの綺麗さに思わずメモを取って、詞を書いたとおっしゃていました。
 1年も経たずに次の作品、小田純平先生作曲の「愛は海」をもらいました。さらに「マリーゴールドの恋」と、立て続けに頂きました。今、それをステージで1曲1曲続けて歌うと、お客さんから〈ええ歌多いやん〉と言ってもらえます。
髙畠 それは嬉しい事ですよね。

■主人公をどう演じるか

木下 作詞家さんって、歌い手さんを思い浮かべて書かれる場合と、思い浮かんだ詞を書き溜めておく場合があると思いますが、先生はどちらですか。
髙畠 両方ですね。でも、木下結子という個人に焦点を当てて書くことは多いですね。作曲の先生や制作スタッフと話し合って作り上げていく事もありますね。
木下 先生の作品は、私にとって経験のない事が結構多いので、どうやって主人公を演じようか、悩む事も多いです。
髙畠 経験があるとかないとかよりも、演じ方を考える事が歌い手のお仕事なんですよ。品よく格好良く演じてもらえるといい。
木下 解らない言葉を調べたりしますが、女性から見て格好良く、憧れてしまう詞が多いですね。綺麗くて格好いい女性の主人公が多いです。
髙畠 独りで生きている、貴方の力は借りなくていいわーといった強い女性の姿が、行間に出ているようですね。

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いつまでも華のある人生をと言う髙畠じゅん子

木下 私自身にはそういうところがないので、すがっていくタイプなんです(笑)
髙畠 ドラマは真っ白なところに自分なりの想いを描いていけば、人に好感を与えることになります。押し付けがましくなく、ちょっと突っぱねてみるとかすることで、受け取り側はそれに様々に感じるわけで、そういった歌い方でいいと思います。
木下 すごく勉強しないと歌えない感じがします。出来るのかしら。

■還暦後の木下結子

木下 還暦を迎え、さらにコロナの世の中になった上に、自身の気持ちの葛藤もあってレコード会社も変わりましたが、そんな事から先生とまた、お仕事が出来るという楽しみが生まれました。

髙畠 木下結子という歌い手を間近で見ていて、60歳を超えて、今まで背負ってきたものがポンと脱げたように思います。最近、とってもいい感じになってきましたよ。
木下 男性にはあまり、そういう事は言われないんですけどね(笑)
髙畠 男性に縁があるないは、また別じゃないんですか。そんなふうに考えないで、華のある人生を送らないといけないですよ。
木下 ありがとうございます。次回は新たなお知らせが出来ると思います。どうぞお楽しみに。

※写真・記事の無断使用はお断りします。










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